モーションはエモーションを生む 2013.2.10

モーションはエモーションを生む  

「何かの動作をすると、それに伴い感情が起こってくる。感情がうまれてくる」

 父の集会でよく聞いた話です。楽しくなくても、別に笑わなくてもいいような時に、なお笑うということが如何に私たちにとって益なことか。最近は脳科学の発展によりこの笑いについても色々とわかってきているようですが、聖書は何千年も前から、笑いについて語っています。

 笑い(喜び)には三種類あると思います。

 一番目、とにかく人は素直であれば、楽しい時には笑うのです。これが普通のことです。嬉しいことが起こると楽しい、笑える、です。しかし誰でもいつも楽しいわけではありません。

「主は我らのために大いなる事をなされたので、我らは喜んだ」<詩篇126:3>

 二番目、「モーションはエモーションを生む」ということです。
 たとえ今楽しくもなく、嬉しくもない時にでも、笑うまねをしていると可笑しくなって本当に笑い出してしまう。
 「泣きまねをしていると、悲しくなってくる。よく俳優は、やっているでしょう」とかつて父がよく言ってましたね。
楽しいという感情は脳を集中させるのにとても良いらしい、だから「楽しい」と脳に思わせるだけでいいとも言います。ようするに脳を騙すのですねェ!嬉しくも楽しくもないのに「楽しい」と思わせるわけです。勉強するときにお勧めです。その方法は、「口角を上げる」です。割り箸を噛む、また手が空いていれば指で抑えて上げる…(笑)。これはもう毎日鏡を見ながらでもやりたいことです。実行しなければわかりません。

「主によって喜びをなせ。主はあなたの心の願いを叶えられる。」<詩篇37:4>

 喜びをなせ。ですから自らすすんで喜びをつくります。これは素晴らしい成功の秘訣です。喜びをなせば、私の心にある願いが叶うというのですから、やってみない手はないでしょう。笑うまねをするというモーションは喜びのエモーションを生むのです。

 そして三番目、聖霊様からくる劇的な喜び(笑い)です。
 これだけはどんな状況下でも、苦しみ、悲しみ、そのど真ん中にいるときでさえもやって来る至上の喜びです。
 内側から起こってくる喜びに笑わずにはおれない、笑いを無理やりとめても唇が緩み口角が上がり、手で押さえても笑い出すのです。湧き上がってくる喜びにともなう笑いです。
 私が初めてこの笑いを頂いた時は、はじめ何がなんだか、さっぱりわからない、わけもなく口がほころんで、笑っていたのです。なんだろう?と不思議だったのです。喜びのわけがわかったのは、止まらない喜びの中で思い出していた「祈り」の叶えられていたことを,知ったというか「あっ、そうか!」とわかった時でした。

「あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい」<ピリピ人への手紙4:4>
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# by mitiru-takae | 2013-02-12 22:38 | 満ちる | Comments(0)

日々剥脱 2013.2.3

日々剥脱  

日岡だよりに今掲載している釘宮牧師の剥脱の日記は、本気で読み応えがあります。内容については、教会にプリントがありますし、教会のHPからでも見られます。
この剥脱と言うことばが、釘宮牧師らしい使い方で「本当だなあ…」と思うのです。
肉の部分を少しずつ剥がしていく、いいえ、ペンキを落とすように私の周りについた汚れを、主に剥がしていただくのです。
心の中のもやもやしたもの、不平、不満、自分で気づいているものはまだしも、気づかないストレスなるもので落ち込む心・・・。
自分では善悪も計りがたいようなまったく自己中心の思いであったとしても、一つ一つを、人それぞれの与えられた方法で剥がしていく、剥がしてもらう。その作業が日々の剥脱ということのようで、いいな!と思っているのです。
例えば、このように文章に書くということ。だから日記がいいのです。外に向かって出す「おしゃべり」となると相手のいることなので聞いてくださる方がいればいいのですが、なかなか思うようにはいかないでしょう。
その点、日記は思いつくままに一言一言を文字にして行くと、今まで自分のなかで混沌としていたものが少しずつ見えてきますし、整理も出来ます。
自分の頭のなかから切り離していけるので結構客観的に見えてきて、いらないものを剥がしやすいし、剥がれていく・・・。
そんなこんなで「剥脱の日記」なのかしらと勝手に納得して喜んでいる私です。

剥ぎ取るわけではないですが、聖書の中で、古き人を脱ぎ捨てる・・・と書いているところがあります。
一度捨てたらもう拾わない、日々古びていく人を又脱ぎ捨てる、そして、それも又拾わない。
捨てるごとに私たちは、新しい着物をイエス様に着せてもらうのです。
毎日新しい真っ白な衣、嬉しいですね。
一度新しくなった時、二度と汚さなければいいのですけれど、人間なかなかそうはいないようです。
イエス様の栄光の似姿に向かって毎日を勝ち取って行く、そのようなたゆまない底力を聖霊様によりすでに頂いている私たちですから、たとえ転んで泥がついても立ち上がりましょう。
イエス様は、毎日新しい衣を用意してくださるはずです。そう信じます。

あなたがたは、古き人をその行いと一緒に脱ぎ捨て、造り主のかたちに従って新しくされ、真の知識に至る新しき人を着たのである
                    <コロサイ3:9、10>
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# by mitiru-takae | 2013-02-05 21:28 | 満ちる | Comments(0)

私は強い 2013.1.27

私は強い 

私の恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる <Ⅱコリント12:9>
なぜなら、私が弱い時にこそ、わたしは強いからである <2:10>

パウロは自分の体験のことを、この言葉の前に書いていますが、すごい体験です。
体のままか、体を離れてか、とにかく第三の天にまで引き上げられた―――と言うのです。パラダイスに引き上げられ、口に言い表せない、人間が語ってはならない言葉を聞いた…とも言っています。
これは本当のことなので、実は誇ろうとすればいくらでも誇れる、今で言えば聖霊体験といわれるような特別な霊的回心体験というものです。人間的、肉的にいくら求めても悟りえない、神様から来るものですね。
また、いくら言われても体験のないものには想像がつかないものです。だからこそ私は求め続けますが(笑)。
しかし、これがないと信仰がない、解ってないということはないのです、そんなことはありません。
イエス様が私たちに示してくださる啓示は人それぞれ、10人いれば10人違います。導かれる方法も様々です。
パウロは多分、人間的にも全てにおいて出来のよい人だったんですね。
「高慢にならないために肉体に一つのとげが与えられた <12:7>」
そして三度も自分を打つサタンの使いを離れさせてくれるように祈りました。その時に答えてくださったイエス様の答えが、冒頭に書いたみことばです。

実際、弱い時に私は強くなれるのでしょうか。
こういうことがあります。信仰も強いけれど、この世での生き方も強く何でもこなせる。パウロのような人かもしれませんが、この人が何かで、たとえば病気や他のアクシデントで自分では何も出来なくなった場合、本当に信仰が試されるかもしれません。今まで信仰であらゆることを乗り越え、勝利してきたと思っていたのに、その信仰が突然消えてしまったかのようにないのです。
それは、今まで信仰でやってきたと思っていたことは間違いで、人間的な能力でこなしてきていたわけです。実は大きな勘違いをしていた、信仰ではなかったのです。
この非常事態、この時、
「わが魂はもだしてただ神をまつ。わが救いは神からくる。<詩篇62:1>」
としか言いようのない無力な自分を見せられるのです。
ここに救いがあります。このどうしようもなくみじめな自分を知る時初めて神様の力が自分に働くことを知ることが出来るからです。
まるで魂の死んだ状態の私が、イエス様の生きた命と一つになって共に生きると言うことがおきるのです。
私が弱い時にこそ、イエス様の命がわかります、力がわかるのですね。
弱さを恐れることはありません。私は主にあって強いのです。どんな時にでもです。極端にいえば私がどのように無様な姿をさらしていてもです。
私の本当の命と力はキリストの中にあるからです。
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# by mitiru-takae | 2013-01-29 21:15 | 満ちる | Comments(0)

とりなしは祝福の祈り 2013.1.20

とりなしは祝福の祈り   

橋頭堡という言葉を知っているでしょうか、と言うのも父がよく言っていた言葉だからです。
「サタンは私達の心の中に橋頭堡をつくる」というのですが、この橋頭堡というのは敵地などで作戦を有利に運ぶための前進拠点をつくるというようなものなのです。
私たち信じるものは、サタンにとっては敵です。しかし踏み込めないのです。なにせ私たちには、大天使ミカエルが率いるイエス・キリストの天軍がついているからです。おびただしい軍勢です。あの赤い龍を天に居られなくしてしまった大勝利の天軍なのです。

さて、天では戦いが起こった。ミカエルとその御使いたちが、龍と戦ったのである。龍もその使いたちも応戦したが勝てなかった。そして、もはや天には彼らのおるところがなくなった。<黙示録12:7>

そこで私たちを思うように出来ないサタンは遠隔操作でなんとか砦を敵の陣地内(私たちの心のほんとに肉に近いところでしょう)に橋頭堡をつくろうとします。これが成功すると、気付かないうちに私達の心はまどわされてしまうのです。
神よりサタンの虜である人を恐れます。その人たちの言うことを信じてしまいます。サタンの虜である人たちが素晴らしく思えてきます。
そして、不安を抱くようになるのです。サタンの思う壺です。
特に気付きにくいのが、あらゆるとりなしの祈りでしょうか。
良かれと思い人のために、又多くの事柄に対してとりなします。いつの間にか自分の希望を押し付け、自分の正しいと思う道に進むように祈っているのです。身勝手な執り成しです。
これもサタンにすればより大きな橋頭堡をつくるいい材料になりかねないのです。
全てがそうという訳ではありません、が、本当に真のとりなしをしてくださるのはイエス様だけなのです。
父のためにとりなしの祈りをした一年くらいの間に主が示してくださいました。
「とりなしのために私が居ます。かえって相手の祝福を祈りなさい」
確かこのときも父が同じ事を言うのでびっくりしたような気がします。祝福は自分にも帰ってくると。

彼は悪い訪れを恐れず
その心は主に信頼してゆるがない <詩篇112:7>

しかしたとえつくられたとしても、です。サタンの橋頭堡をしらみつぶしに崩していきましょう!神の武具でミカエルと共に、イエス様とともに立ち向かうのです。これは日々の戦いです。
私たちは神を畏れます。たとえ肉の外なる人は滅びようと内なる人は日々新た!魂のどん底から主の霊が突き上げてきて腐りかけている肉も骨も生き返ります。
私たちにとってたとえ嫌なことでも、人でも、とにかく祝福を祈りましょう。誰も見ていないあなたの部屋で、そして教会で、世界中の祝福をイエスの御名によって祈りましょう。
不安も,恐れも、悪い訪れさえも、イエス様の祝福に変えられます。ハレルヤ!
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# by mitiru-takae | 2013-01-22 20:40 | 満ちる | Comments(0)

富める青年 2013.1.13

富める青年  

イエスが道に出ていかれると、ひとりの人が走り寄り、みまえにひざまずいて尋ねた。
「よき師よ、永遠の生命を受けるために、何をしたらよいでしょうか」
                  <マルコ10:16、17>

私たちはイエス様を誰と思っているでしょう。
いいえ、そもそもイエス様というお方を知っているでしょうか、ということです。
「何故私を良き者と言うのか。神一人のほかによきものはいない」と、イエス様が言う時、この青年は一体どんな顔をしたのだろうと、覗いてみたくなります。多分「???」と、言っている事がよくわからなかったに違いありません。
イエス様を「教師」として教わりにきたとしても、きっとイエス様の口からは、教師の言うことと同じことしか聞けないかも知れないし、
それは、彼にとってはさほど難しいことでもなく、かえって「教師」に賞賛さえされかねないほどの出来のよい青年であったに違いありません。
それに、彼は何不自由なく暮らし、有り余る財産をそこそこ献金し、施し、律法も守り、自分に足りないものがあるなどとは露ほどに思わず、「もっと良いことをしたい」とさえ願うほどの愛すべき青年であったろうと、わたしはちょっとほほえましくさえ思うのです。
ところが、
「あなたに足りないことが一つある・・・」<マルコ10:21>
といわれた時、顔を曇らせ悲しんで帰るその青年の後姿はイエス様にとってもとても悲しいことだったに違いありません。
彼を追いかけて行き、言ってあげたかったであろう言葉は、
「人には出来ないが、神にはできる。神は何でもできるからである」<マルコ10:27>でしょう。
弟子たちにもわからなかった「富んでいる者が神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通る方がもっとやさしい」<マルコ10:25>というお言葉も、
「イエス様が神である」「イエス様が私の救い主である」と知ったならば、イエス様の真の姿を知るならば、きっとこの富める青年にも、私たちにだってわかるはずです。
「神様に不可能はないのです」ということが。
どんなに難しいことのように思えても、神様の御心はすべて成就します。
私たちには、この青年のように放せないものが幾つかあるかもしれません。いえ「どうしてもこれだけは」というものが一つはあるものです。物であるか、思いであるか、自分にしかわからない何かです。
それが何であれ、私たちにとって「足りないことの一つ」だろうと思います。
手放せないものを放せたとき、それは私の決心というよりは、イエス様の愛と私達の神様への畏れがこれをさせて下さるような気がします。
「神一人のほかに良き者はない」と断言できる絶対的主権者が、神であり聖霊であるイエス・キリストなのです。
ハレルヤ!
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                      (ホフマン画)
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# by mitiru-takae | 2013-01-15 21:14 | 満ちる | Comments(0)