3/10の礼拝
今後の行事
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by mitiru-takae
| 2024-03-09 22:50
| おしらせ
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あなたの心を守れ 「油断することなく、あなたの心を守れ、 命の泉は、これから流れ出るからである」 (旧約聖書箴言第四章二三節) あなたが好奇心の強い人だったら、紀元前の人類の鉱山の発掘法についても必ず興味を持たれるだろうと思います。それでしたらぜひ旧約聖書のヨブ記二八・一〜一一をご覧ください。当時すでに金や銀は露天掘りではなく「岩に坑道を掘り」「水路をふさいで、洩れないようにし」たことなどが分かります。かつて私はこの聖書の箇所をテキストにして冥想法の講義をしたことがあります。「心」という鉱山から霊的金や銀を掘りだす方法について考えたのでありました。 「銀には掘りだす穴があり、金には出どころがある」(箴言二八・一)のでして、穴や出どころが無ければ鉱山の中にある金や銀はそれこそ宝の持ちぐされです。ところが多くのクリスチャンはせっかく神様より絶大な宝ものを頂戴しながら、それを内に死蔵するだけで活かしていないのです。(クリスチャンでなく一般の人でも、人間として生来持っている能力や良い性質を充分に発揮し表現するコツを知っていたら、その人の人生はずいぶん明るくなることでしょう。人間は生来なにも良いものは持っていないという神学もあります。その意図は分りますが私は賛成できません)。 旧約聖書の箴言は非常に生活に密着した智慧の言葉で満ちていますが、特にその第四章二三節の「油断することなく、あなたの心をまもれ、命の泉は、これから流れ出るからである」の言葉はクリスチャンの生活力について大いに益する所があります。私たちは自分の心を守ることにより、命(神様から頂いたイノチ、キリストの霊)の泉を流れ出させることができます。心の奥深いところにある霊的泉はクリスチャンにとり豊富なはずです。それがとかく枯渇してみえるのはなぜでしょうか。私たちが信じてキリストの所に行けば「その腹から生ける水が川々となって流れ出る」(ヨハネ七・三八)べきだったのではないでしょうか。それが私たちに実現しないのは「神様の手が短い」からでしょうか、それとも私たちのほうに何か誤りがあるのでしょうか。もちろん「罪が私たちと神様との間をさえぎっている」のであれば、その罪を取り除ねばなりません。しかし問題は「罪」だけではなくて、私たちの「誤り」にあることもあります。 先ほどの箴言の言葉を含んでいるその第四章二〇〜二七節を中心に、命の泉をこんこんと流れ出すべき「心の守り」かたについて学んでみましょう。 ①聖書に心をとめ、聖書の言葉に聞き入りましょう(箴言四・二〇)。御言には私たちの「魂」を救う力があります(ヤコブー・二一)。多くのクリスチャンは「霊」に於いては救われ神の子としての「身分」(ローマ八・一五、二三、ガラテヤ四・五、エペソ一・五)は与えられているものの「魂」(心、精神)が鈍感で脆弱でありますから、内なる霊の意志を外側の肉(肉体とその感覚)に正確に強力に伝え得ないのであります。聖書は神の霊感によって書かれた本でありますから、霊的力があり、その故に私たちは聖書の言葉に霊的に聴き入る必要があります。「霊的に聴き入る」ことは人間の側からではなかなか難しいことですが、聖書の側からその霊性が働いて私たちの心を動かしてくれるので、要は忠実に聖書を読めばいいということになります。 ②初信(心)に帰りましょう。「初めの愛」(黙示録二·四)という言葉がありますが、「自分」の愛に帰ろうとしても、人間の愚かさ、弱さ、憎しみ、反抗心はこれをさせません。しかし「神様」の愛に帰る事はそれほど難しくありません。信仰も同様です。私たちが心の葛藤に悩む時にも、その故に私たちは救われていないのだなどと決して思わぬことです。それはサタンのだましごとです。人は自分の救いについて随分疑いやすいものです。「ああ、あの時救われたと思ったのは私の気の迷いであった」などと迷い始める時、内なる霊性が溢れ出るはずは決してないのです。基本的なあなたの霊と身分の救いについて確信を持ってください。これがあなたの初信に帰れ、ということです。 ③記憶を清め、予想を明るくしましょう。神様はヘブル民族に暗い敗北の記憶、奴隷の思い出を捨てなさいといいます(イザヤ四三・一八)。万事は益となると聖書は告げます(ローマ八・二八)。みじめな、いじけた思想をあなたの心から追いだしなさい。このためには次の心理学の教える所が大変役立ちます。すなわち「白い馬のことを考えまいとすれば、考えれば考えるほど白い馬の事は忘れられません。しかし赤い馬のこと、あるいは更にもっと別なことを考えさえすれば白い馬のことは考えずにすみます」というのです。ですから良い嬉しい思い出や明るい向上的な予想ばかりを心に満たすのです。そして常に神様を賛美し、神様のなす業はすべて善であると信じて喜びましょう。 紙面が足りませんから次は項目だけ上げます。次号に詳しく書き足したいと思います。 ④するどい善悪の感覚を増し加えなさい(ピリピ一・九)。 ⑤信仰の言葉を言い表わしなさい。言集は心から出るものだが、ふだん使う言葉が心を彫りこんでいくということもある。意識して良い言葉、聖書の言葉を練習しなさい。 ⑥目標をしっかりと持ちなさい(第一コリント九・二六)。 ⑦すべての事を熱心にしなさい。神様でさえ事を為すとき熱心なのです(イザヤ九・七下)。〔釘宮義人〕 (新年礼拝説教要旨) #
by mitiru-takae
| 2024-03-09 17:32
| 日岡だより
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私たちの近くにおられる主 エノクはメトセラを生んだ後、三百年、神とともに歩み、男子と女子を生んだ。 <創世記5:22> ノアは神とともに歩んだ。 <創世記6:9下> セツが生まれ、105歳の時にエノスが生まれた。 その頃からアダムの文化は、父の言葉を借りて言うならば 「あの喧騒なるカイン文化とは全く次元の違うあるものがある、真理を柱とする人生があるはずである(日岡だよりより抜粋)」 それがアダムの側であり、神を知り、御名を呼ぶものの文化となった。 神を神としない己の力を神とするカイン文化は、アダムの文化とは全く違う方向に発展していったのである。 「セツにもまた男の子が生まれた。彼はその名をエノスと名づけた。この時、人々は主の名を呼び始めた。<創世記4:26>」 父はここでモーセの体験を上げているが、このことが、セツたちが主の御名を呼び始めることが出来た、彼らの新しい魂の生まれたところであると想像する。 私たちが、いくら主の御名を呼んでも、「シーン」としていれば、次に呼ぼうと思っても、いささかの躊躇がないとは言えない。 しかし、セツは「われわれが神を呼ぼうとするとき、神はいつでも我々の近くに居られるのだ。」と知ったのである。 「知る」に至るまで、セツは神をどれほど呼んだことであろうか。 それまではいつも神が先に自分を呼んでくださっていたのに、多分セツは、いつも、気が付いたとき、思い出したとき、皆が集まったとき、エノスを抱いたとき、いてもたってもいられず、主の御名を自ら呼んだのに違いない。 エノスの名前の語源は「壊れやすい、なおらない、癒えない」といったもので、宿命的な弱さを持った名前である。 私たちも自分ではどうしようもない己の弱さを知ると、それを克服し、勝利の人生を送るために、はじめはイエス様の御名を呼んでみようと思うであろう。そして次に呼んでみる、なお希望をもって呼ぶ、遂に確信をもって主の御名を呼ぶ、と変えられていきたいではないか。 私たちが自分の意志で、神を選び、自分の意志で神の御名を呼ぶことを、どれほど神は待っておられたことであろうか、又喜んでいるだろうか。私たちといつも共に居たいと思っておられる主は、創造の始めから私たち人間に期待しておられたのである。 次に挙げたテサロニケのみことばに従っていくとき、いつも主の御名を呼んでいる自分に気付く。主は私たちに祝福をたくさんくださるが、信仰によって私たちも、心の底から主の御名を呼ぶのである。 いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。 <テサロニケ5:16~18> これは信仰によって可能となる喜び、祈り、感謝である。いつも、絶えず、すべての事について、である。 われわれの神、主は、われわれが呼び求める時、つねにわれわれに近くおられる。 (申命記4:7上) このお言葉をいつも忘れずにいよう。 私たちがいつも主を呼び求めるので、主は私たちから離れることはない。 主の手は短くはなく、主のお声は何処までも、世界の果てにまで響き渡るからである。感謝!(た)〔釘宮孝枝〕 #
by mitiru-takae
| 2024-03-02 21:54
| 満ちる
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