【日岡だより】主の前に恵みを得よ (創世記説教②) 2024.5.25更新

主の前に恵みを得よ
(創世記説教②)

       一

 アダムとエバの長男がカイン、次男がアベルです。カインは土を耕し、アベルは羊を飼う者になりました。つまり人類最初の農業者、牧畜業者であったわけです。カインは土の産物つまり穀物や野菜を、アベルは羊のうい子を神様に供えました。その時、神様はアベルの供え物を受け入れ、カインの供え物は受け入れなかったというのです、なぜか。カインは惜しみ惜しみ麦の一たばでも持って行ったんだろう、それが神様の怒りを買ったんだ、と言う人があります。しかし私は、そうではない、カインは誠心誠意まごころをもって供え物を持って行ったのかも知れないと思うのです。しかし神様の不興をかった。なぜか。カインには分らない。そこでカインは腹を立てた。悪いと言えば、カインの悪いところはそこなのです。神様の理不尽な仕打ちに平伏すべきなのです。
 せっかく善行を行い、いい気分でいるところに意外にも人から非難を受けたり病気になったりする、一生懸命祈ってすがすがしい気分で居るところにかえって都合の悪いことがおこる。そこでこれはどうしたことかと神様の前にふくれてしまう。よくあることです。カインはそれをやったわけです。同情すべき点があります。こんな時あなたはどうしますか。
 カインにはアベルを殺そうという思いがおこりました。その思いをうけいれてはならなかった。罪の思いが起こったとき、その思いをあなたの心の門口で制御しなくてはなりません(創世記四・七)。その思いを心の中に入るのを許してはなりません。誘惑の来るのは仕方のないことです。キリストにさえも誘惑は来ました。いけないのは誘惑を受け入れてしまうことです。それがカインの破局を生みました。
 要するにカインは最初自分の供えものが神様に拒否されたとき、それを不満に思うのはもっともですが、然し理由の分からないまま神様の仕打ちに従うべきでした。それが従順というものです。イエスは言われました。「いま私のしていることは、あなたには分からないだろう。しかしあとで分かるようになるだろう」。
 神様の仕打ちが理不尽に思われるとき、それはつらいものですね。アベルの側にとっても同様でしたでしょう。彼は一度は神様に受けいれられました。しかしそのことは却って仇となり命を失うことになります。「神様、こんなはずではなかったのに」と言っても間にあいません。これもまた理不尽なことです。しかしこのとき、アベルもまた新約聖書の教えに従うなら「その日には喜び踊る」べきでありました(ルカ六・二二、二三)。それがアベル以上に残虐な死をとげつつも敵を愛し許したイエス様の教えであります。

       二 

 アベルの代りに生まれたのがセツ、それから九代目(つまりアダムからは十代目)がノアです。
 ノアの洪水の物語はあまりに有名ですから、くわしくは申しません。当時の人類は余りに悪しく暴虐であった。神は彼らを滅そうとされる。ノアはその中にあってただひとり正しくかつ完全なひとであった。そこで神はかれに箱舟を作れという。それは巨大な舟で、しかも帆柱はないし、そして山の上に作れという。そのような無茶な神の命令にノアは従順でありました。聖書のノア伝(創世記六・五〜九・二八)をよく読んでください。ノアという人物について学ぶべき最も大事な点はつぎの事がらです。
 ①ノアの信仰の第一番はまず神様に恵みを求めたことではなかったでしょうか。そして神様の恵みを得ていることに彼は確信があったようです。その故にノアについては、まず最初に神様の恵みが記されています。(創世記六・八)。
 ②聖書を見るとノアの正しさと完全さは以上の神様の恵みの後で語られます。ノアが正しく完全であるから神様の恵みを得たのではなく、始めに神様の恵みを得ていたので、彼は正しくかつ完全であり得たのです。
 ③人間の常識を越えた箱舟の建造命令を神様から受けてノアが従順であったことは先に述べたとおりです。そしてそのことは改めて、神様から「お前は私の前に正しい人であると、私は認めた」と言われることになる。実行の故に、先のノアの信仰が更に神様により認証されるのであります。
 ④さてノアの箱舟には窓がありません。天窓だけです。うす暗い箱舟の中で水や風やぶっつかる岩などの音を聞くだけ、あるいは動物たちの汚臭にまみれ時には不安にさいなまれつつ一年近くをすごしたのであります。その忍耐を思い見るべきであります。
 ⑤さらに驚嘆すべきことには、乗船以来十か月半たって、ノアの六百一歳の一月一日、箱舟の覆いをはいでみて地面はすでにかわいていることを知ってからも、神様から「箱舟を出なさい」との命令のあるまではじっと舟中に待っていたことです。ノアは実に神様の言葉に従順な人でありました。
 ⑥しかしノアはあの過酷な箱舟の中の生活で少しストレスをおこしていたのではないでしょうか。箱舟を出てから葡萄酒を飲んで子供達のまえに裸身をさらけだして恥を負ってしまいました。彼は舟中の不安と騒騒しさの中においても「その日にも喜び踊って」おれる聖霊の喜びを知っておるべきでした。舟を出てホッとしたからと言って、酒に酔うなどとは神の人にとり必要の無いはずのことでしたのにね。
(二月二十四日の礼拝説教より。相当、割愛しました。もっとくわしくはテープをお聞き下さい)〔釘宮義人〕
【1985.3.3週報「キリストの福音」掲載】




# by mitiru-takae | 2024-05-25 17:45 | 日岡だより | Comments(0)

【満ちる】No.603 ペンテコステの日を迎えて 2024.5.19

ペンテコステの日を迎えて

五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。
<使徒2:1~3>

 ペンテコステの日、礼拝の中では、使徒行伝のこの個所をよく開きます。
 この日、ペテロたちに起こった一大事件です。このようなことが起こるとはだれ一人思ってはいなかったでしょう。

 私たちはよく、聖霊に満たされて祈りましょうという時、異言や霊歌を伴って祈ることを期待します。ペンテコステ派ならではの、聖霊様との一体感があります。
 ずいぶん昔の話ですが「キリストの福音大分教会の別府聖会」で、まるでリバイバルが起こったかのような祈りと賛美の時を初めて体験した時のことを「満ちる」のなかで話しました。

 初めてとはいっても、異言や霊歌が、初めてでしたというわけではありません。
 唯、「聖会」という当時の小さな教会ではめったにない人数での集まりの中で、一人ひとりの炎が一気に一つになって燃えたようでありましたから、感無量でありました。

 さて、最近は癒しを求めてよく祈りますが、「私たちの全てを支配してください」と聖霊を求めて祈るときはなかなかありません。
 「いいえ、祈っています」という方がいましたら、そういう方を中心に、私たちは霊に燃えて祈りましょう。

 私たちは聖霊に私たちの全てを明け渡し、捧げてしまうまで祈りたいと思います。なぜなら、捧げてないところが残っていると、そこを支配していた悪霊はそこを占拠し中々譲りません。

 一旦神を信じた私たちを、悪霊が乗っ取ることは出来ません。なぜなら聖霊と悪霊が共に住むなどということはありえないからです。
 このことで、カルロス・アナコンディアの本を読んでいて納得したことがあります。


「ですから、悪霊が入ったのではなく、出たことがないのです。クリスチャンになってから入ったというのではなく、クリスチャンになる前から悪霊にとりつかれていて解放されていないということです。
これは本当によくあることです。クリスチャンになる前からの罪の部分が、いまだに解放されていないのです。私たちはこの霊の世界を知るために、御言葉をもっと深く知る必要があるのではないかと思います。」
【霊の戦いと大収穫(カルロス・アナコンディア著)より】

 確かに、いくら祈っても悪霊はその人の中でぬくぬくとしていて出たくない、又その人も追い出したくない、という事態に過去遭遇したことがありました。
 
 ただ、だからと言って私たちは恐れることはありません。悪霊が逃げ出したくなるほど、聖霊の存在を濃くしましょう。私たちの罪の性質が残っていて、いくら私たちを誘っても、それが無駄であることを示し、追い出してやりましょう。わっはっは!

 私の罪をすべて赦してくださる主を信じ、委ねて私の魂を明け渡す祈りを、私たちは祈り続ける必要があります。そのためにも聖霊の充満を求め、祈りましょう。

祭壇の上の火は、そこに燃え続かせ、それを消してはならない。祭司は朝ごとに、たきぎをその上に燃やし、燔祭をその上に並べ、また酬恩祭の脂肪をその上で焼かなければならない。
火は絶えず祭壇の上に燃え続かせ、これを消してはならない。
<レビ6:12、13>

 私たちは朝毎にたきぎを燃やし(祈り)、燔祭(犯した罪等の身代わり)を並べ、酬恩祭の脂肪(神への感謝と交わり)を焼きます。それは、イエス・キリストの御名によって祈ることです。
 聖霊はいつでも、私たちの味方です。
 私たちがフッと思い出した罪は、聖霊が思い起こさせてくださっているのですから、その時すぐに、イエス・キリストの名によって悔い改めの祈りと感謝をささげましょう。(た)〔釘宮孝枝〕
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# by mitiru-takae | 2024-05-18 21:25 | 満ちる | Comments(0)

【おしらせ】2024.5.19

5/19の礼拝(ペンテコステ礼拝)
聖歌 563番(総合版599番)
聖書 使徒行伝1章14節、2章1~4節
メッセージ  心を合わせてひたすら祈る
※礼拝後:祈り会、お茶会

今後の行事
・6/2:聖餐式・誕生祝福式



# by mitiru-takae | 2024-05-18 21:24 | おしらせ | Comments(0)