私は強い 2013.1.27

私は強い 

私の恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる <Ⅱコリント12:9>
なぜなら、私が弱い時にこそ、わたしは強いからである <2:10>

パウロは自分の体験のことを、この言葉の前に書いていますが、すごい体験です。
体のままか、体を離れてか、とにかく第三の天にまで引き上げられた―――と言うのです。パラダイスに引き上げられ、口に言い表せない、人間が語ってはならない言葉を聞いた…とも言っています。
これは本当のことなので、実は誇ろうとすればいくらでも誇れる、今で言えば聖霊体験といわれるような特別な霊的回心体験というものです。人間的、肉的にいくら求めても悟りえない、神様から来るものですね。
また、いくら言われても体験のないものには想像がつかないものです。だからこそ私は求め続けますが(笑)。
しかし、これがないと信仰がない、解ってないということはないのです、そんなことはありません。
イエス様が私たちに示してくださる啓示は人それぞれ、10人いれば10人違います。導かれる方法も様々です。
パウロは多分、人間的にも全てにおいて出来のよい人だったんですね。
「高慢にならないために肉体に一つのとげが与えられた <12:7>」
そして三度も自分を打つサタンの使いを離れさせてくれるように祈りました。その時に答えてくださったイエス様の答えが、冒頭に書いたみことばです。

実際、弱い時に私は強くなれるのでしょうか。
こういうことがあります。信仰も強いけれど、この世での生き方も強く何でもこなせる。パウロのような人かもしれませんが、この人が何かで、たとえば病気や他のアクシデントで自分では何も出来なくなった場合、本当に信仰が試されるかもしれません。今まで信仰であらゆることを乗り越え、勝利してきたと思っていたのに、その信仰が突然消えてしまったかのようにないのです。
それは、今まで信仰でやってきたと思っていたことは間違いで、人間的な能力でこなしてきていたわけです。実は大きな勘違いをしていた、信仰ではなかったのです。
この非常事態、この時、
「わが魂はもだしてただ神をまつ。わが救いは神からくる。<詩篇62:1>」
としか言いようのない無力な自分を見せられるのです。
ここに救いがあります。このどうしようもなくみじめな自分を知る時初めて神様の力が自分に働くことを知ることが出来るからです。
まるで魂の死んだ状態の私が、イエス様の生きた命と一つになって共に生きると言うことがおきるのです。
私が弱い時にこそ、イエス様の命がわかります、力がわかるのですね。
弱さを恐れることはありません。私は主にあって強いのです。どんな時にでもです。極端にいえば私がどのように無様な姿をさらしていてもです。
私の本当の命と力はキリストの中にあるからです。
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# by mitiru-takae | 2013-01-29 21:15 | 満ちる | Comments(0)

とりなしは祝福の祈り 2013.1.20

とりなしは祝福の祈り   

橋頭堡という言葉を知っているでしょうか、と言うのも父がよく言っていた言葉だからです。
「サタンは私達の心の中に橋頭堡をつくる」というのですが、この橋頭堡というのは敵地などで作戦を有利に運ぶための前進拠点をつくるというようなものなのです。
私たち信じるものは、サタンにとっては敵です。しかし踏み込めないのです。なにせ私たちには、大天使ミカエルが率いるイエス・キリストの天軍がついているからです。おびただしい軍勢です。あの赤い龍を天に居られなくしてしまった大勝利の天軍なのです。

さて、天では戦いが起こった。ミカエルとその御使いたちが、龍と戦ったのである。龍もその使いたちも応戦したが勝てなかった。そして、もはや天には彼らのおるところがなくなった。<黙示録12:7>

そこで私たちを思うように出来ないサタンは遠隔操作でなんとか砦を敵の陣地内(私たちの心のほんとに肉に近いところでしょう)に橋頭堡をつくろうとします。これが成功すると、気付かないうちに私達の心はまどわされてしまうのです。
神よりサタンの虜である人を恐れます。その人たちの言うことを信じてしまいます。サタンの虜である人たちが素晴らしく思えてきます。
そして、不安を抱くようになるのです。サタンの思う壺です。
特に気付きにくいのが、あらゆるとりなしの祈りでしょうか。
良かれと思い人のために、又多くの事柄に対してとりなします。いつの間にか自分の希望を押し付け、自分の正しいと思う道に進むように祈っているのです。身勝手な執り成しです。
これもサタンにすればより大きな橋頭堡をつくるいい材料になりかねないのです。
全てがそうという訳ではありません、が、本当に真のとりなしをしてくださるのはイエス様だけなのです。
父のためにとりなしの祈りをした一年くらいの間に主が示してくださいました。
「とりなしのために私が居ます。かえって相手の祝福を祈りなさい」
確かこのときも父が同じ事を言うのでびっくりしたような気がします。祝福は自分にも帰ってくると。

彼は悪い訪れを恐れず
その心は主に信頼してゆるがない <詩篇112:7>

しかしたとえつくられたとしても、です。サタンの橋頭堡をしらみつぶしに崩していきましょう!神の武具でミカエルと共に、イエス様とともに立ち向かうのです。これは日々の戦いです。
私たちは神を畏れます。たとえ肉の外なる人は滅びようと内なる人は日々新た!魂のどん底から主の霊が突き上げてきて腐りかけている肉も骨も生き返ります。
私たちにとってたとえ嫌なことでも、人でも、とにかく祝福を祈りましょう。誰も見ていないあなたの部屋で、そして教会で、世界中の祝福をイエスの御名によって祈りましょう。
不安も,恐れも、悪い訪れさえも、イエス様の祝福に変えられます。ハレルヤ!
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# by mitiru-takae | 2013-01-22 20:40 | 満ちる | Comments(0)

富める青年 2013.1.13

富める青年  

イエスが道に出ていかれると、ひとりの人が走り寄り、みまえにひざまずいて尋ねた。
「よき師よ、永遠の生命を受けるために、何をしたらよいでしょうか」
                  <マルコ10:16、17>

私たちはイエス様を誰と思っているでしょう。
いいえ、そもそもイエス様というお方を知っているでしょうか、ということです。
「何故私を良き者と言うのか。神一人のほかによきものはいない」と、イエス様が言う時、この青年は一体どんな顔をしたのだろうと、覗いてみたくなります。多分「???」と、言っている事がよくわからなかったに違いありません。
イエス様を「教師」として教わりにきたとしても、きっとイエス様の口からは、教師の言うことと同じことしか聞けないかも知れないし、
それは、彼にとってはさほど難しいことでもなく、かえって「教師」に賞賛さえされかねないほどの出来のよい青年であったに違いありません。
それに、彼は何不自由なく暮らし、有り余る財産をそこそこ献金し、施し、律法も守り、自分に足りないものがあるなどとは露ほどに思わず、「もっと良いことをしたい」とさえ願うほどの愛すべき青年であったろうと、わたしはちょっとほほえましくさえ思うのです。
ところが、
「あなたに足りないことが一つある・・・」<マルコ10:21>
といわれた時、顔を曇らせ悲しんで帰るその青年の後姿はイエス様にとってもとても悲しいことだったに違いありません。
彼を追いかけて行き、言ってあげたかったであろう言葉は、
「人には出来ないが、神にはできる。神は何でもできるからである」<マルコ10:27>でしょう。
弟子たちにもわからなかった「富んでいる者が神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通る方がもっとやさしい」<マルコ10:25>というお言葉も、
「イエス様が神である」「イエス様が私の救い主である」と知ったならば、イエス様の真の姿を知るならば、きっとこの富める青年にも、私たちにだってわかるはずです。
「神様に不可能はないのです」ということが。
どんなに難しいことのように思えても、神様の御心はすべて成就します。
私たちには、この青年のように放せないものが幾つかあるかもしれません。いえ「どうしてもこれだけは」というものが一つはあるものです。物であるか、思いであるか、自分にしかわからない何かです。
それが何であれ、私たちにとって「足りないことの一つ」だろうと思います。
手放せないものを放せたとき、それは私の決心というよりは、イエス様の愛と私達の神様への畏れがこれをさせて下さるような気がします。
「神一人のほかに良き者はない」と断言できる絶対的主権者が、神であり聖霊であるイエス・キリストなのです。
ハレルヤ!
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                      (ホフマン画)
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# by mitiru-takae | 2013-01-15 21:14 | 満ちる | Comments(0)

新年おめでとうございます! 2013.1.6

新年おめでとうございます!   

「心に満つるより口はもの言うなり」(ルカ6:45)

この聖句は青年時の私にとって一転語となった句だ。この聖句が、私の心にとびこんできた時、私はこううけとめたのだ。私が、本心からとは言えそうもない軽はずみな言葉で「神さま!」と呼んだり、「あなたを信じます」と言ったりした時、その言葉は正しくバチあたりな偽善語であるのだけれども、尚かつそれがイエスの側から見れば真実語であって、正しくその表面語のとおりに心の中身もそうなのだとイエスは証明される。この際、人間の思いよりも神の思いがかしこく私の反省よりもイエスの保証の方が正しいと、ピタリ私の内心が納得する時、私の内側に信仰がおこるのである。
   
以上は「心に満つるより」No.1からの抜粋です。
このころの父がよく言っていたことです。「本音と建前が一緒(同じ)にならないと本物ではないね」つまりいつも自分が出来もしないことであっても建前としてでも人前で言っているうちに自分の中でそのことが本物になり本音で語ることが、もう建前と同じことになっていて実行すら出来ている、ということなのです。
それと同時に言っていたことが「建前ででも、出来ないことでも、とにかく御言葉を告白し続けることでイエス・キリストの信仰によって魂の中が聖められてくる、御言葉が成就するんだ」-----です。
前者はこの世の中でのノウハウ!であり、後者は信仰成長でのノウハウです。
「心に満つるより」はずいぶん父の若い時の冊子ですが、今読んでも新しい。
独特な哲学的表現が時々くどくて分かりにくいことも(笑)ありましたが、それもまた味わい深いものです。
心の中にイエス様の証しが一杯いっぱいに詰まってくると、私たちは黙っておれなくなります。この事が確かに聖霊様により承認される時、それはまさにイエス様からの啓示として、私たちの心の中で不動の物とされるからです。黙ってはおれないのです。
私たちの心の中から溢れ出して来るイエス様のお言葉を自身の本音として証ししていきたいものです。

新しい年、溢れるばかりのイエス様のご恩寵の中で、御言葉を告白し心を満たしていただきながら、さらに皆と共に前進していきましょう! 今年も主に在ってよろしくお願いいたします。
                        <孝枝>
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# by mitiru-takae | 2013-01-08 20:45 | 満ちる | Comments(0)

昂揚 2012.12.30

昂揚  
   
 聖霊の働きだろうか。意識の昂揚が甚だしく、居ても立っても居られないという感じで、昂奮している。何かやりたい。思いのやりったけ、働きたい。活動したい。世に訴えたい。
 今、夜半を越えて1時55分だが、大きな変化が私の魂に起こりつつあるな、と思う。私の人格に強固な高まりが起っている。神様の押し迫りだ。感謝、感謝、言い表せない喜びがある。
 神様、有り難う御座います。今後、素晴らしいことが起こるでしょうね。
 祈りつつ寝ます、いやいや、寝て居れませんねえ。神様、感謝します。一切が変わります、神様が後押しです。私はただ、イエス様を信じて前進するだけ、全力を尽くすだけ。
 今、2012年9月25日午前2時過ぎ、この記録は生涯忘れ得ないであろう。私に取っては掛け替えのない経験である。大感謝! 大感謝! 
 午前2時20分、寝る。

***

覚えている方もおられると思います。以上は日岡だより第561号に掲載した父の日記です。
この時はわたしは何もわかってはいなかったのです。これほどの昂揚感と聖霊様の押し迫りを感じていたなんて、と今日ふと読んだ時びっくりしたのです。思い返せばこの頃の父は何か思い立ったら、いても立っても居られない、そんな感じはしていたように思いますが、これほどまでとは思っても居ませんでした。
またまた、「父ちゃん」から離れられない不甲斐ない娘と思われるでしょうが、こと信仰に関しては今も、これからも主にある同志で在り続けるという感じですね。
私が興奮冷めやらぬ一つは、この「聖霊様の後押し、あとはイエス様を信じて前進するだけ」にあるのです。
この教会の存続するにあたっての私たちが頂いた「イエス様からの啓示」でありましたから。
「この教会はキリストの体であって、すべてのものを・・・」を合言葉にして。
この父の聖霊による大興奮と言葉は、まさにイエス様からの預言です。
まるで今の教会を見ているような、そんな言葉です。
私たちも聖霊様によって押し出され、何かせずにはおれない、賛美と感謝が溢れて、喜びが後からあとから湧いてきて、喜びの涙さえ流すことがあります。
このように五感に響く興奮せずには居れないような体験を一度でも経験すると、今までの人生が180度変わりますね。確かに信仰は感情によらず受け入れることも大切です。しかし、わたしたちはもっと聖霊様によって昂揚すべきです。
ゲッセマネでイエス様は血の汗を流し、御霊に満たされて弟子たちのために、私達のために執り成して下さいました。このイエス様を知る時わたしたちは昂揚せざるをえません。私達の贖いのための杯を受けるイエス様のこの魂の興奮、昂揚が伝わってきます。

そしてわたしは彼らに御名を知らせました。またこれからも知らせましょう。それは、あなたが私を愛して下さったその愛が彼らのうちにあり、又私も彼らのうちにおるためであります。
          -ヨハネ17:26-
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# by mitiru-takae | 2013-01-01 22:30 | 満ちる | Comments(0)