【満ちる】No.685 マリヤを信じたヨセフ 2025.12.14

マリヤを信じたヨセフ
 
「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。これは、「神われらと共にいます」という意味である。
<マタイ1:23>

 アドベント3週目を迎える。
 神様が私たちを愛し、救おうとされる思いを、私たちはイエス様を知ることで知ることが出来る。インマヌエルの神イエス様については、イザヤが700年も前から預言している。

 イスラエルの人々は、イザヤの言葉を聞いてもやがてお生まれになるイエス様のことだとはだれもわからなかった。
 そうするうちにバビロン捕囚が起こってしまった。一体、イスラエルを救う神は、いつ生まれるのだろう。
 この超自然的な救い主の誕生は、いつ起こるのだろうか、と神に期待する人々は待っていたに違いない。

 さて、ヨセフにとっては、自分たちにこのようなことが起こるのは、驚きの他ない。

イエス・キリストの誕生の次第はこうであった。母マリヤはヨセフと婚約していたが、まだ一緒にならない前に、聖霊によって身重になった。
夫ヨセフは正しい人であったので、彼女のことが公けになることを好まず、ひそかに離縁しようと決心した。
<マタイ1:18、19>

 聖書には「ヨセフは正しい人であった」と書いている。もしヨセフが正しい人であるなら、裏切り者としてマリヤを公けに非難するのでは、とも考えられる。しかしヨセフは、彼女のことが公けになることを好まなかったのだから、どちらかといえば正しい人というよりは、哀れみ深い人と言えるのではないか。
 ヨセフが思いめぐらしていた時、夢の中に主の使いが現れた。

 主の使いから一部始終を、夢の中で聞いたヨセフであるが、マリヤから事情を聞いた時、マリヤを怒り飛ばすのではなく、又こぶしを上げるわけでもなかった。

 勿論、マリヤを愛していたからともいえる。しかし、人間的な愛での受け止め方ならば、もっと怒りが強かったのではないか。
 ギリシャ語には「愛」という言葉が沢山ある。
 「アガペー(無条件の愛)、エロス(性愛、情熱)、フィレオ―(友情)、ストルゲー(家族愛)」など。日本では「愛」という言葉一つだけだ。

 ヨセフのマリヤに対する「愛」、それは上記の中にはない。言うとすれば、とても信仰的な信頼愛とでも言いたい。
 マリヤの話が、まことに真実であると受け止められたからこそ、疑うことをしなかったのだろう。その上、今起こっていることが神の御心だと信じられる。これがヨセフの「正しい人」の意味ではないか。

 奇跡を体験して喜ぶ兄姉を見て、共に喜ぶときは本当に嬉しい。「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。(ローマ12:15)」とパウロは言う。

 ともすれば私たちは共に喜ぶことが、とても難しく感じられることがある。
 しかしイエス様は、私たちと共にいて、共に喜び、共に泣いてくださるお方だ。もし、そのような場面に出会ったときでも、イエス・キリストの信仰をもって互いに信頼の手を取り合えば、共に喜べるはずだ。(た)
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〔釘宮孝枝〕






# by mitiru-takae | 2025-12-14 06:55 | 満ちる | Comments(0)

【おしらせ】2025.12.14

12/14の礼拝【アドベント第三週】
聖歌 135番(総合版83番) 
聖書 マタイによる福音書2:1~12
メッセージ  東から来た博士たち
 
今後の行事
  ・12/21(日):〔礼拝〕クリスマス礼拝 〔礼拝後〕愛餐会(プレゼント交換:一人500円程度のプレゼントをご用意ください・お預かり始めています)
  ・12/28(日):〔礼拝〕横川先生ご一家来訪 〔礼拝後〕大掃除 
  ・1/1(木)午後2時:〔元旦礼拝とぜんざい会〕
  ・1/4(日):〔礼拝〕新年礼拝、聖餐式・誕生祝福式

毎日の聖書
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# by mitiru-takae | 2025-12-14 06:48 | おしらせ | Comments(0)

【満ちる】No.684 主はわたしの喜び 2025.12.7

主はわたしの喜び

わたしはみ言葉を与えられて、
それを食べました。
み言葉は、わたしに喜びとなり、
心の楽しみとなりました。
万軍の神、主よ、
わたしは、あなたの名をもってとなえられている者です。
<エレミヤ15:16>

 今年はアドベントに入るのが早く、クリスマス礼拝は12月21日(日)となる。日本中が師走の時期に入り、大晦日を迎える前の、一年の中で一番忙しい時だ。

 クリスチャンの家庭は、クリスマスとお正月のお客様や、帰省する家族などの用意で、さらに忙しさを増すのではないだろうか。

 いずれにしても、忙しさの中にあっても私たちはいつも主に祈り、仕事や家事など、生活の全てが導かれ守られるよう願う。

 エレミヤのように、どんな時にも、主のお言葉により喜びをもって過ごしたいものだ。

 エレミヤは「与えられたみ言葉を食べた」とある。神の言葉を記した巻物を破って食べたのだろうか。いや、そうではなく、エレミヤは神の言葉を心に深く刻んだのである。
 彼は迫害や辱めを受ける最中で祈った。その祈りは、主よ、私を知って、顧みてくださいというものだ。

主よ、あなたは知っておられます。
わたしを覚え、わたしを顧みてください。
わたしを迫害する者に、あだを返し、
あなたの寛容によって、
わたしを取り去らないでください。
わたしがあなたのために、
はずかしめを受けるのを知ってください。
<エレミヤ15:14>

 私たちが、「癒してください、守ってください、助けてください」と祈るような場面で、エレミヤにとっては今の自分の状況を主が知って下さるという事が、何にもまさる喜びとなるのだ。
 このように近くにいる「主」とは、イエス・キリストのほかにはないだろう。

 この後も主の言葉、預言は続くのだが、どのような時でもエレミヤは主と語り、主はエレミヤを励ます。この関係がうらやましい。
 しかし、私たちに対しても主の言葉は、エレミヤと何一つ変わらず近くにあって力強い。

わたしはあなたをこの民の前に、
堅固な青銅の城壁にする。
彼らがあなたを攻めても、
あなたに勝つことはできない。
わたしがあなたと共にいて、あなたを助け、
あなたを救うからであると、主は言われる。
<エレミヤ15:20>

 主こそ、彼の喜びであり、心の強さとなる。主の御名こそが、エレミヤという存在をふるい立たせ、神の言葉を告げるまことの預言者とするのだ。

 主の喜びをいただこう。
 どのような状況の中でも、主を頼みとし、その助けを信じて、私たちの心の中に在る主イエス・キリストの信仰によって、勝利の歌を喜び歌おう。(た)
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〔釘宮孝枝〕






# by mitiru-takae | 2025-12-06 20:17 | 満ちる | Comments(0)