クリスマスの思い出 2012.12.23

クリスマスの思い出
   
わたしが小学校3年生くらいであったか、もっと小さかったのかよく覚えていないのだが、その年サンタクロースに手紙を書いたのです。プレゼントのお礼です。
我が家では毎年必ずサンタさんが来てくれていました。もちろん子供たちが寝静まった頃、両親が枕元にプレゼントを置いてくれていたのです。
その頃の父は教職の仕事も辞め、自分の信仰を貫くために、独立伝道をはじめていました。決して楽な生活ではありませんでした。といっても、子供のわたしの主観ではありますが、父にとっては主にすべてを委ねた、覚悟の上の生活であったでしょう。
しかし、貧しいといっても戦後のことですから、まわりも食べ物、衣服など今のように豊富にあるわけではないので、「あんなものだよね、貧しいと言っても・・・」と今ならいえるくらいです。
その中でのクリスマスプレゼントですから、中身の豪華さはないけれど、とにかく嬉しいものでした。
前の年が確か、大きなチョコレートだったようなきがします。このころはチョコなんて普段は口には出来ませんでしたから、嬉しかったですね。そして何故かこの年はサンタさんにお願いをしたのです。
24色のクレパスです。
クリスマスの朝、目が覚めて、このクレパスを見たとき「ほんとに来たー!」と、飛び上がったものでした。
サンタさんに「お願い」をしたのですから!そしてその「お願い」を聞いてもらったのですから!
嬉しくてうれしくて「これはお礼の手紙を書かないと・・・」と思い切って、いえ相当の決心をして(可愛いでしょう)手紙をかいたのです。ご丁寧にどうやってサンタさんに渡すかを父に相談して・・・。
父曰く「枕元においておけば、サンタさんに渡しておいてあげるから」

あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。
魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。
このように、あなたがたは悪いものであっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。
    -マタイ7:9,10,11-

私達の天の父は、求めれば必ず与えて下さるお方です。
私の必要は主が一番知っていてくださいます。
恐れずに求めましょう。きっと私たちが口を開き求めてくるのを待っておられます。
どうやって求める?それは私の父が教えてくれたように、いえもっと良い方法を、天の父は教えてくださるはずです。

子供の頃の小さな思い出ですが、父の愛をこの思い出の中に感じて幸せ気分の私です。感謝!
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# by mitiru-takae | 2012-12-25 23:06 | 満ちる | Comments(0)

最高のプレゼント 2012.12.16

最高のプレゼント  
   
やぎと子牛との血によらず、
ご自身の血によって、一度だけ聖所にはいられ、
それによって永遠の贖いを全うされたのである。
   -ヘブル9:12-

大祭司として私たちと神様との隔たりを取り除いてくださったイエス・キリストを知る時、心が感動で溢れます。
イエス様が、神として、そして完全な人間として、この世を生きてくださったことの証しは、私たち一人ひとりにほかなりません。
私の中に確かに存在するお方がイエス様と知っている私たち自身が証人なのです。
ご自分の血をもって犠牲とし、永遠の贖いとしてくださったイエス様、そのイエス様が今、私をご自身の住み家として下さっているのですから。
でも、人間イエス様と共に暮らしたこともないのに、どうして証人となり得るのでしょう。
それは復活のイエス様を聖霊様によって知ることができるからです。死と黄泉に打ち勝った復活のイエス様を聖霊様によって知るからなのです。

2000年前のペンテコステの、あの十二使徒の上に聖霊の炎が下った日、イエスさまの十字架の贖いが完成しました。
今の私たちも同じ体験を、まったく2000年前と同じ体験を今させていただけるのです。
私たち信じるものを神の宮とし、天にある聖所を、そして天にある隔てる幕のない至聖所を、わたしの魂の中に造ってくださった。
聖霊様によって、一人ひとりの中に、それぞれに至聖所を、神様とのホットラインを。
だから、いつでも神様とあいまみえることができます。
旧約の時代には、こんなことは有り得なかったのに、今は出来るのです。
聖霊様によって、クリスマスと、十字架による贖いと、復活、聖霊降臨までのすべてを一瞬にしていただけるからです。

イエス様という最高の神様からのプレゼントのおかげで・・・!
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# by mitiru-takae | 2012-12-18 23:48 | 満ちる | Comments(0)

その名を信じた人々 2012.12.9

その名を信じた人々  
   
しかし、彼を受け入れたもの、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。
それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ、神によって生まれたのである。      
     -ヨハネによる福音書1:12,13-

私たちは神の子です。
しかし、イエス様を知らなかった頃は、どんなに優等生であったとしても、財産を持っていたとしても、人がうらやむほどの幸せそうな家庭をもっていたとしても、神の子ではありません。
本当の幸せをまだもっていないからです。
この世を照らす光として来てくださったイエス様を、私たちは昔は知らなかったのです。
イエスという名前くらいは知っていたでしょう。
しかしそれは、おとぎ話のようでもあり、他人事であり、このイエスというお方によって、自分の人生が新しく変えられるなんてことは、想像すらできないことでした。
ところが、ある時わたしたちは、このイエス様に出会うのですね。
私もクリスチャンホームに生まれましたから聖書もイエス様のお名前も知っていましたが、「私の主」として本当に知ったのはまだまだずーっとさきで大人になってからでした。
実はイエス様は私たちに、ご自身の持っている、あふれるばかりの恵みを与えてくださるためにこの世に来たとおっしゃいます。

わたしたちすべての者は、その満ち満ちているものの中から受けて、恵みに恵みを加えられた。
律法はモーセをとおして与えられ、恵みとまこととは、イエスキリストをとおしてきたのである。
      -ヨハネによる福音書1:16-

このように私たちはイエス様を「私の主」と信じた時から、イエス様による本物の恵みを、幸せをいただくものとなるのです。子としての特権を与えられるわけです。
神である一人子なるイエス様がこの地上に生まれてくださいました。人間として、神としてこの地上を歩いてくださったのです。
そしてさらに恵みと力を増すために、わたしたちを働くものとして用いてくださるために、贖いの十字架に架かって死んでくださいました。
旧約の時代からの神様の約束を、すべて果たすために、十字架で血を流され、死んで、よみがえり、天に帰り、聖霊なるイエス様として私達のうちに住まわれるものとなってくださいました
信じるだけ・・・で、です。
私たちが信じなければ私達の上に神様のお約束は成就しません。
信じましょう!信じてみましょう!
とにかく頼って、頼って、頼ってみましょう。
クリスマスは私のためにあるのです。
わたしを、神によって新しく神の子として生まれさせるためです。アーメン!
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# by mitiru-takae | 2012-12-11 22:56 | 満ちる | Comments(0)

宿営地を捜して・・・ 2012.12.2

宿営地を捜して・・・    

主は、道中あなたがたの先に立って行き
あなたがたが宿営する場所を捜し、夜は火のうちにあり
昼は雲のうちにあって、あなたがたに行くべき道を示された
    -申命記1:33-

この箇所の前に書かれているみ言葉・・・

あなたがたはまた荒野で、あなたの神、主が、人のその子を抱くように
あなたを抱かれるのを見た
あなたがたが、この所に来るまで、その道すがら、いつもそうであった
    -申命記1:31-

私がかつてとても苦しかった時、私は「私を助けてくれるものはいない」と絶望しながらも、人前では何食わぬ顔をして、さも何事もないかのようなそぶりをしていました。
教会では特に明るく振舞っていたのですが、ある先生をお招きしての聖会で祈っていただいた時、先生を通して主が私に語ってくださったのです。
「私があなたを抱(いだ)きます」
思わず涙があふれだしてきてどうしようもなかったという経験をしました。
こんなに愛されていたのに、私は一体何処を見て、何を求めていたのだろうと、心から自分の愚かさに気付かされ、イエス様の愛の中に飛び込んで行けたのです。
それ以来、私はいつもこのイエス様のお言葉に励まされてきました。

この私たちを愛してやまないイエス様が、わざわざ私たちの宿営の場所を捜してくださるのです。
それも、食事付き、案内付きです。
モーセが主のお言葉に従い、出エジプトをした時から、モーセの前には道が開かれていき、イスラエルの民と前進していきました。
同じように、私たちはいつもイエス様の道を選ばなくてはなりません。祝福を選ばなくてはなりません。
すると道が開かれて行くのがわかります。
前進させられて行くのがわかります。
体験させられているのです、み言葉が生きて動き出していく体験を。

聖書をいくら読んでも、砂を噛むように味気ない時もあります。
しかし、聖書のことばは生きています。ただ読んでいるだけのような、何も心に入ってこないような時でもです。なぜならみ言葉はイエス様のお言葉で、言葉自体に力があるのです。聖書に書かれていることは全て、私たちの中で生きて動き出すのです。
嬉しいではないですか。聖書を読みましょう。思いっきり・・・(笑)
イエス様万歳!です。     
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# by mitiru-takae | 2012-12-04 21:06 | 満ちる | Comments(0)

神の計画 2012.11.25

神の計画 

 今、教会の木曜日にある「聖書学習会」で「エペソ人への手紙」を学んでいます。
 毎回皆で学んでいるうちに、それぞれが教えられ、また皆の魂が一つにされていきます。
一章ずつ進んでいくのですが、みんなの気付きや証しがとても信仰の成長の学びの場としてもちいられています。
 
 第一章から
ピリピ、コロサイ、ピレモンとこのエペソ書はパウロのローマに於ける獄中書簡といわれています。ヨハネ黙示録に出てくる七つの教会は大体この地域のようです。
 
 ただ、神様の御心によって選ばれたパウロから、イエス様に忠実な聖徒たちへと、エペソの教会にあてた手紙は、私たちに語りかけます。
 
 私たちを選び出し、十字架の血潮によって贖い、御旨の奥義を聖霊によって啓示してくださいます。
 それは神様の偉大なご計画の実行のためにほかならないのです。
 
 奥義は、教会に、また私たち一人ひとりに成長をもたらします。
 
 なぜなら、この私たちの内に生きて下さるイエス様によって、「もはや私ではない。イエス様ご自身が私の中で生き、動き、存在してくださる」ということがおこるからです。
 また、私もイエス様の大能の中で生き、動き、存在している、この主と一つとなる体験をさせていただくからです。
 
 全てのものをもって、すべてのものを満たすことの出来るお方、それは全てをお創りになった神様だからこそ出来ることですね。
 神様の権威の下にある私たちと、教会に、神様の偉大な、それも一人ひとりに立てられたご計画が今「時が満ちた」「実行の時だ」と言っているのです。
 
 ある姉妹が「神の教会はキリストの体だ、私たちは体として選ばれている」と喜んでいました。
 又ある兄弟が「聖霊がこのことを保障してくださる」とみ言葉を取り上げていました。
 
 今からもこのようにして、皆で学んで行きたい(生きたい)と願います。
 この会も本当に神様のご計画により始めさせられたものですし、祈りで満ちています。
 楽しい学習会です。参加してくださ~い!  ハレルヤ!
 
             
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# by mitiru-takae | 2012-11-27 20:12 | 満ちる | Comments(0)