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No.396 祝ペンテコステ 2020.5.31

祝ペンテコステ

しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。<ヨハネ14:26>

 聖霊様が私たちにつかわされたのは、いわば、私たちの救いの完成のためだ。
 日々、イエス・キリストの似姿に変えられていくためには、聖霊様の働きがなければ、到底自分で出来ることではない。

 私たちを導き、天の父の御心を悟らせ、イエス様のお言葉を、必要な時に思い起こさせてくださる、そんな、私たちにとって都合のいいことずくめの聖霊様の降臨である。
 ましてや、ペンテコステの恵みは、当時の弟子たちだけに限らず、今の私たちにとっても、体験すべき出来事だと、私は思う。

 罪が贖われたのでもういいじゃないかと言いたくなるかもしれないが、私たちが地上に生きている間、この聖霊様との密接な生き方を全く知らないで過ごすというのも寂しい限りだ。
 地上で天国の前味を味わわせていただくのが、クリスチャンとしての醍醐味というのは少し大げさであろうか。
 それは、聖霊のバプテスマを受けて、異言を語ったり、預言が与えられたり、幻を見たり、ということだけではない。

 私たちの人生の航路に、必要不可欠な羅針盤が聖霊様である。
 天国への道しるべを、また時には私たちの間違った方向をも示してくださる。
 私の心にいつも話しかけてくださり、私の心の中で生きて働くイエス様がおられることを理解させてくださる。

 聖霊様は神である。
 イエス様は神である。
 創造主である天の父は神である。
 このことを「三位一体の神」という。
 唯一の神であり、3つの位格を持っている。

 理屈で考えだすと、世も眠れぬくらい難しくなる。
 しかし、聖霊様が教えてくださると、いとも簡単に、このことがわかる。
 私たちの細胞の一つ一つが納得するのだ。
 聖霊様の働きは、理屈抜きである。

わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。<ヨハネ14:27>

今わたしは、そのことが起らない先にあなたがたに語った。それは、事が起った時にあなたがたが信じるためである。<ヨハネ14:29>

 このお言葉はイエス様がまだ十字架にかかる前のことだ。
 ご自身が十字架にかかり、弟子たちは動揺し、心がくじけてしまうであろう、それを予測してのお言葉である。
 弟子たちに対するイエス様の愛は、本当に深い。
 全部わかっているからこそ、至れり尽くせりである。

 私たちに対してもそうである。
 イエス様の深い愛に触れると、勇気が出てくる。
 「わかった、イエス様、私はおじけない!」と言える。

 今日はペンテコステ礼拝である。
 しかし、私たちにとっては、クリスマスや、イースター同様、「毎日がクリスマス」「毎日がイースター」「毎日がペンテコステ」である。

 今日だけにとどまらず、聖霊様を毎日歓迎しよう。
 毎日、理性の言葉で祈るように、異言で祈ろう。
 異言は、聖霊様によって開かれた、私たちと神の国とをつなぐ言葉でもある。
 時に聖霊様はペテロたちのように自分の知らない外国の言葉を語らせてくださるかもしれない。
 自分ではわからない天国語を語らせてくださるであろう。
 そして、それらを読み解くように、私たち一人一人に、かつては王様、預言者、祭司など、特別な人たちにしか伝えられなかった神の言葉を、預言として与えてくださる。

 ペンテコステは、2000年前も今も、私たちの魂の収穫の日なのである。リバイバルを期待してやまない。(た)
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by mitiru-takae | 2020-05-31 17:15 | 満ちる | Comments(0)

No.395 神の御旨を行う者 2020.5.24

神の御旨を行う者

わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。
その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。
そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。<マタイ7:21~23>

 とても厳しいお言葉だと感じざるを得ない。
 特に、牧師や伝道者、福音を伝えている人たちはなおさらである。
 時には悪霊を叱って追い出したり、癒しなどの奇跡をおこなったり、とかく教会の中でも中心となって働く人たちにとって、耳の痛い話であろうと思う。

 イエス様はいったい何を言われているのだろうか
 山上で語ってきたお言葉は、いったい何を私たちに伝えたかったのであろうか。
 とかく私たち人間は、パウロが言うように、霊で始めさせてもらったものを、肉で仕上げてしまうという、誠に勝手極まりない、神を神としない偽善者となりやすい。

あなたがたは、そんなに物わかりがわるいのか。御霊で始めたのに、今になって肉で仕上げるというのか。<ガラテヤ3:3>

 私たちが行いというとき、善いことをしよう、人を助けよう、愛していこう、など、心の中の誓いは素晴らしいものである。
 しかし、神に祈り、求め、委ね、探し、見つけ出し、戸をたたき開けてもらい、感謝を、一つでもしただろうか。
 気が付けば栄光は自分のものになっていることが多い。
 そんな時、神は「私はあなたに対して何もしていないし、求められてもいないので、あなたとは全く関係がない」と言わないであろうか。
 「私はあなたを知らない」というはずだ。
 
 「父の御旨を行う者」とは、イエス様のお言葉を聞いて従うものである。
 私たちの心の中に生きて働いているイエス・キリストが主導権をもって行うことなのだ。

 イエス様が一番である。私はそのあとに従う者である。
 この時、イエス様と、私の間には邪魔者がいない。
 そしてこの状態を続けるためには、祈り、喜び、賛美して、いつもイエス様にくっついていることだ。

 この状態をイエス様は、「岩の上に家を建てた賢い人」にたとえられた。

それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。
雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台としているからである。<マタイ7:24、25>

 イエス様は岩にたとえられるような、動くことのない、いつまでも変わらない愛と真理をもって私を導き支えてくださるお方である。そのお方の上に、自分の信仰を建て上げるのである。
 反対に、父なる神に「私はあなたを知らない」といわれる人々は、豪華な家を、砂の上に建てた人のようである。
 土台が砂のようであれば、どんな頑丈な家も、倒れてしまうだろう。
 それは、砂のようにもろいこの世の教えや考えである。

 私たちが主のみこころを知り、行うためには、いつも主につながり、御心を真剣に求めるべきだ。

【「ジョージ・ミューラーの祈りの秘訣」巻頭より抜粋】
「私は、クリスチャンとして生きてきて1895年3月で69年と4か月になる。その間、神の言葉である聖書を通し、聖霊により、誠実に、忍耐強く、神のみこころを知ることを求めた時、正しく導かれなかったことは一度もなかった。しかし、もし正直な心、神の御前での正しさが欠けていたならば、あるいは忍耐強く神の指示を待たなかったならば、あるいは仲間の忠告を生ける神のみことば以上のものとしているようなことがあったならば、私は大きな失敗をしたのである。」 (た)
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by mitiru-takae | 2020-05-24 19:54 | 満ちる | Comments(0)

No.394 夜はふけた 2020.5.17

夜はふけた

愛は隣り人に害を加えることはない。だから、愛は律法を完成するものである。<ローマ13:10>

だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。これが律法であり預言者である。<マタイ7:12>

 イエス様が言われるように、確かに悪人でさえ、自分の子供にはよいものを与える。

 ゴッドファーザーのようなギャングの世界でも、日本のやくざの世界でも、自分の愛する者への愛、忠誠心は普通の一般人よりも愛する者との絆がとても深いような気がする。
 限られた世界の中だけでの愛ではあってもその情はとても深い。

 私たちが子供を愛す、両親を愛す、友人を愛すというとき、どちらかというと、「悪人でもその子を愛す」というのとさほど変わらない次元である。

 「あなたの敵を愛せよ」といわれるイエス様のお言葉には、なかなかついていけない。

 しかし、パウロは言う。
  
なお、あなたがたは時を知っているのだから、特に、この事を励まねばならない。すなわち、あなたがたの眠りからさめるべき時が、すでにきている。なぜなら今は、わたしたちの救が、初め信じた時よりも、もっと近づいているからである。
夜はふけ、日が近づいている。それだから、わたしたちは、やみのわざを捨てて、光の武具を着けようではないか。<ローマ13:11、12>

 あなた方は知っている。
 私たちの救い(主の再臨の時)はもうそこまで来ている。
 夜が明けた時、あなたたちは今のままの姿で、光にさらされる。
 あなたが想像するよりも早く、主は来られる。
 いつまでも闇のわざを握っている場合ではないであろう。
 主の下さる光の武具に着替えようではないか。

 パウロの切羽詰まった言葉が響いてくるようだ。

求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。<マタイ7:7、8>

 人は律法を目の前に示すと、「いやできない」、「難しい」、と逃げ腰になる。
 それどころか「あの人は出来てないじゃないか」と人を裁く。
 裁くことは簡単だが、自分もその人と同じ穴のムジナだと言うことには気付かない。
 
 しかし、イエス様は、私たちに「律法を行え」とは言わない。
 「求めよ」「たたけ」「探せ」といわれる。
 そうすれば必ず神は応えてくださるからだ。
 あなたはどれほどイエス様に求めただろうか、どれほど、イエス様の背中をたたき続けたでであろうか、血眼になって、イエス様を探したであろうか。

 神様の答えは、私たちの思いをはるかに超え、私にとって最善の、そのまた最高をなしてくださる。
 それは神様が私たちの必要をすべてご存じだからだ。

神はこう言われる、「わたしは、恵みの時にあなたの願いを聞きいれ、救の日にあなたを助けた」。見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である。<Ⅱコリント6:2>

 新型コロナウィルス感染のニュースに右往左往する私たちの心に響いてくるのは、「今日、あなたの願いは聞いたよ」、「今、あなたを助けたよ」、というイエス様のお言葉だ。

 今や空中エクレシアで集う多くのクリスチャンたちで、サタンどもの居場所はだんだん狭くなりつつあるように見える。
 神の栄光が地球の上を覆い、私たちの魂はいつ主にまみえてもよい時がそこまで来ているようだ。マラナタ! (た)
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by mitiru-takae | 2020-05-17 16:02 | 満ちる | Comments(0)

No.393 神のイノチ 2020.5.10

神のイノチ

しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。<マタイ6:29>

 父(故釘宮義人牧師)は、私のうちで神の生きて働く命のことを「イノチ」とカタカナで書いた。
 勘太郎月夜の替え歌で、「神のイノチはおいらのイノチ」と歌った。

(一)おいらのイノチは神のイノチ
  神のイノチが躍動すれば
  ちっちゃな人生 ひっくりかえり
  悪魔けちらし再発進

(二)人を愛せば生命をすてろ
  国を愛せば家をもすてろ
  金も名誉も友さえいらぬ
  神と一つに生きる道
 
(三)前進前進一歩もひくな
  神の兵卒くじけちゃならぬ
  御霊のほのほにやきつくされて
  宇宙完成なる日まで  
   (勘太郎月夜唄模作・くぎみやよしと)

 イエス様は、空の鳥、野の花を見なさい、考えてみなさいと言われた。
 ソロモンよりもこの花は着飾っている、とも言われた。

 多分イエス様は、人々に語りながら、足元に咲いている小さな花を見、空を飛んでいく鳥たちを眺めていたのだろう。

 こんな素晴らしい世界を作られたお方がいるのに、人々はなぜ、そのお方を見ずに、自分の着物、食べ物のことばかり考えるのか、どうしてそのお方に求めずに、思い煩うのかと語ってくださる。

 わたしたちは、イノチを求めなければならない。
 どんなに小さくても、足元に咲く花には、神のイノチが満ち満ちている。
 空を飛ぶ鳥も、神のイノチを満喫している。

 しかし、かつては満ちていた神の臨在がソロモンの神殿から去っていったように、地上は、神のイノチがないものであふれている。

あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。<マタイ6:27>

 たとえ命があったとしても、それは私のものであって、私のものではない。
 自分で自由にはできないからだ。
 ソロモンの素敵な着物には、イノチがない。
 神殿に神の臨在と栄光がないのと同じだ。

 父が言った神のイノチとは、どんな建物よりも素晴らしい、神の宮である私たちの魂の中で生きているイノチだ。
 飛んだり跳ねたり、エネルギーで満ちた活気あるイノチである。

ヤコブよ、あなたの天幕は麗しい、イスラエルよ、あなたのすまいは、麗しい。<民数記24:5>

 これはバランの命令でイスラエルを呪うはずであったバラクが、かえってイスラエルを祝福した時の言葉である。

 神のイノチが生きている住まいは素晴らしい。
 それは、野の鳥であり、野に咲く花である。
 そして、私たち一人一人がそうである。

それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。<マタイ6:27>

 すべてに勝るものは、神のイノチである。

まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。<マタイ6:33> (た)
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by mitiru-takae | 2020-05-10 21:11 | 満ちる | Comments(0)

No.392 聖書は知っている 2020.5.3

聖書は知っている

主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。<エレミヤ書29:11>。

 聖書は知っている。
 いや神様は知っている。
 私たち人間の過去も未来も知っている。

 主イエス様を信じる人、その人たちの未来は約束されている。それは、主が平安を与え、未来を与え、希望を与えるということだ。

神様が、わたしたちに抱いているご計画を信頼し、すべてのことを喜んでいただこう。
この意思表示さえできれば、あとは神様がやってくださる。

昨年はダニエル書を学んできた。
その中で私たちは聖書に書かれていることが、実際に起こっているという事実をあらためて知り、驚愕したものだ。

ダニエル書に書いている事柄は、歴史家が調べれば調べるほど驚くような、これから先に起ころうとしていることを告げているのである。
もちろんダニエルにとって、見たことも聞いたこともない歴史がここで語られているわけだし、それは世の終わりについての言及に発展していく。

さて、私たちのこれからの世界も、聖書に書かれている通り、神のご計画に、沿って進んでいくはずだ。
そう思うと、いてもたってもいられない。
私たちは、聖書が語る歴史の目撃者なのだから。
ハレルヤ!

新型コロナウィルスのパンデミックによって、私たちの世界は、果たしてどの方向に舵を切ったのであろうか。
進んでいく目の前に、何かが姿を現さないことには、私たちの目には何も見えない。

私たちにとっては、出来上がりを見たことがないパズルのピースがバラバラになっているようにしか見えない世の中である。

しかし、もともとこのパズルには制作者がいるのだ。
そして混とんとしていく中で、ある時突然、制作者(救世主)が現れて、出来上がりの写真を見せてくれる。

私たちは出来上がりの世界を知っている人間である。
パズルの制作者を知っているのだ。
その人は出来上がりを知っているし、その写真を持っている。

そのお方こそ、創造主なる神、イエス・キリストである。

しかし、天にも地にも地の下にも、この巻物を開いて、それを見ることのできる者は、ひとりもいなかった。<ヨハネ黙示録5:3>

 黙示録には、7つの封印をした巻物が出てくる。
 それは神の右の手にあった。
 しかしその封印を解くことができるものが、一人もいなかった。
 ヨハネは泣いた。激しく泣いた。
 
すると、長老のひとりがわたしに言った、「泣くな。見よ、ユダ族のしし、ダビデの若枝であるかたが、勝利を得たので、その巻物を開き七つの封印を解くことができる」。<ヨハネ黙示録5:5>

 神の右の手にある巻物、すべての権威、すべてを統治する力がここにあり、この権威を受け取ることができるのは十字架にかかり、復活し、勝利を得て天に昇ったイエス・キリストのみである。

 このお方は神の小羊、それも屠られたと見える小羊である。
 首を切られ血を全部流してしまい、私たちの贖いとなった屠られた小羊である。
 この小羊が父なる神の手から、巻物を受け取る。
 私たちを贖い、救うことができるのはこのお方をおいてほかにないのだ。
 アーメン!主よ来たりませ!(た)
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by mitiru-takae | 2020-05-03 18:08 | 満ちる | Comments(0)