新年おめでとうございます! 2013.1.6

新年おめでとうございます!   

「心に満つるより口はもの言うなり」(ルカ6:45)

この聖句は青年時の私にとって一転語となった句だ。この聖句が、私の心にとびこんできた時、私はこううけとめたのだ。私が、本心からとは言えそうもない軽はずみな言葉で「神さま!」と呼んだり、「あなたを信じます」と言ったりした時、その言葉は正しくバチあたりな偽善語であるのだけれども、尚かつそれがイエスの側から見れば真実語であって、正しくその表面語のとおりに心の中身もそうなのだとイエスは証明される。この際、人間の思いよりも神の思いがかしこく私の反省よりもイエスの保証の方が正しいと、ピタリ私の内心が納得する時、私の内側に信仰がおこるのである。
   
以上は「心に満つるより」No.1からの抜粋です。
このころの父がよく言っていたことです。「本音と建前が一緒(同じ)にならないと本物ではないね」つまりいつも自分が出来もしないことであっても建前としてでも人前で言っているうちに自分の中でそのことが本物になり本音で語ることが、もう建前と同じことになっていて実行すら出来ている、ということなのです。
それと同時に言っていたことが「建前ででも、出来ないことでも、とにかく御言葉を告白し続けることでイエス・キリストの信仰によって魂の中が聖められてくる、御言葉が成就するんだ」-----です。
前者はこの世の中でのノウハウ!であり、後者は信仰成長でのノウハウです。
「心に満つるより」はずいぶん父の若い時の冊子ですが、今読んでも新しい。
独特な哲学的表現が時々くどくて分かりにくいことも(笑)ありましたが、それもまた味わい深いものです。
心の中にイエス様の証しが一杯いっぱいに詰まってくると、私たちは黙っておれなくなります。この事が確かに聖霊様により承認される時、それはまさにイエス様からの啓示として、私たちの心の中で不動の物とされるからです。黙ってはおれないのです。
私たちの心の中から溢れ出して来るイエス様のお言葉を自身の本音として証ししていきたいものです。

新しい年、溢れるばかりのイエス様のご恩寵の中で、御言葉を告白し心を満たしていただきながら、さらに皆と共に前進していきましょう! 今年も主に在ってよろしくお願いいたします。
                        <孝枝>
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# by mitiru-takae | 2013-01-08 20:45 | 満ちる | Comments(0)

昂揚 2012.12.30

昂揚  
   
 聖霊の働きだろうか。意識の昂揚が甚だしく、居ても立っても居られないという感じで、昂奮している。何かやりたい。思いのやりったけ、働きたい。活動したい。世に訴えたい。
 今、夜半を越えて1時55分だが、大きな変化が私の魂に起こりつつあるな、と思う。私の人格に強固な高まりが起っている。神様の押し迫りだ。感謝、感謝、言い表せない喜びがある。
 神様、有り難う御座います。今後、素晴らしいことが起こるでしょうね。
 祈りつつ寝ます、いやいや、寝て居れませんねえ。神様、感謝します。一切が変わります、神様が後押しです。私はただ、イエス様を信じて前進するだけ、全力を尽くすだけ。
 今、2012年9月25日午前2時過ぎ、この記録は生涯忘れ得ないであろう。私に取っては掛け替えのない経験である。大感謝! 大感謝! 
 午前2時20分、寝る。

***

覚えている方もおられると思います。以上は日岡だより第561号に掲載した父の日記です。
この時はわたしは何もわかってはいなかったのです。これほどの昂揚感と聖霊様の押し迫りを感じていたなんて、と今日ふと読んだ時びっくりしたのです。思い返せばこの頃の父は何か思い立ったら、いても立っても居られない、そんな感じはしていたように思いますが、これほどまでとは思っても居ませんでした。
またまた、「父ちゃん」から離れられない不甲斐ない娘と思われるでしょうが、こと信仰に関しては今も、これからも主にある同志で在り続けるという感じですね。
私が興奮冷めやらぬ一つは、この「聖霊様の後押し、あとはイエス様を信じて前進するだけ」にあるのです。
この教会の存続するにあたっての私たちが頂いた「イエス様からの啓示」でありましたから。
「この教会はキリストの体であって、すべてのものを・・・」を合言葉にして。
この父の聖霊による大興奮と言葉は、まさにイエス様からの預言です。
まるで今の教会を見ているような、そんな言葉です。
私たちも聖霊様によって押し出され、何かせずにはおれない、賛美と感謝が溢れて、喜びが後からあとから湧いてきて、喜びの涙さえ流すことがあります。
このように五感に響く興奮せずには居れないような体験を一度でも経験すると、今までの人生が180度変わりますね。確かに信仰は感情によらず受け入れることも大切です。しかし、わたしたちはもっと聖霊様によって昂揚すべきです。
ゲッセマネでイエス様は血の汗を流し、御霊に満たされて弟子たちのために、私達のために執り成して下さいました。このイエス様を知る時わたしたちは昂揚せざるをえません。私達の贖いのための杯を受けるイエス様のこの魂の興奮、昂揚が伝わってきます。

そしてわたしは彼らに御名を知らせました。またこれからも知らせましょう。それは、あなたが私を愛して下さったその愛が彼らのうちにあり、又私も彼らのうちにおるためであります。
          -ヨハネ17:26-
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# by mitiru-takae | 2013-01-01 22:30 | 満ちる | Comments(0)

クリスマスの思い出 2012.12.23

クリスマスの思い出
   
わたしが小学校3年生くらいであったか、もっと小さかったのかよく覚えていないのだが、その年サンタクロースに手紙を書いたのです。プレゼントのお礼です。
我が家では毎年必ずサンタさんが来てくれていました。もちろん子供たちが寝静まった頃、両親が枕元にプレゼントを置いてくれていたのです。
その頃の父は教職の仕事も辞め、自分の信仰を貫くために、独立伝道をはじめていました。決して楽な生活ではありませんでした。といっても、子供のわたしの主観ではありますが、父にとっては主にすべてを委ねた、覚悟の上の生活であったでしょう。
しかし、貧しいといっても戦後のことですから、まわりも食べ物、衣服など今のように豊富にあるわけではないので、「あんなものだよね、貧しいと言っても・・・」と今ならいえるくらいです。
その中でのクリスマスプレゼントですから、中身の豪華さはないけれど、とにかく嬉しいものでした。
前の年が確か、大きなチョコレートだったようなきがします。このころはチョコなんて普段は口には出来ませんでしたから、嬉しかったですね。そして何故かこの年はサンタさんにお願いをしたのです。
24色のクレパスです。
クリスマスの朝、目が覚めて、このクレパスを見たとき「ほんとに来たー!」と、飛び上がったものでした。
サンタさんに「お願い」をしたのですから!そしてその「お願い」を聞いてもらったのですから!
嬉しくてうれしくて「これはお礼の手紙を書かないと・・・」と思い切って、いえ相当の決心をして(可愛いでしょう)手紙をかいたのです。ご丁寧にどうやってサンタさんに渡すかを父に相談して・・・。
父曰く「枕元においておけば、サンタさんに渡しておいてあげるから」

あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。
魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。
このように、あなたがたは悪いものであっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。
    -マタイ7:9,10,11-

私達の天の父は、求めれば必ず与えて下さるお方です。
私の必要は主が一番知っていてくださいます。
恐れずに求めましょう。きっと私たちが口を開き求めてくるのを待っておられます。
どうやって求める?それは私の父が教えてくれたように、いえもっと良い方法を、天の父は教えてくださるはずです。

子供の頃の小さな思い出ですが、父の愛をこの思い出の中に感じて幸せ気分の私です。感謝!
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# by mitiru-takae | 2012-12-25 23:06 | 満ちる | Comments(0)

最高のプレゼント 2012.12.16

最高のプレゼント  
   
やぎと子牛との血によらず、
ご自身の血によって、一度だけ聖所にはいられ、
それによって永遠の贖いを全うされたのである。
   -ヘブル9:12-

大祭司として私たちと神様との隔たりを取り除いてくださったイエス・キリストを知る時、心が感動で溢れます。
イエス様が、神として、そして完全な人間として、この世を生きてくださったことの証しは、私たち一人ひとりにほかなりません。
私の中に確かに存在するお方がイエス様と知っている私たち自身が証人なのです。
ご自分の血をもって犠牲とし、永遠の贖いとしてくださったイエス様、そのイエス様が今、私をご自身の住み家として下さっているのですから。
でも、人間イエス様と共に暮らしたこともないのに、どうして証人となり得るのでしょう。
それは復活のイエス様を聖霊様によって知ることができるからです。死と黄泉に打ち勝った復活のイエス様を聖霊様によって知るからなのです。

2000年前のペンテコステの、あの十二使徒の上に聖霊の炎が下った日、イエスさまの十字架の贖いが完成しました。
今の私たちも同じ体験を、まったく2000年前と同じ体験を今させていただけるのです。
私たち信じるものを神の宮とし、天にある聖所を、そして天にある隔てる幕のない至聖所を、わたしの魂の中に造ってくださった。
聖霊様によって、一人ひとりの中に、それぞれに至聖所を、神様とのホットラインを。
だから、いつでも神様とあいまみえることができます。
旧約の時代には、こんなことは有り得なかったのに、今は出来るのです。
聖霊様によって、クリスマスと、十字架による贖いと、復活、聖霊降臨までのすべてを一瞬にしていただけるからです。

イエス様という最高の神様からのプレゼントのおかげで・・・!
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# by mitiru-takae | 2012-12-18 23:48 | 満ちる | Comments(0)

その名を信じた人々 2012.12.9

その名を信じた人々  
   
しかし、彼を受け入れたもの、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。
それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ、神によって生まれたのである。      
     -ヨハネによる福音書1:12,13-

私たちは神の子です。
しかし、イエス様を知らなかった頃は、どんなに優等生であったとしても、財産を持っていたとしても、人がうらやむほどの幸せそうな家庭をもっていたとしても、神の子ではありません。
本当の幸せをまだもっていないからです。
この世を照らす光として来てくださったイエス様を、私たちは昔は知らなかったのです。
イエスという名前くらいは知っていたでしょう。
しかしそれは、おとぎ話のようでもあり、他人事であり、このイエスというお方によって、自分の人生が新しく変えられるなんてことは、想像すらできないことでした。
ところが、ある時わたしたちは、このイエス様に出会うのですね。
私もクリスチャンホームに生まれましたから聖書もイエス様のお名前も知っていましたが、「私の主」として本当に知ったのはまだまだずーっとさきで大人になってからでした。
実はイエス様は私たちに、ご自身の持っている、あふれるばかりの恵みを与えてくださるためにこの世に来たとおっしゃいます。

わたしたちすべての者は、その満ち満ちているものの中から受けて、恵みに恵みを加えられた。
律法はモーセをとおして与えられ、恵みとまこととは、イエスキリストをとおしてきたのである。
      -ヨハネによる福音書1:16-

このように私たちはイエス様を「私の主」と信じた時から、イエス様による本物の恵みを、幸せをいただくものとなるのです。子としての特権を与えられるわけです。
神である一人子なるイエス様がこの地上に生まれてくださいました。人間として、神としてこの地上を歩いてくださったのです。
そしてさらに恵みと力を増すために、わたしたちを働くものとして用いてくださるために、贖いの十字架に架かって死んでくださいました。
旧約の時代からの神様の約束を、すべて果たすために、十字架で血を流され、死んで、よみがえり、天に帰り、聖霊なるイエス様として私達のうちに住まわれるものとなってくださいました
信じるだけ・・・で、です。
私たちが信じなければ私達の上に神様のお約束は成就しません。
信じましょう!信じてみましょう!
とにかく頼って、頼って、頼ってみましょう。
クリスマスは私のためにあるのです。
わたしを、神によって新しく神の子として生まれさせるためです。アーメン!
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# by mitiru-takae | 2012-12-11 22:56 | 満ちる | Comments(0)