5/18の礼拝
今後の行事
・6/8(日):ペンテコステ礼拝(横川先生・マジックショー他) #
by mitiru-takae
| 2025-05-17 20:31
| おしらせ
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ベテスダの池と五回廊 こののち、ユダヤ人の祭があったので、イエスはエルサレムに上られた。 エルサレムにある羊の門のそばに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があった。そこには五つの廊があった。その廊の中には、病人、盲人、足なえ、やせ衰えた者などが、大ぜいからだを横たえていた。〔彼らは水の動くのを待っていたのである。 <ヨハネ5:1~3> ベテスダという名前はヘブル語で「恵みの家」を意味する。 今では聖書にも書いてあるし、イエス様が奇跡を起こしたことで、クリスチャンにとっては、大切な場所となっている。 それは、時々、主の御使がこの池に降りてきて水を動かすことがあるが、水が動いた時まっ先にはいる者は、どんな病気にかかっていても、いやされたからである。〕 <ヨハネ5:4> どんな病気にかかっていても治るという素晴らしい池であるが、条件があった。「み使いが池におりてきて水を動かすとき、それも時々であるが、真っ先に入るものはいやされた。」というのだ。 それで治りたい人が大勢いたと思うが、みんなベテスダの池の所にあった五つの回廊で、待っていたのだ。みんな必死で泉の水面を見ていたことだろう。 不思議なことは、「見てはいただろうが、いざ、水面が動いたとき、病気の人や体が悪くて動けない人たちなのに、どうやって、この池に入ったのだろうか。」ということである。 ここにいる人たちは誰も、まっさきに池に飛び込むなんてできない人たちばかりであっただろう。いったい誰が助かるのだろうか。 このベテスダの池の周り、五つの回廊から、みんな離れることが出来ずにいる。治りたい一心なのに誰も助けてくれるものはいないのだった。 みことばの冒頭に、「ユダヤ人の祭りがあったので、」とあったが、この祭りとは何の祭りであったのだろうか。イエス様の行いにヒントがあるかなと思う。 池に入りたくても入れない。じっと待っているだけでは、ここにいても癒されることはない。水の動くのを待っているので、ここを去ることもできない。まるで囲いの中から出ることのできない羊たちのように、救いを待っている光景である。 ユダヤ人の絶滅の危機を救ったエステルという王妃の話がある。これはまさに、ユダヤ人たちが死の状況から命へと救われた話である。 この出来事を祝うのがプリムの祭りだ。この祭りだったかもしれない。 今からイエス様が行う奇跡が、ベテスダにある五回廊から一人の人を救い出す、まさに、死から命に移される話である。 この人は38年間ここに横たわって待っていた人であった。出エジプトしたイスラエルの民も、カデシ・バルネアからゼレデ川を渡るまで38年かかったのである。長い月日である。 彼は、イエス様でなくても、水が動いたとき、一番に水に入れてくれる人がいればよかったはずである。 だからか、イエス様が「治りたいのか」と聞いたとき、彼は「はい」と言えばよいのに、そうは言わなかったのである。 それどころか、ぐずぐずと、自分が水に入れない理由を話すのである。 イエスはその人が横になっているのを見、また長い間わずらっていたのを知って、その人に「なおりたいのか」と言われた。「主よ、水が動く時に、わたしを池の中に入れてくれる人がいません。わたしがはいりかけると、ほかの人が先に降りて行くのです」。 <ヨハネ5:6、7> 私たちに信仰があろうとなかろうと、主が意思してくだされば、即座に癒される。 主の思いは私たちの思いを遥かに超えていることの見本のようだ。運んでくれるのかと思いきや、癒されたのである。 イエスは彼に言われた、「起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい」。すると、この人はすぐにいやされ、床をとりあげて歩いて行った。 <ヨハネ5:8~9> この癒された人の素晴らしいところは、イエス様の御言葉を、すぐ実行したことである。今まで、動けなかった人が、主のお言葉(レーマ)を聞くと、すぐにまず癒され、そして床を取り上げて歩いて行ったのである。 愛と憐みに満ちた主のなさる事に、喜びと感謝と賛美を捧げたい。(た) #
by mitiru-takae
| 2025-05-17 20:25
| 満ちる
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確信に変わる気迫ある信仰 そこで、イエスは彼に言われた、「あなたがたは、しるしと奇跡とを見ない限り、決して信じないだろう」。この役人はイエスに言った、「主よ、どうぞ、子供が死なないうちにきて下さい」。イエスは彼に言われた、「お帰りなさい。あなたのむすこは助かるのだ」。彼は自分に言われたイエスの言葉を信じて帰って行った。 <ヨハネ4:48~50> 気迫ある信仰には、気迫ある祈りが伴うものだ。 静かに祈るときも、自分の思いを遥かに超えて主が祈りを聞いてくださったり、上辺は静かに見えていても、魂は火の様に燃え盛っている時もあるだろう。祈りも信仰も、形が決まっているわけではない。 だが、神を思う信仰、祈りを聞いてくださると信じる私の心、目には見えなくても、聖霊の火が心の思いの後押しをしてくれているような祈りは、主の最善をもって必ず聞かれるのである。 冒頭のみことばの話になるが、必死で嘆願し続ける役人の言葉はイエス様の心を揺さぶる。この役人の言葉は、モーセのように神様と親しい友人のような無邪気で何でも言える信仰を思わせる。 イエス様は彼に応えられた。 周りにいた人たちではなく、子供を死から救っていただきたい一心の父の祈りに応えてくださったのだ。 私たちもイエス様に個人的にお声をかけていただけるように主の御前に心を注ぎだして、内なる力に満ちた気迫ある願いをしたいものである。 イエス様の「お帰りなさい。あなたのむすこは助かるのだ」<ヨハネ4:50>という言葉に、それまでの役人の期待も確信に変わっていっただろう。 イエス様は子どものそばに来て手を当ててくださったわけではないのだから、明らかに信仰による確信がこの役人に芽生えたのであろう。 人の心をご支配できるのは聖霊様だ。 子供の死を目前にすれば、あるいは神を信じて祈るだろう。しかし、人間はなかなか信じられないものだ。 役人が、イエス様のうわさを聞き、死にかかった子を癒してほしいと、みもとに来て願ったのは、人の心を神を信じるものと変えてくださる聖霊様のお導きに他ならない。 福音書を書いていたころのヨハネは、イエス様の言われたこと、なさった奇蹟の数々が、まるで昨日か、今日起こったことのように思えていたに違いない。 今、目の前で、イエス様が語ってくださっている。それにじっと耳を澄まして聞きながら、筆を運んでいたのだろうか、と想像する。 一つ一つの奇蹟や、言葉が、聖書を通して今もなお新鮮に、私たちの心に響く。 さて、釘宮義人牧師は、気が付いたことをすぐワープロで打って、印刷していたが、その一つに「必ず聴かれる 祈りの秘訣12章」というのがある。 そこに書かれた最後のほうの一文をあげてみる。 以上の項目(祈りの秘訣12章のこと)の全てを実行しなくてはならないということではありません。この中の一つでも実行してください。その結果、小さな奇跡、ちょっとした成功、不思議な聖なる体験をすることでしょう。そのたびに、次第に、あなたの信仰は、拡大・強化されて行きます。 確かに父は、小さな奇跡、ちょっとした成功をいくつも積んで、聖なる体験をたくさんさせられることにより、信仰を増やしていくのだ、とよく言った。 ヨハネ福音者4章に出てくる役人が、帰る途中子供が助かったことを聞くのだが、それと似たような証も父が良くしていたのを思いだす。 その下って行く途中、僕たちが彼に出会い、その子が助かったことを告げた。そこで、彼は僕たちに、そのなおりはじめた時刻を尋ねてみたら、「きのうの午後一時に熱が引きました」と答えた。それは、イエスが「あなたのむすこは助かるのだ」と言われたのと同じ時刻であったことを、この父は知って、彼自身もその家族一同も信じた。 <ヨハネ4:51~53> 語ったことが、離れていても同時刻に叶えられた義人牧師の話は、その当時、聞く者が驚く証であった。 聖霊様に委ねることを知っている人のことばには、静かな気迫がある。まして、イエス様のお言葉は、聞く者に確信を持たせてくださるのだ。アーメン!(た) #
by mitiru-takae
| 2025-05-10 19:52
| 満ちる
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