No.569 見えるものと見えないもの 2023.9.24

見えるものと見えないもの

 金子みすゞ(1903年4月11日生まれ)という詩人を知っているだろうか。26歳の若さで天に召されたが、500編ほどの詩を残したらしい。
 表面はとても朴訥で優しい詩だが、彼女の心の中には、真実を鋭く見つめていた強い心がかくされていたのだろう。見えないところに隠されたものを生き生きと表現する。
 結婚してからはずいぶんご苦労なさったようであるが、今の時代ならば、もっと自由に生きられたのではないかとも思う。
 
『星とたんぽぽ』 童謡詩人・金子みすゞ
青いお空の底ふかく、
海の小石のそのように、
夜がくるまで沈んでる、
昼のお星は眼(め)にみえぬ。
  見えぬけれどもあるんだよ、
  見えぬものでもあるんだよ。—(以下略)—


◆水は生き物の群れで満ち 

神はまた言われた、「水は生き物の群れで満ち、鳥は地の上、天のおおぞらを飛べ」。
<創世記1:20>

 神様はこの世界に見えるものと見えないものを造られた。
 5日目、神様は水の中の生き物と、空を飛ぶ鳥を造られた。
 「どうしてこの二つを造られたのだろう、他のものと一緒でもよいのではない」と思うが、しかし、見えないところを考えてみるとよくわかる。

 水の中の生き物の代表は魚である。
 魚は迫害下のクリスチャンたちの暗号であるイクスースのマークを思い出す。
 また、イエス様の弟子の中には4人も漁師がいた。その漁師たちの網を船の右側におろすように言った、復活のイエス様も思い出す。この時獲れた魚は153匹であった。
 153という数字は、神を信じ救われた民を表している。
神の御子イエス・キリストを信じる神の家族たちのことを聖書は「魚」にたとえているのだ。
 見えるところは「魚」であるが、見えない霊の世界では、私たちの「救い」である。

 この時一緒に造られたものに、海の獣がある。
 これは海に住む大きな蛇や、恐竜のようなものであろうか。
 神は全てよきものを造られた。
 しかし、これらのものが呪う者によって呪い、レビヤタンを奮い起こす巧みなものによってサタンのものと変えられるのである。ベヒモスもそうであろうか。

日をのろう者が、これをのろうように。レビヤタンを奮い起すに巧みな者が、
これをのろうように。
<ヨブ3:8>

その日、主は堅く大いなる強いつるぎで逃げるへびレビヤタン、曲りくねるへびレビヤタンを罰し、また海におる龍を殺される。
<イザヤ27:1>


◆翼のある鳥
 
 さて、翼のある鳥は見えぬものでいうと何であろうか。

しかしわが名を恐れるあなたがたには、義の太陽がのぼり、その翼には、いやす力を備えている。あなたがたは牛舎から出る子牛のように外に出て、とびはねる。
<マラキ4:2>

しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、
わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、
歩いても弱ることはない。
<イザヤ40:31>

 翼には癒しがある。力がある。走っても疲れない。歩いても弱ることがないのだ。
 人間の罪の贖い、赦し、これはイエス・キリストでなければできないことだ。
 私たちは癒しの翼に乗って、または私たちは癒しの翼をいただいて、大空を舞い上がることが出来るのである。
 
 神がそのように準備されたのだ。
 見えるところは魚と鳥であったが、目には見えない神の救いのわざは初めから私たちのために用意されている。

 乾いた地の上に生かされた人々(出エジプトした人々に象徴される)は、みことば(種や、実のある草木)で養われ、イエス・キリストを信じることによって救い(「魚」にたとえられている)を受け、翼によって守られ、癒され、力を受ける(「鳥」にたとえられている)のである。
 神の救いのわざ5日目である。(た)
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# by mitiru-takae | 2023-09-23 11:29 | 満ちる | Comments(0)