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No.374 年の終わりにわっはっは!/もう一つのすべてよし 2019.12.29

年の終わりにわっはっは!

 昔、「喜びも悲しみも幾年月」という灯台守のご夫婦を描いた映画があった。
 内容はほとんど覚えてはいない。
 懐かしいので調べてみると、灯台守の夫婦は高峰秀子と佐田啓二、そして監督が木下恵介である。

 この灯台守の二人の人生も、いろいろな困難、悲しみ、そして喜びがあったのだが「終わりよければすべてよし」だ。
 最後の二人の老夫婦の後ろ姿が、故釘宮義人師、トミ夫人の後ろ姿の写真と被ってしまう。

 私たちがこの地上で通り過ぎていく人生は、よほどの有名人でない限り、そうそう世界中の人たちが知っていて覚えてくれているわけではない。
 たとえ名の知れぬ人々であろうと、最後の後ろ姿まで、神が必ず見守ってくださっている。

 私たちの幸せは、誰よりも私自身を理解し、赦し、愛し続けてくださる主イエスが共にいてくださるということだ。

 この一年を主イエスとともに語り合う、静かな時間を持ちたい。
 そして大きな声でこのように言おう。
 「この一年すべて義(よ)し! わっはっはっは!」(2019.12.23)(た)

もう一つのすべてよし

その地は、あなたの神、主が顧みられる所で、年の始めから年の終りまで、あなたの神、主の目が常にその上にある。<申命記11:12>

 神が私たちに下さるすべての出来事は、本当に素敵だ。
 クリスマス・イヴの祝福は素晴らしかった。
 まさに神の目は一年中私達から離れることはない。
 
 最近毎週のように来てくださるKさんに、「今夜クリスマス・イヴ礼拝の時に洗礼を受けるといいねーー」と、礼拝前に信仰告白を迫った。
 実は、もういつでもいい、洗礼を授けたいと、祈って待っていたのだ。
 
 そして思わぬことに、今年の新年礼拝に来て以来のIさん(21歳)が、クリスマス・イヴ礼拝に来てくださった。
 兄弟については、「主が良い日を与えてくださって、バプテスマを受けてもらえるといいのだが」と、祈ってきた。
 その彼が来てくれたのだ。
 このKさんと、Iさんの二人の洗礼式を滴礼で今夜行おうと、心に決めた。
 若いIさんにはぜひ浸礼をと思っていたのだが、仕事が忙しいということもあって、いつまた、来てくれるかわからない。
 「今の時を生かして用い――」、コロサイ書のお言葉が響いてくる。

 お二人とも喜んで受け入れ、信仰を告白されたので、イブ礼拝の中、キャンドルサービスの前に、洗礼式を行なった。

 洗礼の後で、Iさん(もう兄弟であるが)にはまだ教会からのクリスマスカードを差し上げてなかったので、ある姉妹がカードの入っている箱を持って来て、中を開けずに選んでもらった。
 そのカードに書いてあったみ言葉は、これである。

神のなされることは皆その時にかなって美しい。<伝道の書3:11>
 
 なんと、素晴らしいお言葉をいただいたことだ。その通りのことが起こっているのだから。
 神の時というのは実に不思議だ。
 
信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし、不信仰の者は罪に定められる。<マルコ16:16>

道を進んで行くうちに、彼らは水のある所に来た。宦官は言った。「ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」<使徒8:36>

 いつの時にも神の目は、私達から外れることがなく、私たちにいつ、最高の時を与えようかと、毎日毎日、見つめてくださっているのだから、最高に幸せだ。
 この年の 初めも終わりも すべて善(よ)し(2019.12.24)(た)
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by mitiru-takae | 2019-12-31 23:00 | 満ちる | Comments(0)

No.373 星に導かれて/毎日がクリスマス

祝 クリスマス
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星に導かれて

彼らは王の言うことを聞いて出かけると、見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。
彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。<マタイ2:9、10>

 クリスマスおめでとう!
 今年も嬉しいクリスマスを迎えられるのが感謝だ。
 一年間、つらいことも、悲しい時も、また空しい時も、退屈な時もなんとなく過ごしてきた、そんな方もいるだろう。
 ただ、今、生きているということは、すべての時を、乗り越えてきたのだ。
 病で苦しんだ時も、絶望の時も、乗り越えてきたんだと思う。
 それは、あの導きの星が、今の時まで連れて来てくれたのだ。
 イエスの頭上に輝く星が、今、目の前にある。

 東の博士たちが遠い道のりを守り通してイエスの御前に差し出した宝は、私達の忍耐にも似て、色々な試練を乗り越えてきた証だ。
 私たちも同じ様に、今、乗り越えてきた試練の行程を忘れるほどの喜びを、
イエスを目の当たりにするとき体験する。
 非常な喜び。
 それはイエスの前まで導かれた喜びだ。
 忍耐を経てこそ、到達できた喜びだ。
 この喜びこそが、神に喜ばれる私たちが持てる宝である。(た)


毎日がクリスマス

もしわたしたちが、キリストと共に死んだなら、また彼と共に生きることを信じる。<ローマ6:8>
生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。<ガラテヤ2:20>

 私を死から命へとあがないだしてくださったイエスは、私たちの日ごとのもろもろの罪からも解放してくれる。
 私達の犯す罪を毎日、イエスの十字架に共につけていただく。
 救い主である御子を信じる信仰によってのみ、私たちは罪から解放され、義と認められるからだ。
 するとどうなるのか。
 私たちは義とされ、初めてイエスと共に新しく生きる(生まれる)ことができる。
 毎日私の心の中に、イエス・キリストの信仰によってイエスの肉をいただき、毎日イエスの血潮をいただき、イエスと一つとなって生きる。
 イエスの肉と血潮で成長する。
 これこそ、毎日がクリスマスではなかろうか。(た)
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by mitiru-takae | 2019-12-25 23:00 | 満ちる | Comments(0)

No.372 羽田空港から八王子、秋川へ/マリヤの夫ヨセフ 2019.12.15

羽田空港から八王子、秋川へ

わが魂はもだしてただ神をまつ。わが救は神から来る。<詩篇62:1>

 年に一度の東京でのクリスマス礼拝のため、先週の日曜日、羽田に降り立った妹と私は、食事等をすませた後モノレールに乗ろうと、歩き出した。

 歩きながら妹が「なんか違う・・・」と言い出した。
 私も、「様子がちょっとちがうような・・・」と感じながらも前に進もうとした。
 しかし、そこで立ち止まり、よく見ると、モノレールの改札口ではないことに気が付いた。
 「立ち止まらないといけないね・・・」
 「そうだね・・・」
 
 私たちは間違ってないかな…と思いながらも、前にどんどん進んでいくことがある。
 ちょっと立ち止まって確認すればいいことを、惰性でどんどん進んでしまう。
 東京についた途端の「ちょっと待った」であった。
 
 確かに信仰も人生も「ちょっと立ち止まって神のみ心を聞く・・・」を、こころがけねばと二人して笑いながら、改めて東京モノレールの改札口に向かった。

 電車を乗り換えて、豊田駅に着いたが、今回私は早くから車酔いして大変気分が悪かった。しかし滝澤伝道師のお迎えの車で、元気元気!無事N家に到着した。

 思いのほか元気な心で迎えてくださったM姉妹のお顔に、ほっとする。
 癒しの祈りとハグ…楽しい礼拝の時を得た。
 「主イエス・キリストの打たれた傷と十字架の血潮によって、M姉妹の病は完全に癒された」と宣言する。

 夜は秋川教会にて、クリスマス礼拝、その中で聖餐式を行い感謝であった。
 近年は毎回聖餐式をしている。
 秋川教会の兄弟姉妹方の信仰が嬉しい。
 神がどれほど喜んでくださっていることか、こちらもワクワクしてくる。
 
 イエス様がお生まれになった夜も、赤ちゃんのイエス様は笑い、そばにいる少数の人々の心を喜ばせ、あたりは喜びで満たされたであろう。

 イエス様を礼拝する最初の家畜小屋は、少人数の日本にたくさんある家の教会の集まりのようだ。そこは、笑いと喜びに満ちた素晴らしい礼拝の家であったに違いない。
 
 年に一度の東京でのクリスマス礼拝は、世界で初めてイエス様を礼拝した時のようだ。
Mご夫妻の神の家も、秋川の教会も、最高に大きい神の愛に満たされた礼拝であった。満々感謝!(た)


マリヤの夫ヨセフ

ヨセフもダビデの家系であり、またその血統であったので、ガリラヤの町ナザレを出て、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。<ルカ2:4>

 ダビデの家系である、マリヤの夫ヨセフは、旧約聖書に出てくる、ヤコブとラケルとの間に生まれたヨセフと似ている。

 ヤコブの子供のヨセフは、マタイによる福音者の系図には出てこない。
 しかし彼の二人の子供のうち、エフライムが、ヤコブの祝福を受けている。
 つまり、長子の受けるべき神からの祝福は、ヤコブからヨセフの子供であるエフライムに与えられたのである。
 兄エサウではなく、弟のヤコブが祝福されたように、ヤコブは兄マナセではなく、弟のエフライムを祝福したのである。

 長子の権威を繋いだヨセフと、王としての権威をイエスにつないだヨセフのどちらも、素晴らしい夢見る人であった。(た)
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by mitiru-takae | 2019-12-17 17:55 | 満ちる | Comments(0)

No.371 ユダ族を繋いだ四人の女性 2019.12.8

ユダ族を繋いだ四人の女性

アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図。アブラハムはイサクの父であり、イサクはヤコブの父、ヤコブはユダとその兄弟たちとの父、ユダはタマルによるパレスとザラとの父、パレスはエスロンの父、エスロンはアラムの父、<マタイ1:1~3>

 とかく聖書の世界は男系社会と思わされるエピソードがたくさんでてくる。
 民族の人数はいつも男性成人の数である。
 なかでも姦淫の罪は、なぜか、女性のみが告発され、石打ちの刑が当然のように書かれている。
 相手の男性はいないのか、と言いたいくらいである(笑)。

 だからと言って聖書は女性を低いものと差別しているわけではない。
 マタイによる福音書1章には、イエス・キリストの系図が書かれているが、ここにも、神の素晴らしいご計画と選びの業が見られる。
 
 居並ぶ男性の名前の中に、女性の名が出てくるのだ。
 娼婦を装って自分の義父(ユダ)に近づき子供をもうけたタマル。
 普通なら話も出したくないほどの下世話な出来事だ(当時も周りの人々は誤解しただろうと思う)。
 しかし、タマルはユダのために、このことをやってのけたのだ(村岡崇光著【聖書を原語で読んでみてはじめて分かること】参考)
 それは、「イエス・キリストがユダ族から生まれ出ること」が成就するためだ。
 イエス・キリストは私たちの王の王、すべてのものを統治するお方だ。

王笏はユダから離れず、統治の杖は足の間から離れない。ついにシロが来て、諸国の民は彼に従う。<創世記49:10>(新改訳では、《王権はユダを離れず、統治者の杖は・・・》)

 さて、次の女性はラハブである。
 ヨシュアがエリコの城を攻める前、偵察のために使者を二人遣わした。
 その時、彼らをかくまったのが遊女ラハブだ。

サルモンはラハブによるボアズの父、ボアズはルツによるオベデの父、オベデはエッサイの父、<マタイ1:5>

 ルツ物語の情景は、ミレーの「落ち穂拾い」を思い起こさせる。
 ルツはモアブ人であったが、主は異邦人である彼女を選び、イエスの系図に入れてくださった。
 
エッサイはダビデ王の父であった。ダビデはウリヤの妻によるソロモンの父であり、<マタイ1:6>

 次にイエスの系図を繋いだのは「ウリヤの妻」である。
 もちろん、ソロモンの母バテシバの事だ。
 聖書をよく知っているものは、「ああ、ダビデが犯した罪だ」と何事もなく思ってしまうが、イエスの系図に、他人の妻が出てくるのも、考えてみればとても不可思議なことである。
 聖書はどうして「バテシバ」と記さずに「ウリヤの妻」としたのであろうか?

ヤコブはマリヤの夫ヨセフの父であった。このマリヤからキリストといわれるイエスがお生れになった。<マタイ1:16>

 最後はマリヤである。
 マリヤは祭司の家系である。親戚であるエリサベツの夫は、祭司であった。
 ユダ族は、同じユダ族の人か、レビ人としか結婚できない。

 神の計画は、いつも用意周到だ。
 全地の王であり、大祭司である、イエス・キリストは、すべての預言を成就するために生まれてきた。
 王の家系であり、大祭司の家系を持ち、その成すべき完全な業を成し遂げてくださった、唯一のお方。
 その王権はイスラエルだけに留まらず、全世界の統治者、唯一の真の王となる。

 また、たった一度の大祭司の役目によって私たちを罪から贖うことが出来たのだ。
 私達の、王の王、救い主イエスの御降誕を祝おう。(た)
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by mitiru-takae | 2019-12-10 11:29 | 満ちる | Comments(0)

No.370 今日からアドベント 2019.12.1

今日からアドベント

御使がマリヤのところにきて言った、「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます」。
この言葉にマリヤはひどく胸騒ぎがして、このあいさつはなんの事であろうかと、思いめぐらしていた。<ルカ1:28、29>

 今年は12月1日(日)にアドベントに入る。
 クリスマス礼拝は22日である。

 昨年まで天皇誕生日であった12月23日が、今年からは祝日でなくなった。
 そのため、24日夕方から、「クリスマス・イヴ礼拝」をすることとなる。

 地上のクリスマスの始まりは、ガブリエルがマリヤのところに、神からの啓示を持ってくるところからである。
 つまり、受胎告知のことだ。
 「恵まれた女よ」と、ガブリエルは言うが、実際のマリヤにとっては、どれほどの衝撃と不安に包まれたのか、私達には想像もつかない。
 マリヤはひどく胸騒ぎがして、いろいろと思いめぐらせ、答えが出ないままに、ガブリエルの言うことを聞いたであろう。

 人にはそれぞれ神にいただいた命と、人生がある。
 「救い主の母となる」というものすごい体験を、マリヤは、神にいただいた。
 また「救い主の父となる」という、重い責任を取らせられたのがヨセフである。

 まったく、「人生には何が起こるかわからない」というハプニングが、突如二人を襲ったわけだ。
 この時、ガブリエルを通して、神は保証している。
 あなたは恵まれている。
 主が共におられる。
 恐れるな。

 そしてなんと「親族であるエリサベツもあなたと同様、子を宿している」という。
 マリヤの道を整えるために、イエスの道を整える者としてヨハネを遣わしたように、エリサベツを備えてくれていたのだ。

 このように神が私たちの人生の中に介入してくださるとき、すべてのお膳立てを忘れることなく、準備万端して、のち、教えてくださる。
 私たちが神の声を聴く時、それはもうすでに備えられているものなのだ。
 
 たとえ、その道が険しく、困難であろうとも、結果はすでに準備されている。
 私たち一人一人の人生が、神のご計画の中で、いろいろな場面を担う、パズルのピースのように、用いられていく。
 「自分はマリヤではない、また、ヨセフでもない、神のご計画の一端を担うにはあまりにも価値がなさすぎる。」
 たとえ、そう思っていたとしても、一つでもピースがなければ、パズルは完成しない。
 また、一つでも傷ついて使い物にならなければ、これまた完成はないのである。
 そのように、私たち一人一人は神にとってとてつもなく愛おしい、大切なものである。


 先週で、ダニエル書が終わった。
 なんだかすごく寂しい思いで、ダニエル書を開いてみる。

彼は言った、「ダニエルよ、あなたの道を行きなさい。この言葉は終りの時まで秘し、かつ封じておかれます。<ダニエル12:9>

 たとえ、神の啓示をすぐに理解できなかったとしても、神のご計画は必ず成就する。

またわたしに言った、「この書の預言の言葉を封じてはならない。時が近づいているからである。<ヨハネ黙示録22:10>

 終わりの時は近い。
 今は、神に示された言葉を封じてはならない時なのである。(た)
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by mitiru-takae | 2019-12-03 21:28 | 満ちる | Comments(0)