十字架の祝福 2013.6.9

十字架の祝福 
 
 十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたちには、神の力である。<コリント人への第一の手紙1章18節>
 
 神様が天からくださる恵みは尽きることがありません。
 私たちが求め、受け取るならば、無限の祝福がわたしのものとなります。
 しかし、わたしたちはなかなかこの無限の祝福を受け取っていないのだと、『ヤベツの祈り』(ブルー・ウィルキンソン著)は言っています。
 実際わたしたちはこの無限の祝福を信じていないのでは?と思ってしまいます。十字架の言葉が信じないものにとっては愚かな、本当に神の栄光のかけらも無いように見える、ただ悲惨なだけの歴史的事実、そう!、そういうイエスという偉人がいたんだよとしか思っていない?というように。
 しかし、十字架はこのような愚かな考えであった私たちの、実は最大の祝福なのであり、恵みであるのですね。また奇跡が起こる可能性なのです。なぜならこの愚かな考えをしていたわたしが、イエス様を神と認め、十字架のまことの意味を知るようになるからです。
 
 キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました。「木にかけられた者は皆呪われている」と書いてあるからです。<ガラテヤの信徒への手紙3章 13節>
 
 十字架はイエス様にとっては完全に「呪い」を受けることでした。
 わたしたちの贖いのため、神様がとった最高の手段はご自身を十字架につけて呪われるものとなることでした。
 そして、この十字架の呪いはわたしたちの祝福となったのです。一人のひと、完全なる人間イエスがイエス・キリストとして私たちに贖いの祝福をもたらしてくださったのです。なんという恵み、なんという愛でしょう。
 イエス様を信じるということは、十字架を私への祝福として受け取ることです。
 信じない人にとっては十字架は呪いのままです。信じられない、愚かな出来事でしかないのです。
 
 しかし、わたし自身には、わたしたちの主イエス・キリストの十字架以外に、誇とするものは、断じてあってはならない。<ガラテヤ人への手紙6章14節>
 
 イエス様の十字架は、私たちをこの世の悪しき支配から解放してくださる無限の祝福であり、たった一つの方法です。
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# by mitiru-takae | 2013-06-14 02:00 | 満ちる | Comments(0)

神様の祝福 2013.6.2

神様の祝福 
 
 悪をもって悪に報いず、悪口をもって悪口に報いず、かえって、祝福をもって報いなさい。あなたがたが召されたのは、祝福を受け継ぐためなのである。<Ⅰペテロ3:9>

 以前父が「とりなしは祝福の挨拶をおくること」と言っていました。毎朝のとりなしの祈りの時一人ひとりに祝福の挨拶を贈るんだ(送るんだ)といっていましたが、最近は本当に祝福に勝るものはないと知らされることが多く、又その証しや結果が実りつつあるようです。まさに私たちの教会は神様から、釘宮義人牧師から祝福を受け継いでいると言えます。
 長い長いクリスチャン生活を送っている人も、イエス様のお名前を知ったばかりの人も、笑いと同様に誰にでも安心で有益なお勧めは、やはり「祝福の祈り」です。
 私たちが問題などの解決のため祈ろうとする時に、私の思いではなく「主よあなたの御心を教えてください」とよく祈ります。そう祈りながら実は心の中では自分の義を押し通していることがしばしばなのです。しかし私の求めを聖別してくださるのも主です。
 まず、私の善悪(ブルース・ウィルキンソン著【ヤベツの祈り】でいうなら自前の武器)を捨てて祈る、ですが、簡単のようでこれがなかなか出来ないことの一つなのですね。
 この私たちが持っている善悪(自前の武器)なるものは、財産、能力、過去の経験、訓練してきたものなど、とにかく捨てがたいものばかりです。しかし、これが一番先に頭をもたげてくるとそこからは進むことが出来ないのです。何故なら、神さまの力は私の弱いところに完全にあらわれる<Ⅱコリント12:9>とあるからです。
 たとえ捨てられなくても、ここぞとばかり、神様は弱る時【神様の時】を造ってくださいます。人の力の及ばない時を下さるのです。この時がチャンスです。

 これは権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである。<ゼカリヤ書4:6>

 神様の霊によって、私の思いではなく神様の最善の業が求められ、叶えられる。これこそが祝福の祈り、釘宮義人牧師が言う祝福の挨拶もそうです。自分で捨てられもしなかった自分の宝が、いつの間にか神様の宝とすり替わっている…、本当にある一人の人の部屋から起こる小さな祈り、けれども大きな祝福の始まりだと思うのですね。
 「祝福をもって報いる」これは神様のなさることです。出来ない、言えない、悔しい、ではなく、「○○さん、もしくは○○に祝福がありますように」と祈りましょう。告白しましょう。簡単です。言うだけです。「何かをせよ」とはいっていません。あとは神様の祝福が私たちを後押ししてくださいます。気がつけば主が共にいて私を守ってくださっていて、私の色々な地境が広がっていくでしょう。
 「ヤベツの祈り」は究極の祝福の祈りのようです。
 
 ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った、「どうか、あなたが豊かにわたしを恵み、わたしの国境を広げ、あなたの手がわたしとともにあって、わたしを災から免れさせ、苦しみをうけさせられないように」。神は彼の求めるところをゆるされた。<歴代志上4:10>
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# by mitiru-takae | 2013-06-06 23:17 | 満ちる | Comments(0)

永遠に続く祝福 2013.5.26

永遠に続く祝福  

 わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。
 見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである
                        <コリント人への第二の手紙 / 4章 18節>
 
 目に見えないものってたくさんあります。私はよく空中教会という言葉を使いますが、私の父は「心の王国」といいました(^^) イエス様を信じるものの心、いえ霊のネットワークなのです。霊のコミュニケーションが出来るところ、宝の保管場所、今で言えば、クラウドといわれているものの様な(私もよくわかっているわけではないのですが…)、なんだかやっと聖書に科学や文明が追いついてきたようなそんな気さえします(言いすぎですか(苦笑)?)
 そこには、きっと無限の祝福が隠されている・・・そのように思いませんか?だって天国とつながっているところだからです。その天国はわたしたちの只中にもあると聖書はいっています。
 ですから、イエス様そのものがわたしたちのエクレシア、天国、宝のあるところ、御座、至聖所…そうなんです。イエス様がすべてなのです。見なくて信じるものは幸いです。
 わたしたちは求めた時、もう、すべてをいただいているに違いないのです。これを信じることこそ信仰であり、その信仰とは確実に信じられるイエス様の信仰(釘宮義人牧師がいつも言っていた)を私たちが所有しているということなのです。
 最近、祝福の祈りについて教えられるところも多く、証しもたくさん出てきていまして嬉しい限りです。そんな中、今、週報に載せて毎週告白しています「ヤベツの祈り」をさらに思い返すべく、そのすばらしさを先日いらっしゃっていました永井明先生が木曜の聖書学習会で語ってくださいました。その中の天国にあるまだ受け取っていない祝福(主が用意してくださっているもの)が、蔵の中に山のように積まれているお話しがありました。私たちが求めていないからなのです。
 「私たちはもっと求めていかないとね」とはなしていたとき、最近婚約したK先生のことをお聞きしました。そのイサクならぬK先生の妻選びのことです。先生の信仰を見せられた思いがしました。すべては申し訳ないことに覚えていないのですが、ご両親である牧師先生ご夫妻がこのようなことをいっておられました。
 お嫁さんをお世話してくださる方に要望をだしました。というよりイエス様に要望をはっきりと書きだし祈ったのですね。クリスチャンホームのお嬢さん、もちろんご本人が信仰をお持ちであることもですね。賛美についての重荷をお持ちであること。子供たち、教会学校についても重荷を持てる方。そして自分より年下であること。などなど、すごいですね。これほどはっきりと主の前に要望をつきつけたのですから。そして祈りは叶えられ、祈りは先生のものとなりました。求めよさらば与えられん!勝利!
 神様はいつまでも、いつまでも待っておられ、わたしたちへの祝福は尽きることなく、永遠になくなることがありません。
 主よ、わたしを大いに祝福してください。アーメン!
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# by mitiru-takae | 2013-05-29 14:50 | 満ちる | Comments(0)

ペンテコステの奇跡 2013.5.19

ペンテコステの奇跡 

 五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、突然激しい風が吹いてきたような音が天から起こってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。<使途行伝2:1、2>
 
 イエス様が復活してから50日目、ユダヤの五旬節という祭りの日に突然起こったものすごい出来事、聖霊が下った時の有様が書かれています。
 今はもう運行廃止となりましたが、大分の空港に飛行機の利用客を運んで行くためのホーバークラフトというのがありました。海の上を波を越えて走る姿はとても勇壮でしたし、空港までかかる時間も早いという便利のよいものでした。
 ところがこのホーバークラフトのエンジンのかかった時の音ときたら、それはそれはすごい大きな風の音がするのです。東京にいる妹を送り迎えするたびにこの光景に出会っていたのですが、よくこのペンテコステの「天からの激しい風が吹いてきたような音」を思い浮かべていました。
 このすごい光景の中でペテロたちは聖霊に満たされていろいろな国の言葉で語り始めるのです。
 
 すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。<使徒行伝2:4>
 
 聞いていた人たちはびっくりしたのです。何せ自分たちの国の言葉を聞きとることができるのです。お祭りの最中ですからいろいろな国の人たちが集まっていました。そして皆あっけにとられるほどに使徒たちは色々な国の言葉で話していたわけです。
 想像してみますと皆がそれぞれ声を出して語っていた訳ですから、また、酒に酔っていると間違われたほどですから、相当うるさかったに違いありません。その中で聞いた人々は、よく言葉を聞き分けることが出来たなあと思うのです。
 言葉を聞き分け、聞き取り、受け取る。これも聖霊様による働きでしょう。
 皆に向かって話しているようでも、私に必要な言葉を語っていただいている。そのような時がよくあります。
 はっきりいって私たちの語る異言はこの時の使徒たちのような、人にわかる言葉ではありません。まして異言を解き明かしたり預言をするなど、まだまだ賜物を研ぎ澄ますことができていないようです。
 しかし、ペンテコステの奇跡はイエス様が直接わたしの上に来てくださり、留まってくださり、私の中で生きてくださるということのように思えます。
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# by mitiru-takae | 2013-05-25 19:30 | 満ちる | Comments(0)

すべてが新しい 2013.5.12

すべてが新しい 

 だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。
             <コリント人への第二の手紙 5:17>
 
 これは父の思い出話にもなるのですが、戦後の大分駅で戦災孤児たちを集め父がお世話をしていた頃のことです。皆が自分のことで手一杯、人のことなんて考えられもしない頃です。親とて例外ではなく自分の食べることだけでもままならないのに、子供のことなんてなかなか、とにかく必死で生きている…そんな人たちが多かったのではないでしょうか。そんな中で、親と死別、消息がわからない、身よりは誰もいない、このような子供たちが駅には集まってきていたのでしょう。戦争とは終わってもなお悲惨です。
 父はせっかく母親が着物をお米に変えてきたものをおにぎりにしてその子供たちに食べさせてしまいました。私にとっては祖母ですが、よく自分の息子のすることを黙ってみていたと思います。自分の正義を貫くということはある人を犠牲にしてしまうものです。私たち人間の義とは、こんなものです。父はよく祖母をしのんで「ごめんね!」と言って謝り、また信仰を褒めちぎっていました。
 このような親もいます。自分が連れて行けず、子供が足手まといとなって、この戦災孤児と共にいた父の前に、おきざりにして去っていく父親です。どんな親であっても、子供にとってはかけがえのないものです。その子は去って行こうとする父親の腕にぶら下がるようにして泣いてすがりついていたというのです。それを振り払ってこの父親は去っていったのでしょうが、何度も言います、如何なる親であっても、子供にとってはかけがえのない、大切な存在です。
 私たち人間は、ある状況によってはどんな残酷なこともしてしまいます。本来の神様が創ってくださった人間は、いないのです。皆、罪を背負って生まれてくるのです。戦争は多くの人たちに、犯したくない罪を犯させ、したくもないサタンの仕事をさせてしまいますが、なにげない日々の生活の中でも、それはありうることです。この世はサタンに支配されているからです。
 そんな闇の支配から、信じるものは助け出されました。イエス様の十字架の血潮によって罪は帳消しとなりました。天国の勘定に入れられました。人間の義ではなく神様の認める義とされたのです。
 イエス様を信じるということは、この世のどんなものよりも大切でかけがえのないものであり、信頼のおけることなのです。そしてゆがんだ身勝手なこの世の愛でさえも、このイエス様にかかると、真実の愛に変えられてしまうのですから本当にびっくりです。
 イエス様がニコデモという律法学者に言いました。「誰でも新しく生まれなければ神の国を見ることはできない」と。
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# by mitiru-takae | 2013-05-25 19:28 | 満ちる | Comments(0)