人気ブログランキング | 話題のタグを見る

No.494 祝 イースター 2022.4.17

祝 イースター

イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。
わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。<ヨハネ11:25>
No.494 祝 イースター 2022.4.17_c0265111_21360176.jpg
 イースター礼拝感謝いたします。

 かつてイスラエル旅行をしたとき園の墓の中をのぞいたのを、この時期毎年思い出します。
 イスラエル旅行に行ったのは、もう25年くらい前のことですが、つい昨日のようです。

 イエス様が地上で生きた期間は約33年間でした。
 たった33年間にすぎないのです。
 公生涯といえばさらに短く、3年間です。

 神様が、旧約の時代から約束されてきた救い主、私たちの罪が贖われるその日を、預言者たちはどんなに待ち焦がれたかわからないのですが、実際にその時が来ると、ユダヤ人は皆困惑してしまいました。

 「ユダヤの王、すべてを打ち滅ぼして君臨するこの世の王」を想像した人々はがっかりして皆逃げてしまいました。

 イザヤ書にある通り、その姿はあまりにも権威ある王とはかけ離れていたのです。


彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、
われわれの慕うべき美しさもない。
彼は侮られて人に捨てられ、
悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。<イザヤ53:2、3>

 しかしこの姿は、本当は私の姿なのです。
 私が受けるべき刑罰を、イエス様が引き受けてくださったからです。

 ですから、クレネ人シモンが背負った十字架も、イエス様が張り付けられた十字架も、実は私の受けるべき十字架でありました。

 私はイエス様と一緒に十字架に張り付けられました。
 そして、黄泉と死の支配を打ち破り復活したイエス様と共に、新しく生まれ変わったのです。

 イエス様が砕かれ傷を受け苦しめられたことは、私を贖い救うための、神のみ旨でありました。ハレルヤ!

まことに彼はわれわれの病を負い、
われわれの悲しみをになった。<イザヤ53:4>

 イエス様がかねて言われていたことが本当になりました。
 よみがえられたのです。

この御使は女たちにむかって言った、「恐れることはない。あなたがたが十字架におかかりになったイエスを捜していることは、わたしにわかっているが、
もうここにはおられない。かねて言われたとおりに、よみがえられたのである。<マタイ28:5、6>

 私たちも、自分の罪を十字架につけていただきイエス様と共に死に、イエス様と共に復活の朝を迎えましょう。(た)
No.494 祝 イースター 2022.4.17_c0265111_21361891.jpg








# by mitiru-takae | 2022-04-16 21:38 | 満ちる | Comments(0)

No.493 奇跡の礼拝/新しい教会・世代交代 2022.4.10

奇跡の礼拝

ああ、そのしるしの大いなること、
ああ、その奇跡のすばらしいこと、
その国は永遠の国、
その主権は世々に及ぶ <ダニエル4:3>

 神様のなさる事は素晴らしい。
 4月3日(日)主日礼拝の中で、H兄のバプテスマ式が執り行われた。

 おりしも、会堂での礼拝はリモート礼拝である。ここ最近の礼拝堂の中は、牧師、司会者、カメラ担当の3人しかいない。
 時々、「もうたまらん」と言って誰かが一人でやってくる。

 コロナに見舞われて以来、今までに経験したことがないようなライブでの礼拝を、「これはいつまで続くのであろうか」と言いながら、もう2年が過ぎてしまった。

 しかし、このようなリモート礼拝は、今の時代だからできることでもあり、そのこと自体が神に与えられた奇跡である。

 このような中で、故M子姉のご主人であるH兄のバプテスマ式が行われたのである。
 M子姉の「バプテスマを受けてね」の言葉が、ご主人への遺言であったようだ。
 
 この日の礼拝が奇跡であったということをもう一度思い返したい。
 それは、出席者のいないはずの礼拝であったのだが、なんとこの日は、18人の礼拝出席者がいたのである。

 先に天に帰ったお母さんを想い、少し年を重ねて、病と闘う父の思いを心にとめ、応援する子供たちの姿があったのだ。
 身近な親族、子供も含め、誰が勧めたわけでもなく、こぞってH兄に立ち合うように、礼拝に出席してくださったのだ。

 人の心をご支配なさるのは神だ。
 神が霊であり、私たちの霊をご支配なさっていることの証しである。

 どんなに人を動かそうと策を練り、計画を綿密に立てたとしても、こんなに皆がそろうようにはいかない。
 お世話をして下さったY姉の子供たちのうち、遠く県外にいる2人も、ライブ参加となった。

人の心には多くの計画がある、
しかしただ主の、み旨だけが堅く立つ。<箴言19;:21>

 「こんなこと、神様でなければできないよ!」
 思いかえせば返すほど、喜びの声を上げてしまう私である。(た)


新しい教会・世代交代

 私たちの大好きな橋本先生の教会で、ついに、世代交代。
 5月1日(日)、この日はカルバリチャーチの50周年記念礼拝をするそうだ。
 その中で、橋本守先生は長老牧師就任、邦光先生は主任牧師任命式を、手束先生(高砂教会元老牧師)をお迎えして行う。
 「おめでとうございます」
 
 由布市庄内の地に新しい教会が出来た。
 「シオンの家」教会という。
 信仰と、祈りで出来あがった、宮脇先生の教会である。
 先日SP祈り会をここでさせていただいた。
 とても風が爽やかで、「実家が農家であったので、野菜作りができるので嬉しい」とおっしゃっていた先生のお顔が、すがすがしい。
 乳がん手術後の奥様早苗先生も、まだ今から生きるよと、目をキラキラしておられたのが印象的であった。
 今から後継者を求め、祈るそうだ。

 ほかにも、若い先生方が、続々と、生まれてきている。
 主が日本を愛し、大分の地を愛し、決して私たちを見捨てはしないと、お約束してくださっているようだ。
 ハレルヤ。(た)
No.493 奇跡の礼拝/新しい教会・世代交代 2022.4.10_c0265111_21532710.jpg











# by mitiru-takae | 2022-04-09 21:55 | 満ちる | Comments(0)

No.492 凡人の継続/手をたたこう 2022.4.3

凡人の継続

 谷口和一郎氏【舟の右側 編集・発行人】が、「舟の右側4月号」の社内日誌の最後に、「凡人が出来ることは、『継続』である。」と書いていた。

 確かに私たち(私と言うべきか)は特別にすごい信仰をもって人々の模範になるような超偉人ではない。(谷口和一郎氏は偉人の部類に入ると思うが)

 つまり凡人である。

 凡人は素晴らしい。
 凡人にできる素晴らしい信仰がある。
 何があっても持ちこたえることが出来る、「継続の力」による信仰だ。
 「そうだ、そうだ」と私はうなずく。

 私たち凡人にとっては毎日が信仰の継続、連続である。
 そして凡聖(釘宮義人の最後の信仰)に至ろうではないか。

もし最初の確信を、最後までしっかりと持ち続けるならば、わたしたちはキリストにあずかる者となるのである。<ヘブル3:14>

 ヘブル人への手紙の筆者は、こうも語った。
 「モーセに率いられて、出エジプトした人々は、み声を聞いたのにそむいた。
 彼らは約束の地に入れなかった。
 それは彼らの不信仰のゆえであることがわかる。」と。

 神に従順であること、神のお言葉に信頼し続けること。
 一度、背きの心に従うと、なかなか元に戻れなくなる。
 
しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。<ヨハネ黙示録2:4>

 凡人であるがゆえに、私たちは神から離れては何もできないのである。(た)



手をたたこう

もろもろの民よ、手をうち、
喜びの声をあげ、神にむかって叫べ。<詩篇47:1>

 私たちのからだは素晴らしい楽器である。
 手をたたくことは特に子供が得意である。

 皆さんは知っていたかもしれないが、私は初めて聞いた話である。
 坂本九の「幸せなら手をたたこう」という有名な歌があるが、その作詞者 木村利人の話である。

【平和の願いは歌にのって】
 帰国後私は、ラルフ君と読んだ「手をたたこう」の聖句と、"態度に示して"歓迎してくれたフィリピンの人たちへの感謝をこめて作詞し、現地のルカオ小学校で子どもたちが歌っていたスペイン民謡のメロディーにのせて歌にしました。
 当初は、早稲田奉仕園の活動などで子どもたちと歌っていたのですが、口コミで広がり、坂本九ちゃんが歌ったことからヒットし、さらに1964年の東京オリンピックでも歌われ、海外にも広まっていきました。(東京YMCA "幸せなら手をたたこう"~名曲誕生のストーリーより抜粋)

 ラルフ君との出会いと、み言葉と現地の子供たちが歌っていたメロディーとの出会いが「幸せなら手をたたこう」の素晴らしい曲を生み出したのだ。

 初めは戦争時代の日本の残酷さなどで、人々は木村先生を受け入れてくれなかったそうだが、神のことばが、そして共に祈る時間が、フィリピンの人たちとの真の平和を生み出してくれたのだ。

 手をたたいて、喜びの声をあげよう。
 共に神を礼拝し、祈るところに真の平和がある。(た)
No.492 凡人の継続/手をたたこう 2022.4.3_c0265111_21470776.jpg











# by mitiru-takae | 2022-04-02 21:49 | 満ちる | Comments(0)

No.491 今日が変わる 2022.3.27

今日が変わる

あなたはわたしのために、嘆きを踊りにかえ、
荒布を解き、喜びをわたしの帯とされました。
これはわたしの魂があなたをほめたたえて、
口をつぐむことのないためです。
わが神、主よ、
わたしはとこしえにあなたに感謝します。
<詩篇30:11、12>

 私のために与えられた喜びは、永遠に主を誉めたたえ、感謝するためのもの。
 賛美の声を閉ざすことなく、魂の底からの喜びそのものが、私の魂の解放を実証する。

その時おとめたちは舞って楽しみ、
若い者も老いた者も共に楽しむ。わたしは彼らの悲しみを喜びにかえ、
彼らを慰め、憂いの代りに喜びを与える。
<エレミヤ31:13>

 このようなことが私たちの身の上に起こったら、多分じっとしてはいられない。
 老いも若きも、大人も子供も、共に手を取り合い、神をほめたたえるだろう。

 このように言うと、私たちはそのことが起こるのをじっと待ち続ける。
 そして、「いくら待ってもそのようなことは起こらない」と待ちくたびれて、信仰をほうりだしかねない。
 これでは馬の鼻先にあるニンジンのようなものだ。

 そうではない。
 いつも主に感謝しよう。
 「主よ」と叫ぼう、主を呼ぼう。
 主を喜んで「わっはっは」と笑おう。
 主とともに歩き、走り回り、踊ろう。
 
 私たちの悲しみは逃げ去るのだ。
 私たちの苦しみは追い出されるのだ。

 「苦しみがやってくる」と、とりこし苦労をするのはやめよう。
 あなたの思いがサタンの思いを招いてしまう。
 サタンの嘘に惑わされ、負けてしまわないように、主の勝利をいつも宣言しよう。
 嘘はサタンの常習癖。
 どんでん返しは神様の常とう手段。

「わたしが墓に下るならば、
わたしの死になんの益があるでしょうか。ちりはあなたをほめたたえるでしょうか。あなたのまことをのべ伝えるでしょうか。<詩篇30:9>

 今日の一日が、私たちにとってつらく悲しい一日だったとしても、誰にも理解してもらえない苦しい一日であったとしても、眠りにつくほんの数分前でもいい、主に一日を感謝しよう。

 感謝できないと思っても、感謝しますと声を出そう。
 出来たら「「わっはっは」と声を出してみよう。
 「ふふふ」と笑ってみよう。
 過ぎ去った一日が、祝福の一日に変わる。
 自分では気づかずとも、主は変えてくださっている。

 これで準備万端。
 次の朝、あなたは神の御国で目を覚ますのだ。
 目を覚ますその瞬間、御国で寝ていたことを察知できる。
 そのような朝を毎日迎えたい。

 私たちが眠っているときこそ、完全に主に委ねきっているときである。
 その時を、喜びと楽しみの時としよう。

主によって喜びをなせ。主はあなたの心の願いをかなえられる。
あなたの道を主にゆだねよ。<詩篇37:4、5>
(た)
No.491 今日が変わる 2022.3.27_c0265111_20232155.jpg








# by mitiru-takae | 2022-03-26 20:23 | 満ちる | Comments(0)

No.490 春が来た 2022.3.20

春が来た

わたしたちは主を知ろう、せつに主を知ることを求めよう。主はあしたの光のように必ず現れいで、冬の雨のように、わたしたちに臨み、春の雨のように地を潤される」。<ホセア6:3>

 3月にはいると、ずいぶん暖かくなってきました。
 春は不思議です。
 自然界は、あっという間に、新しい命に模様替えします。

 何もないと思っていた木々はいつの間にか芽を出し花が咲き、驚きます。
 近くの中学校の周りの桜の木も、いつでも花を咲かせられると、用意万端です。

 教会の玄関横に、見事に咲いた水仙の花も、気が付いたときには、あたり一面花盛りです。

 そのうち教会前のモミの木にチョウの幼虫がちらほらと顔を出すようになる日も近いことでしょう。

 寒い冬を駆け抜けて、命の息吹が、泉のように私たちの周りに湧き上がってくるかのようです。

 神様が創られたこの世界の素晴らしさは、私たち人間より、動植物のほうがよく知って生きているでしょう。
 それだけに、自然が崩壊していくことはすべてのものをお創りになった神様ですから、私たち人間よりも辛く悲しいことでしょう。

 伝染病や感染症、癌や脳の病気等、私たちを苦しめる病気はたくさんありますが、一昨年来より、パンデミックと呼ばれるほど広がりを見せた、新型コロナウィルスによる感染に私たちは悲鳴を上げ、「新しい生活様式」なるものに忍耐し、されど、なかなか終息とはいかず、今に至っています。

 「地震、雷、火事、おやじ」と言われていた昔の怖いものの代表のような言葉がありましたが、今は昔ほどおやじ(愛すべき怖いおやじはすくなくなっているようですが)も怖くはありません。
 しかし、病気や災害などと同じように、最近は、幼い子供たちにとって、親や、同居人が、怖いということも悲しいですね。
 (これを書いた次の日の夜、福島県沖で震度6強の地震がありました。被害にあわれた方々に主の慰めと励ましがありますようにお祈りいたします。)

 今は、昔には見ることも聞く機会も少なかった色々な情報が、すぐ見られるし、探すことが出来ます。
 この情報過多が、今の私には一番怖いことのような気もします。
 病気も同じです。
 知りすぎると、かえって不安になるものです。

 かつて、「鈍感力」を身に着けよう的なことが言われたことがありましたが、弱い人間であれば直さら、少々のことには動じない鈍感力を持ちたいと思うところです。

 さあ、春ですから、声高らかに賛美して、聖霊様による決してくよくよしない良い意味での鈍感力を養っていきましょう。
 それには、みことば暗唱が一番です。
 特に覚えやすいみことばによる賛美がいいですね。

 み言葉は神のお言葉、御心です。
 神様の思い、御心に信頼し、平安を得ましょう。
 どんな辛いことがあっても、神様は信頼できるお方です。

 私たちの逃げる道もしっかり備えてくださっているし、また必要を満たそうと、準備してくださっています。

 魂の平安と喜び、そして豊かな祝福が、春の雨のように、私たちの心の中を潤すばかりでなく、こぼれるほどに満ち溢れますようにと、祈りましょう。

 主が心の大地を春の雨で潤してくださると、花が咲き、秋には実が実るでしょう。

 春の花のように、互いの心に命の花が咲き誇りますように、支えあい、祈りあっていきましょう。
 神の教会に春が来ました。ハレルヤ。(た)
No.490 春が来た 2022.3.20_c0265111_21084595.jpg










# by mitiru-takae | 2022-03-19 21:10 | 満ちる | Comments(0)