園の墓とイースターエッグ 2013.3.31

園の墓とイースターエッグ  

中にはいってみると、主イエスのからだが見当たらなかった。そのため途方にくれていると、見よ、輝いた衣を着たふたりの者が、彼らに現れた。女たちは驚き恐れて、顔を地に伏せると、このふたりの者が言った。「あなたがたは、なぜ生きた方を死人の中にたずねているのか。そのかたは、ここにはおられない。よみがえられたのだ。 <ルカによる福音書24:3~5>
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 イスラエル(聖地)旅行をすると、園の墓というところに案内してくれます。
 ["園の墓"は旧エルサレム・ダマスコ門近くの近くにある。キリストの時代の墓としては、自然のままで、何の粉飾もなく、周囲の雰囲気からしてヨハネによる福音書に記された"園の墓"をしのばせるに十分である。](関谷定夫著"聖書のあけぼの"参照)
 実際にイエス様を葬った墓ではないが、骸骨のかたちをした崖をみたり、お墓の部屋の中に入ってみたりすると、マグダラのマリヤたちの様子をわが事のように思えたりして感慨深いものです。海外旅行をしたいと思っている方には、やはり聖地旅行をおすすめしたいですねえ。
 
 もう一つイースターに欠かせないものといえば、イースターエッグです。イースターに教会に行くと、綺麗な模様をつけたイースターエッグがもらえます。赤、黄、ピンクなどのカラフルな固ゆでたまごは不思議な魅力がありますし、なにより子供たちが喜んでくれます。ひよこが卵の中から生まれ出てくる様はやはり復活のシンボルといいたくなります。
 IT用語にもこのイースターエッグというのがあります。隠されたイースターエッグを子供たちが探す遊びのように、ソフトウエアのなかにその開発者がメッセージをこっそりかくしておくのです。これをイースターエッグというのですね。私たちにはとてもわからない特殊な操作がいるようですが、見つけることが出来れば楽しいでしょう。
 
 イエス様が復活した時も、弟子たちはなかなかすぐにはイエス様がわからなかったのです。マグダラのマリヤは、お墓の中が空っぽで、イエス様のお体がないとお墓の前で泣いていた時にイエス様のお声を聞きます。お墓の中では見つけることができませんでしたが、イエス様のほうから声をかけてくださったのです。
 
 復活のイエス様は、弟子たちや多くの人々にお会いになりましたが、いつもイエス様のほうから近づいてくださいました。霊の目が開けると、目の前にいるイエス様が見えるようになり、心が燃え、皆イエス様の復活の証人とされるのです。
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# by mitiru-takae | 2013-04-03 05:28 | 満ちる | Comments(0)

祈り 2013.3.24

祈り   

 しかし、まことに神はお聞きになり
 わが祈りの声にみこころをとめられた
 神はほむべきかな
 神はわが祈りをしりぞけず
 そのいつくしみを私から取り去られなかった  
<詩篇66:19、20>
 
 高校入試を控えたあるクリスチャンホームの男の子がいました。彼は毎日祈っていました。「勉強に集中できますように!」
 お母さんも又、熱心に祈っていました。
 「イエス様、子供の希望する高校の入学試験に合格しますように。彼が自分で選択した道へ進む第一歩なのです。たとえ難しい受験であったとしても、あなたは必ず奇跡を起こしてくださると信じています。」
 そして男の子は無事志望校に合格することができました。
 お母さんは、イエス様に感謝しました。
 「イエス様、あなたの奇跡を心から感謝します。」
 それを聞いていた男の子が少し不服そうな声で言いました。
 「お母さん、奇跡ではないよ!僕が一生懸命勉強したからだよ。勉強できるように毎日祈って・・・。」
 お母さんは返す言葉がありませんでした。ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、二人の心が砕けそうになった時、あったかい大きな声がしました。
 「合格おめでとう!よかったね!二人とも祈り続けていたからね、嬉しいよ!」
 帰ったばかりのお父さんの声でした。
 
 私たちも祈る時は一生懸命です。
 それがいつの間にか自分の思いや希望を最善と決め付けてしまっています。自分の考えや、行動が一番正しいと思い、ついつい他人まで裁きかねないというふうになりがちなのです。
 しかし、それでもなおイエス様は、私達のこの愚かだけれども、必死で熱心な祈りを聞いてくださるのです。それはイエス様が私たちの魂のいちばん深いところにある私自身を、誰よりも知っていてくださるからです。
 イエス様にいつも愛される私たちでありたいですね。
 
 主よ、あなたはわたしを探り
 わたしを知りつくされました。
 あなたはわがすわるをも、立つをも知り
 遠くからわが思いをわきまえられます。  
            <詩篇139:1、2>
c0265111_223796.jpg(T.K画)
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# by mitiru-takae | 2013-03-26 22:03 | 満ちる | Comments(0)

主よ信じます 2013.3.17

主よ信じます 
 
 「主よ、信じます。あなたがこの世に来たるべきキリスト、神の御子である
と信じております」<ヨハネ11:27>
 
 主の足に香油を塗り、自分の髪の毛でふいたマリヤの姉、マルタの信仰告白
です。ラザロが死んで4日もたち、さすがに復活など信じられないという状況
の中でマルタはイエスによってこの素晴らしい信仰告白をさせられたのです。
 聖霊によらなければ誰も「イエスは主である」ということが出来ない<1コ
リント12:3>
 と聖書に書いているように、イエス様が告白させてくださるのですね。ハレ
ルヤ!
 
 ラザロの復活の記事では、私たちに対する深い愛と、サタンに対する怒りと、
父なる神を信じるイエス様のゆるがない信仰が、あの十字架への道を敢然と進
ませたんだと、胸に突き刺さるかのように感じさせられます。
 このラザロを甦らせた時のイエス様の心の状態が<ヨハネ12:27、28>を見
るとよくわかります。
 「今わたしは心が騒いでいる。私はなんといおうか。父よ、この時からわた
しをお救い下さい。しかし、わたしはこのために、この時に至ったのです。父
よ、御名があがめられますように」すると天から声があった。「わたしはすでに
栄光をあらわした。そしてさらにそれをあらわすであろう」
 
 ラザロの奇跡、そして更に本物の奇跡が起こるのです。父の業を行うと言わ
れる主は「たとえ私を信じなくてもわたしの業を信じるがよい」<ヨハネ10:
38>といわれます。(塵から創られたラザロのアダムの血を継ぐ肉体と、聖霊(神
の霊)によって創られた血を持つイエス様とでは復活の意味が全然違います)
 
 この父の業を行ったイエス様の凄い信仰を見てみたいと思います。
 これは私たちが同じように、いえこれ以上のことをするといって下さったイ
エス様の、わたしたちに教えてくださった私達の所有すべきイエス様の信仰な
のです。
 
①「石をとりのけなさい」・・・信仰による宣言をしました。(心の扉を開けな
さい)
②「信じるなら神の栄光をみるであろうと・・・」石をとりのけた・・・イエ
ス様の告白です。(これによって心は開かれました。私達の心の中も墓のなかの
ようなものでした)
③目を天に向け感謝しました・・・既に得たりと、信仰により受け取り感謝し
ました(私達の魂もイエス様が刈り取ってくださり父に感謝するのです)
④人々に信じさせるため・・・父の御心と同じ祈り(父の願いはイエス様の願
いです)
⑤大声で「出てきなさい」・・・大声で力いっぱい呼んでくださる(私たちも葬
られたままの姿で出てきました。しかも、新しい命を受けて、)
⑥「彼をほどいてやって帰らせなさい」・・・イエス様の栄光を見ます。祈りは
きかれました。(わたしたちも主の栄光を、この地上での御子の権威をみます。)
 そしてこのあとさらに、主の栄光を、イエス様の十字架と復活を、わたした
ちは見るのです。  <ヨハネ11:39~44参照>
 
 「わたしと父とは一つである」<ヨハネ10:30> 父もイエス様も同一者で
あってイエス様は神です。
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# by mitiru-takae | 2013-03-23 14:44 | 満ちる | Comments(0)

新しい創造 2013.3.10

新しい創造  
 
 見よ、わたしは新しい天と、新しい地とを創造する。
 さきの事はおぼえられることなく、
 心に思い起こすことはない。 <イザヤ65:17>
 
 神様はもう一度天と地を創造すると言われます。まったく新しい、天と地をです。
 私達の犯した罪も、生まれた時から持って生まれた罪も、その結果出来上がった今の私と、この世界のことも、全て忘れて、思い起こすことさえない、といわれます。
 
 新しい天と地では、わたしたちも、
 「見よ神の幕屋が人と共に在り、神が人と共に在り、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人とともにいまして…<黙示録21:3>」
 先のものは過ぎ去り罪に縛られた結果である、死も、悲しみも、叫びも、痛みもないものとされると告げられているのです。
 
 私達の体の細胞は60兆といわれています。高分子にいたっては300兆、一滴の血液の中には水、水素、ヘモグロビン分子があり、ヘモグロビン分子の中には2376もの原子があると、まるで私の体の中に小宇宙をみるようです。この星たちは、私達の体中をはしりまわっているのです。たえまなく、休むことなしにです。
 驚くべき創造をされた神様はこの小宇宙なる私たちをご自分に似せてつくられました。そして人間を創造の冠としてすべてを支配するようにといわれたのです。人間をみただけでこんなにすごいのですから、この宇宙はどんなでしょう、想像を絶します。
 
 神は彼らを祝福して言われた。「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また、海の魚と、空の鳥と、地に動く全ての生き物とを治めよ」<創世記1:28>
 
 今、私達はじぶんの体でさえ自分で治められません。心も、現代では治めることの出来ない人たちがたくさんいるのです。この世を支配するサタンの鎖にしばられているからです。
 そして罪というサタンの鎖は、縛られている人間自身の手で、この素晴らしい自然にまで、及ぶようになりました。すべてサタンによってもたらされた罪の結果なのです。
 
 しかし、主はこられます。報いをたずさえて。信じるものには喜びです。
 私たちはまったく新しい栄光の天と地に住む権利と、そのためにこの世で戦っていかねばならない戦いのための権威と力をいただいています。
 私たちは戦えます。サタンに立ち向かっていけます。
 日々新しい天地を魂の中にいただいて、天国の前味をかみしめ、イエス様と共に立つのです。
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# by mitiru-takae | 2013-03-12 23:05 | 満ちる | Comments(0)

私に聞け! 2013.3.3

私に聞け! 
 
 新改訳ヨブ記から、エリフの言葉に注目したいと思います。
 エリフはヨブに対して怒りを燃やしていました。
 「ヨブが神よりもむしろ自分自身を義としたからです<ヨブ32:2>」
 また、ヨブの友にも怒っていました。しかし、若いエリフは遠慮して自分の意見を言わなかったと言っています。
 ところが、突然エリフは口を開くのです。
 「わたしには言葉があふれており、一つの霊が私を圧迫している。私の腹を<ヨブ32:18>」
 神様の霊がエリフを揺り動かしているのです。お腹の底から神の言葉が今にも飛び出しそうなのです。いいえ、飛び出してきたのです。
 「今、わたしの腹は抜け口のないぶどう酒のようだ。新しいぶどう酒の皮袋のように、今にも張り裂けようとしている<ヨブ32:19>」
 まさしく聖霊様の働きです。エリフのなかに主イエス様を見るようです。パウロがいうように「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです<ガラテヤ2:20>」という今の私たちの時代の奇跡を、まだ十字架のイエス様を知らないときにすでにエリフを通して知らしめてくださっています。
 イエス様の贖いについても「神は彼をあわれんで仰せられる。『彼を救って、黄泉の穴に下っていかないようにせよ。わたしは身代金を得た』<ヨブ33:24>」というように、贖いのためのイエス様の命を既に得た・・・と言っているようです。
 ヨブが神様の前で「わたしは義(ただ)しい」というとき、あの王の礼服を着ずに婚礼の席にすわった人を思い出します。わたしたちが義とされるのは王の礼服、イエス・キリストを着ることによる(これはイエス・キリストの信仰です)のです。これ以上のとりなしは世界中どこにもありません。
 いよいよエリフは声を張り上げます。
 「人の魂を黄泉の穴から引き戻し、いのちの光で照らされる。
  耳を貸せ。ヨブ。私に聞け。
  黙れ。私が語ろう。
  もし、言い分があるならば、私に言い返せ。
  言ってみよ。
  あなたの正しいことを示してほしいからだ。
  そうでなければ私に聞け。
  黙れ。あなたに知恵を教えよう<ヨブ33:30~33>」
 このあとエリフは語り続けます。そして語り終えるとヨブは何ひとつ返答する間もなく、神様が語り始めるのです。嵐のなかから・・・!
 救いはもうすぐです。
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# by mitiru-takae | 2013-03-09 21:46 | 満ちる | Comments(0)