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秋の信徒一泊セミナーを迎えて/ヤコブの窮地と決意 2014.10.12

秋の信徒一泊セミナーを迎えて

 自然、時間、身の回りの環境、自分の都合のすべてを主に御奉げして、教会堂に集まってくるお一人お一人の決意が、自覚があろうとなかろうと神様のお心とご計画である。
 「いや、私は何となく・・・・・・」と言う方ももちろん、聖霊様のお働きによるものだ。
 肩をいからせて、聖書を見つめていたとしても思いの底が神様とつながっていないと、祝福のチャンスは箸にも棒にもかからない。反対に、何も考えていないように見えてもいつも主に繋がっていればチャンスはおのずと自分のところにやって来てくれる。
 最近はよく思う「神様の祝福って、わかりきっているけれど向こうからやって来る」「私の思いや、準備によって与えられるものではない」「私たちの知恵や能力によってもたらされる訳ではない」ということを。
 父が召天してから4回目を迎えるであろうか、信徒一泊セミナーは、すたれるどころかますます自己をブレイクして兄弟姉妹の霊と魂が一体となってきている。そろそろ、主の大宣教命令に従わせられる時がやってきているのであろうか。うちに溢れれば、外に出て行くのは当然であろう。
 今年の秋の一泊セミナーも聖霊様に満たされ、霊、肉共に喜びの時をいただきたいと願う。いやきっとそうなる。ハレルヤ! (た)

 
ヤコブの窮地と決意

 しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである。わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まらない。<Ⅱコリント4:7、8>
 創世記34、35章をみてみると、以前の知恵ある強いヤコブの姿はない。どちらかと言うと、シメオンとレビの虐殺行為に対して、優柔不断な姿をさえ見せている。
 しかし、ヤコブはどうしようもないこの窮地の中、自分と自分の家族、すべての共のものに対して神のご意志を伝えそれを実行する。たとえカナン人やペリジ人に追いかけられ、殺される危険があったにせよ「ベテルに行け」という神様のお言葉に従ったのだ。ここにヤコブの主に従う決意がある。
 決意するとあとは神の側の計画が即発動する。<創35:5>に「こうして一同は出発したが、神が周囲の町々を恐れさせたので、ヤコブの息子たちを追跡する者はなかった。」とある。自分の弱さを知った上で、自分のすべてを主に奉げると決意してみよう。私には出来ないかもしれない、しかし神に出来ない事はない。
 逆境の中に救いがある。弱さの中に勝利がある。死によってわたしたちは命を受ける。
 この死とは十字架上で死なれたイエス様とその時共に死んだ私の罪のことである。(た)
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# by mitiru-takae | 2014-10-17 20:37 | 満ちる | Comments(0)

笑・喜・踊(ワッハッハ)/弱い時こそ強い 2014.10.5

笑・喜・踊(ワッハッハ) 

 喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。<マタイによる福音書5:12>

 笑い、喜び、踊りは父くぎみやよしとの三種の神器。いや、言い換えれば神様からいただいた賜物、宝だ。
 昨年の父の召天一周年記念文集の題にした「笑・喜・踊」は、今更ながら、良い題をつけたものだと感心する。文字面を見れば見るほど「くぎみやよしと」だ!と笑ってしまう。
 今私の中にあるのは上掲のマタイによる福音書5:12のお言葉だ。献金の封筒にもこのお言葉を載せてもらうことにした。「こんなすごい祝福の言葉は無いよ」と喜びが心の奥から湧きあがってくる。「今日も喜びをいただいて、その上天に宝を積んだぞ!」「笑うだけで、喜ぶことで大きな神からの報いを受けるというのだから、笑わにゃソン、ソン」と言う具合にである。・・・笑えばまた父を思い出す。
 「もう2年も経つのか」と言いながらも、なんだかいないことが不思議にも思えてくる。年月関係なく、ずーっと一緒にいるようなのだ。反面、現実は確かに父に何もしてもらえないので、ちょっと大変なのである。と色々言いながら「釘宮義人牧師の召天二周年記念の日が来たのだ。無事に二年間過ごさせていただいた。」と感謝に満たされる。
 「イエス様、父に感謝!」そして「教会のみなさんありがとう!」(た)


弱い時こそ強い

 だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。<Ⅱコリント人12:10>

 兄エサウが自分を迎えに来るのに400人ものお供を連れてやってくる。これはヤコブにとってとんでもない恐れをもたらした。その頂点に達した時、ヤコブは夜から夜明けまで、ある人(私は聖霊様だと思っている)と戦った。結果、神をも負かすほどの自我の強いヤコブの魂の支えと言うべきところが打ち砕かれた。それでも神様に食い下がっていったヤコブを見るとき、私たちの祈りもこうであるべきだと学ばされる。
 自分の弱さを知ることは、まさに偉大な神の力を認め、神を畏れることだ。真の強さと勝利はここから始まる。神である主を知ったならば新しい人生が開けてくるからだ。全ての被造物をみる眼も、感じ方も神を畏れるとすべて変わってくる。「弱い時こそ強い」このお言葉を体験できる時はわたしたちにも訪れる。果たしてこの時を、神を知り自分を知るときだと捕らえることができるであろうか、「出来る」と告白していこう。(た)

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# by mitiru-takae | 2014-10-17 20:33 | 満ちる | Comments(0)

あなたの神、主を心に据えよ 2014.9.28

あなたの神、主を心に据えよ
 
 主はヤコブに言われた、「あなたの先祖の国へ帰り、親族のもとに行きなさい。わたしはあなたと共にいるであろう」。<創世記31:3>
 
 ヤコブへの神の言葉は、「帰れ」という特別な言葉だ。
 アブラハムは信仰の父として、大いなる祝福を得た。イサクは父アブラハムの祝福と財産の全てをうけついだ。妻さえも父によって用意してもらったのだ。
 ヤコブはというと、父を騙し兄エサウから長子の特権をとりあげながらも、祝福の継承者として神からも認められた約束の者となった。しかし、父イサクとは違い、妻を自分で見つけだし財産の全ても自分で築いていかねばならなかった。
 旅立ったヤコブは叔父ラバンの所に来て妻と子供を得ることが出来た。しかし、財産はと言うと、まだ何ももってはいなかった。ヤコブはまったくラバンの奴隷扱いであったのだ。
 いつか時がきて、出てきた地に帰るのだという約束(神の言葉)をいただいているにもかかわらず、ヤコブは愛する妻ラケルのために14年と言う長い年月働き続けたのである。
 ここからヤコブの応酬がはじまる。ラバンに「私と妻たちを故郷へ帰らせてください」と言えば、「望みの報酬を出すから、ここにいてくれ」という返事があることくらいはわかっていたであろうし、ヤコブは「提案する策」も考えていたであろう。
 ラバンも知っていたのだ。ヤコブの神によって彼の仕事は祝福され、自分の財産は増えていったのだということを。だからなんとしてもヤコブを失いたくないはずである。
 ヤコブの冴えた頭は、経験と知恵から凄いアイデアを生み出すのだ。今の時代であればどれほどの実績を積む優秀な企業人であることか、大きなビルがいくつも建ったであろう。
 6年をかけてヤコブは自分の財産を築き上げた。この人は大いに富み、多くの群れと、男女の奴隷、およびらくだ、ろばを持つようになった。<創世記30:43>とある。
 しかしこれは世で言う成功者の話ではない。神のご計画の中のほんの一端でしかないからだ。神は富ませようと思えば富ませる。反対に全てを取り去ることも出来るお方である。つまり全ては神の手にかかっているのだ。
  
 あなたの神、主を心に据えなさい。主があなたに富を築き上げる力を与えられるのは、あなたの先祖たちに誓った契約を今日のとおりに果たされるためであった。<申命記8:18>(新改訳)
 
 今の私たちには形だけでなく、眼には見えないが、見えるものよりも優れた大いなる財産が神の約束として与えられている。これこそ私たちの救い主イエス・キリストに他ならない【釘宮孝枝】
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# by mitiru-takae | 2014-09-30 23:00 | 満ちる | Comments(0)

二人の妻によって 2014.9.21

二人の妻によって

 9月14日は、礼拝後、昨年同様近くのファミレスで教会の敬老会を行った。少人数ではあるが、いわば教会の精鋭部隊、頼もしい姉妹たちである。
 自分や家族の病また、問題など、それぞれにかかえてはいるのだろうけれど、主に支えられて、皆つややかな顔でテーブルの前に座っている。素晴らしい主の家族だ。心の中で「ありがとう、ありがとう」と思っていると、自然に笑みが浮かんでくる。
 箴言17:6に「孫は老人の冠である。父は子の栄えである。」とある。私にとって今、目の前にいる姉妹方こそ、主に与えられた私の冠、私の栄えであると、喜ばずにはおれない。なんと私は幸せなのだろうと、今日も感謝で過ごす。
 
 さてラバンにはふたりの娘があった。姉の名はレアといい、妹の名はラケルといった。
 レアは目が弱かったが、ラケルは美しくて愛らしかった。<創世記29:16、17>
 
 これは一体誰の評価であろうか。ヤコブがラケルの容姿、容貌に惹かれたのは確かであろう。彼女を妻にするための7年間の労働がほんの数日のように思えたというのだから、ヤコブのラケルへの思い入れは相当なものだ。
 ラバンにとってはレアをとにかくラケルより先にヤコブに嫁がせたいという考えが初めからあり、二人を妻とさせるための思案が既にあったのであろう。
 以前は父イサクをだましたヤコブが、今度はラバンによってだまされることとなる。そしてヤコブは二人の妻をめとることになる。ラバンの画策でさえ、神の側では想定内だ。
 ヤコブに愛されないレアは神の哀れみを受けて7人もの息子を得た。比べてラケルのほうはというと愛されても愛されても、なかなか子供を与えられない、という皮肉な事態であった。どちらがヤコブの子を多く生むかで、幸福の取り合いである。
 神様は、この二人の妻とそれぞれのつかえめによる息子、後に生まれるラケルによるヤコブの末っ子ベニヤミンをいれて、合計12人の息子を得させたのである。この12人こそがイスラエルの12部族の父祖となる訳である。
 マタイによる福音書1章2節から17節のイエス・キリストの系図を見ていただきたい。2、3節にレビの名がある。
 
 だから、アブラハムからダビデまでの代は合わせて十四代、ダビデからバビロンへ移されるまでは十四代、そして、バビロンへ移されてからキリストまでは十四代である。<マタイ1:17>
 
 レアはヤコブに愛されなかったが彼女によって生まれたユダの子孫としてダビデが生まれ、イエス・キリストへと続いていくのである。神のなさることは実に時にかなって美しい。【釘宮孝枝】
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# by mitiru-takae | 2014-09-30 22:00 | 満ちる | Comments(0)

神を知る 2014.9.14

神を知る

 イサクに送り出されて、ヤコブはとある場所に来た。いくら神の恩寵によって新しい旅が始まったと言っても、ヤコブにとっては不安だらけの旅立ちであったに違いない。歩き続けてこのとある場所に着いたとき、日が沈んだ。
 一夜をここで過ごすことにしたヤコブは、兄エサウのことや、これから先のことなど色々な思いを持ったままその場所に横たわったであろう。すると夢を見たのだ。先端が天にまで届いている階段がヤコブの寝ていた場所から伸びていた。さらにその階段では天使が上り下りしていたのだ。
 
 そして見よ、主が傍らにたって言われた(創28:13)
 
 主のお言葉は最後に「この地に連れ帰す」といってくださっている。ヤコブにとっては、父の住む地に帰ってくるのは何時のことになるのか検討もつかないことだろうが、この地に帰ってくるまでの期間がヤコブにとっての訓練の時となるのであろう。
 
 ヤコブは眠りから覚めて言った。「まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった。」
 そして、恐れおののいて言った。「ここは、なんと畏れ多い場所だろう。これはまさしく神の家である。そうだ、ここは天の門だ。」<創世記28:16,17>
 
 目が覚めたヤコブは初めて神がここにいることを知ったのだ。「この場所」にいて下さる神、私たち流に言い換えれば、私の救い主イエス様が今ここに私と共にいるんだということを初めて知ったというわけだ。これが回心でなくてなんだろうか。
 旧約に出てくるアブラハム、イサク、ヤコブ、モーセたち、この偉大なる人々の神への近さは一体なんだろう、まったくうらやましい限りだ。
 神への畏れも今の私たちには生ぬるくて想像もつかないくらいだが、旧約時代の人々にとって神は死をももたらす恐ろしい存在でもある。
 ヤコブの旅立ちを見ていくと私たちの信仰の旅立ちをみるようだ。
 救い、新しい出発、回心、献げる(十一献金だけに限らず献身も)決意、そしてこの世での信仰の訓練がはじまり、わたしたちはついに神に帰る。
 この地をベテルと名づけたヤコブは、神が必ず私を守り、共にいて私の全てを祝福し、必要なものをみな満たしてくださる、という確固たる確信が湧き上がって来たのであろう。それが奉げると言う思いに駆り立てられていった理由であろうか。
 ヤコブも初めからこんな信仰があったわけではない。しかしここに来てヤコブは神を知ったのだ。私たちもイエス様というお方をとことん信じきっている自分を見るときがある。それはイエス様を知っているからだ。大いに喜ぼう。【釘宮孝枝】
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# by mitiru-takae | 2014-09-30 21:00 | 満ちる | Comments(0)