イエスのように ペテロはみんなの者を外に出し、ひざまずいて祈った。それから死体の方に向いて、「タビタよ、起きなさい」と言った。すると彼女は目をあけ、ペテロを見て起きなおった。<使徒9:40> タビタはギリシャ語でドルカス(かもしか)という名である。 女弟子であった彼女は多くのやもめたちから慕われていたようだ。 集まって泣いているやもめたちなど、皆を外に出し、ペテロはひざまずいて祈った。 死んだ彼女が生き返ったのは、ペテロのわざではない。 ペテロ自身が言うように「私にあるもの…それはイエス・キリストの御名」である。 ひざまずくペテロの姿の上に、イエス・キリストを見た「死」は震え上がったことだろう。 即座にタビタは目覚めたのだ。 イエス様自身が同じような奇跡をおこなっている。 人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスはみんなの者を外に出し、子供の父母と供の者たちだけを連れて、子供のいる所にはいって行かれた。 そして子供の手を取って、「タリタ、クミ」と言われた。それは、「少女よ、さあ、起きなさい」という意味である。<マルコ5:40、41> イエス様の場合は、汚れた霊を叱ったとき言った言葉を見るとわかるが、イエス様ご自身が命じているのだ。 イエスは群衆が駆け寄って来るのをごらんになって、けがれた霊をしかって言われた、「言うことも聞くこともさせない霊よ、わたしがおまえに命じる。この子から出て行け。二度と、はいって来るな」。<マルコ9:25> ペテロはいつもイエス様の御跡を慕う。 ペテロの得意技は主の真似である。 私は思う。 ペテロは決して、歴史に名を残そうなどとは思っていなかっただろう。 ただ、イエス様のように生き、一日も早く、お会いしたいと思っていたに違いない。 イエス様がこの地上に生きていてくださったときのように、共に歩みたかったに違いない。 私たちもペテロのようにイエス様をまねて生きよう。(た) 奇跡に満ちている人生 ああ、そのしるしの大いなること、ああ、その奇跡のすばらしいこと、その国は永遠の国、その主権は世々に及ぶ。<ダニエル4:3> 私たちは周りにいる一人一人の存在を当然のように思っている。 人間を見て、どうしてこんな生き物がいるのだろうか?などと思う人はいない。 しかし、私自身が今生きていることこそが、驚きであり、最大の奇跡なのである。 この世界の中にあるもので命ほど不思議なものはない。 心(魂)こそ、この地上で命を宿せる入れ物だ。 体は心を宿す器だ。 命の中に神の霊が満ち満ちている。 これが釘宮義人師の言うカタカナで書くイノチである。 カタカナで書くイノチは、私たちの心の中に躍動し、満ち溢れている活きた神のイノチの事である。 人間医学的な命ではなく、イエス様を信じる者の中で生きている神のイノチのことだ。 このイノチは神の存在の証、聖霊の証印であり、永遠にあり続ける命である。 神のイノチによって生かされていることこそ、私たちの人生の中で一番の奇跡である。 ハレルヤ!(た) #
by mitiru-takae
| 2021-06-27 15:01
| 満ちる
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神の知恵と指導者ガマリエルの考察 そこで、この際、諸君に申し上げる。あの人たちから手を引いて、そのなすままにしておきなさい。その企てや、しわざが、人間から出たものなら、自滅するだろう。 しかし、もし神から出たものなら、あの人たちを滅ぼすことはできまい。まかり違えば、諸君は神を敵にまわすことになるかも知れない」。<使徒5:38、39> 夜、獄の戸が開き、捕らえられていたペテロたちは、獄舎から御使いに助け出された。 そして御使いに言われた通り宮に行き、イエス・キリストの死と復活について語り始めたのである。 この事態を聞いた宮守がしらたちは、どうしようかと慌てふためいていたが、人々に石で撃ち殺されてはたまらないと、手荒なことはせず、使徒たちを連れてきて、議会の中に立たせた。 ところがペテロたちの話を聞くと議会にいる大祭司たちは激怒し、殺そうとさえ考えたのである。 この時出てきたのがパリサイ派であり、サンヘドリンの指導者であるガマリエルである。 神を信じる者が、世の中で起こったことに対して、神の意志に委ねようと思うのは、最高、最大の得策である。 イエス様の十字架は、神の御心に従い委ねた結果であった。 もちろん神の偉大なご計画の一端であるが、これを完成させるのは、人の子として生まれてくださったイエス様の神への従順と私たちへの愛の所以である。 神に委ねるということは、私の思いを捨てることだ。 さて、ガマリエルはパリサイ派の教師であるが、当時人々からとても尊敬されていた。 さすがの大祭司たちも、ガマリエルの言うことはもっともだと理解したのであろう。 彼らはガマリエルの勧告に従い、使徒たちは殺されずに済み、使徒たちを守るという神の意志はここに果たされたのである。 時に「そのなすままにしておきなさい。」というのは妙案である。 さらに「諸君は神を敵にまわすことになるかも知れない」という言葉は、神を信じている者に対して有効な言葉だ。 実に、ここにいる大祭司や仲間のサドカイ人らは神を信じている人々であるはずなので、神のなさることは面白くてなんと素晴らしいことか。 ペテロ以下、初代教会の聖徒たちが、これから異邦の地へと宣教に出ていく準備が神の手によって着々と進んでいくのである。ハレルヤ!(た) 雨と自動車と小鳥のさえずり 主は天を雲で覆い 地に雨を備え 山々に草を芽生えさせる。<詩篇147:8> 今年の梅雨は早く始まり、中休みがあってまた降り始めるといった、少々忙しい梅雨である。 気温も忙しくて、一日単位ではなく、朝、昼、晩と、暑くなったり寒くなったりだ。 私の狭い部屋は南向きの3階である。 雨が降り出すと、道路側の車のタイヤの走行音が大きくなる。 前のバス停では皆、傘をさして集まってくる。 雨音と自動車の走行音の合間に、かわいい小鳥たちの声が聞こえる。 鶯の鳴き声は特に大きく、大きな道路を隔てた南向こうの公園にある、森の木のように育った大きな木の間からも聞こえてくる。 木々の枝が揺れるのを見ながら、小鳥たちも雨が降るなかでよく飛び回っているな―という感じで可愛いものだ。 水害の心配もなく、雨音を楽しめるこんな静かな梅雨の雨はとても楽しい。(た) #
by mitiru-takae
| 2021-06-20 15:49
| 満ちる
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救いと癒しの完成 ペテロが言った、「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」。<使徒3:6> 金言である。 ペテロは仕事を捨ててイエス様に従ったが、世界で一番の宝を手に入れた。 聖霊に満たされ、イエス・キリストの御名を行使するものとされたのである。 私たちも同じ宝をいただいている。 美しの門のそばに置かれていたものは、生まれつき足が萎えて立てない男であり、物乞いは、彼の生業であった。 今日はいつもより良いものをもらえるかもしれないと思ってか、彼はペテロたちを見つめた。 しかし、彼の想像をはるかに超えて、なんと歩けるようになったのである。 生まれつき足の利かない者であれば、癒されたからと言ってすぐに歩けるものであろうか。 神のみ心は、すべてが癒されることである。 お金でもなく、パンでもなく、神を喜ぶ力と賛美をいただいたのである。 踊りあがって立ち、歩き出した。そして、歩き回ったり踊ったりして神をさんびしながら、彼らと共に宮にはいって行った。<使徒3:8> この時、彼は明日からもう今までの仕事ができない不安も、新しい仕事が果たして見つかるのかということも、なに一つの悩みもなく、ただ、神を賛美して躍りあがっていたのである。 この幼子のような魂を持ちたいものだ。 ところが、祭司長や、律法学者たち、はたまた役人たちまでもが、使徒たちに対して尋問してきたのだ。 そして、そのまん中に使徒たちを立たせて尋問した、「あなたがたは、いったい、なんの権威、また、だれの名によって、このことをしたのか」。<使徒4:7> 問題は、何の権威で、だれの名によってこれをしたのか―――、ということであった。 それは使徒たちがイエス・キリストの復活の証人となることであるし、イエス様の御名を世に示すためである。 十字架にかかって私たちの贖いとなってくださったイエス様が、死に打ち勝ち、復活し、昇天し、神様のすべての権威をいただくものとなった。 その権威は聖霊降臨をとおして、使徒たちにもたらされたのである。 この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」。<使徒4:12> 聖霊によってあらわされたイエス・キリストの御名はこの男の上に神の御心を実現した。 この神のみ心が、彼を完全にいやしたのである。 ここに救いと癒しの完成がある。(た) 時が裂けて ペテロの言葉に注目したい。ペテロがこんなすごいことを言っている。 私が若いころ「時というものは後ろから前に流れていくのかと思っていた」と、父とよく“時”問答をして楽しんだものだ。 主のみ前から来るのでなければ神の祝福の時(神の国)は私に到達しない。 それは、主のみ前から慰めの時がきて、あなたがたのためにあらかじめ定めてあったキリストなるイエスを、神がつかわして下さるためである。<使徒3:20> ペテロのメッセージは、釘宮義人牧師の時のとらえ方を彷彿とさせる。(以下抜粋を転載)(た) 永遠の時が裂けて…… #
by mitiru-takae
| 2021-06-13 14:44
| 満ちる
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