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No.330 人間は神の傑作 2019.2.24

人間は神の傑作

この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜もそれを思い、そのうちにしるされていることを、ことごとく守って行わなければならない。そうするならば、あなたの道は栄え、あなたは勝利を得るであろう。<ヨシュア1:8>

 創造主である、父なる神はよいお方です。
 そのお方が作られた人間は、まさに最高傑作で、神自身が「はなはだ良い」と言っているくらいです。

 私は若いころ、紙粘土で人形を作っていました。
 人形を立たせるのは大変です。
 土台に小さなガラスのビンなどを入れていました。
 時には二本足で立たせるために、箸のような細い棒を芯にして、足のように肉付けて立たせていました。

 人間が細い二本足でどうして立って歩けるのか、どうしてそうなるのか不思議ですね。

 人間の生活習慣や、行動、道具の使い方ひとつをとっても、人間を人間のように育てていくのはもちろん人間ですが、体のつくりだけでなく、人を愛する心を持っていることなどは本当に不思議です。

 また、人間が意思を持ったり、言葉を使ってコミュニケーションをとったり、言葉を文字で表現したりできることも不思議です。

 神様は、私たちをご自身に似せて作ってくださいました。
 私たちが持っているものはすべて、神様がはじめから、私たちに備えてくださったものです。手も足も、骨も、目も口も、心もすべてです。

 最近、脳科学者キャロリン・リーフ博士という人の「脳を作り変えるみ言葉の力」という番組をある方から教えてもらい、ユーチューブでみました。
 脳の働く力はすさまじく、1秒に4000億のことを行っているそうです。

 その脳の中に、科学者たちが「脳神経の木」と呼んでいる、まるで木のような神経細胞があるそうです。

 私たちの五感から入って来る情報のすべてで、この木を作っているそうです。脳の中では枝を張り、たくさんの木で森ができているようにみえるそうです。

 この脳神経は300万年以上の記憶を持つことができるそうなのです。
 まさにスーパーコンピューターですね。

 実は博士曰く、この木の一つ一つが、不安に襲われたり、否定的なことを思ったり、口に出していったりすると、真っ黒の枯れたような木になるそうです。

 反対に、肯定的な言葉など、良い思い、特にみ言葉を口にすると、緑色の葉でおおわれた木に変わっていくのだそうです。黒い枯れたような木は溶けていくそうです。

 みなさん、み言葉(聖書のお言葉)で、黒い木を全部溶かしてしまいたいですね。「これは生涯かけて、私たちがしていくことです。」と博士は言ってました。
 
 神様はよいお方です。
私たちをご自分に似せて、善い行いをするように、また聖い思いを持つように作られているので、反対のことをしていると、脳がバランスを失い、霊と、魂と、体はつながっているので、体が、また心が病気になってしまうのだそうです。

もしあなたのくちびるが正しい事を言うならば、わたしの心も喜ぶ。<箴言23:16>

 毎日のストレス、いやな思い、間違いなどによって真っ黒になった脳内の神経の木がすべて緑色に変わるように、みことばを告白していきましょう。

 みことばは、私たちの力となります。神様の権威そのものです。(献堂40周年記念に発行した釘宮義人師の『告白の力』を、何度も読んでほしいと思います。)
 
 今日もすべての罪を主のもとに持っていきます。
 イエス様は、私の罪も病も、すべてを十字架上で清算してくださいました。
 「今日の罪は今日一日で充分です。」と言ってくださるイエス様に感謝し、リセットされた心で明日の朝を迎えましょう。ハレルヤ!(た)
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by mitiru-takae | 2019-02-28 23:03 | 満ちる | Comments(0)

No.329 (大分ローカルギャザリングから) 煙のにおいがしない/私は強い人、それとも弱い人 2019.2.17

(大分ローカルギャザリングから)
煙のにおいがしない

総督、長官、知事および王の大臣たちも集まってきて、この人々を見たが、火は彼らの身にはなんの力もなく、その頭の毛は焼けず、その外套はそこなわれず、火のにおいもこれに付かなかった。<ダニエル3:27>

 「『煙のにおいがしない』というのは、信仰ゆえにダニエルの友3人が、炉を平常よりも七倍熱くした中に投げ込まれるという箇所からの話です。
 彼らがこの火の穴から出てきたとき(信仰を持ち続けつつ試練を通った時)に、その火による煙のにおいもついてないということなのです。
 聖霊の力によって、その試練の痕跡がなくされる。」

 以上は、チェジュ島でおこなわれたギャザリングでの体験を話しながら、ヨアンナ師が語ってくださったお言葉です。

 アートチームに来てみないかと誘われたとき、ヨアンナ師は私にも言ってくださいました。

 「あなたは、いろんなご苦労がないとは言えない、あったと思いますが、煙のにおいがしないのです。」

 みなさん、煙のにおいがしない人になりたいですね。いつもイエス様の喜び、平安、熱情の香りを身に着けていたいと思います。

 今回のギャザリングは「かぐわしいイエス・キリストの香り」でした。
 どんな高い香水よりもかぐわしい、イエス・キリストの香りを身につけていましょう。

 「満ちる」ギャザリング特集は今回で終わります。
 3月の京都でのギャザリングを期待しています。ハレルヤ!(た)



私は強い人、それとも弱い人

 弱いときにこそ強いって言いますけど、ほんとに弱くていいのですか?
 神様は弱い私が好きなのですか?

だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。<第二コリント12:10>

 聖霊様がわたしに言ってくださるとき、そのお言葉は「時にかなって美しい」のですね。
 イエス様はいつも、私たちに本当の強さを持ってほしいと、願っています。
 しかしそれは人間の思いや頑張りだけでは、まだまだ、本物ではありません。

神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからである。<第一コリント1:25>

 「弱いとき」と一言で言いますが、しかし、ナヨナヨッとして優柔不断で、何も言えず、「私は弱くて何もできないから‥・・・」と言っている人のことではありません。
 困難が来ると立ち向かえることができる人、負けるかもしれない戦いでも勇敢に戦える人、チャレンジしていくことができる人です。

 このような人は、自分の持っている最高の知恵や力を出しても及ばない、また自分の思い道理にいかない、そのような自分を出し尽くすことができる人ともいえます。
 このような人こそ、本当に自分の力のなさを知る者です。
 自分の力を出すのをためらう人は、力がどれくらいあるのかさえ分かりません。

 「キリストのためならば弱さと―――――行き詰まりとに甘んじよう。」と言えるパウロこそ、自分の弱さをとことん知った人なのでしょう。
 しかし、できない自分に対して、自分の弱さに甘んじることでさえも、人によってはとても辛いことでもあるのです。弱さも人それぞれです。

 自分の弱さを聖霊様に教えていただきましょう。それを知って神に頼るものこそ、まことの強き人です。
 「私は主にあって強い」と声を大にして言える人となりましょう。(た)
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by mitiru-takae | 2019-02-28 23:02 | 満ちる | Comments(0)

No.328 (大分ローカルギャザリングから)イエス様の電話番号/一人の早天祈祷会/恵みはまだまだ尽きず! 2019.2.10

(大分ローカルギャザリングから)
イエス様の電話番号

 「子供たちに質問です。」
 「イエス様の電話番号知っていますか?」

 ヨアンナ師は目をくるくるさせて子供たちに聞きました。
 
 「大人の人は知っていますよ。」

 みなさんはご存知ですか?

わたしに呼び求めよ、そうすれば、わたしはあなたに答える。そしてあなたの知らない大きな隠されている事を、あなたに示す。<エレミヤ33:3>

 


一人の早天祈祷会

 「朝6時くらいであったか、ある時、一人でキリストの福音大分教会へと赴いた。すると、そこで見たのは、恵みの座(講壇の前のじゅうたんを敷いてあるところ)で、ひとり座り祈っている釘宮義人先生のお姿でした。」

 と語るのは別府フルゴスペル教会の永野先生です。

 たしかに、父は何年も、ここに一人で早天を続けていました。
 何年も誰も来ない朝、ただ、聖霊様との二人だけの濃い時を普通に自然に、ただ過ごしていたのに違いありません。一日のうちで、一番充実したときであったのかもしれません。

 この時に永野先生は、三教会合同祈祷会を始めようと思いついたそうです。

 そして、この集会は大分ブレッシングと名称を変え、ついにローカルギャザリングとして、大分だけではなく、日本の各地からも神の家族が来てくださるという、素晴らしい集会へと導かれてきたのです。

 たった一人の人の祈りを見たことに始まった、3つの教会の集会が、今のローカルギャザリングという、多くの神の家族の集まりへと拡大してきたのは、素晴らしい神様のご計画と言わざるを得ません。ハレルヤ!


恵みはまだまだ尽きず!

『主が雨を地のおもてに降らす日まで、かめの粉は尽きず、びんの油は絶えない』とイスラエルの神、主が言われるからです」。<列王記上17:14>

 1月14日に開催しました「大分ローカルギャザリング」の恵みはとても大きく、わたしたちの心にきざまれました。

 どうか皆さん、この恵みを受けとることをやめないように、主の恵みを受け取る器を守るために、私たちは日々、祈りつつ、求め続けていきましょう。

 私たちの目には形が違ってみえる器だとしても、土の器なる私たちの小さな心の中にあふれるばかりの恵みをくださる主は、この小さな器を、宇宙のように広げて、無限の命と平安を満たしてくださいます。

 神の恵みは、尽きることがありません。
 イエス様の聖名は、これからの私たちの教会に、また私たちの魂の歩みに決定的な勝利を与え、主の聖名を信じる信仰はますます増え続け広がっていきます。

 日本の各地に流された殉教の血、大分の地に流された素朴な信仰者の殉教の血、そのために苦しんできた多くの魂、浮かばれない罪を抱えて死んでいった殉教者を迫害した人々、多くの悩みと苦しみが、大分を、また日本を苦しめてきました。

 しかし、そのすべてが解放され、癒されて、今、私たちの歩む足元から、主イエス・キリストの信仰による贖いの血潮となって噴出します。アーメン! (た)
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by mitiru-takae | 2019-02-28 23:01 | 満ちる | Comments(0)

No.327 (大分ローカルギャザリングから)世界で一番美しいのは誰/オーナーですか、テナントですか/見ざる、言わざる、聞かざる 2019.2.3

(大分ローカルギャザリングから)
世界で一番美しいのは誰

 白雪姫のお話を皆さんはよく知っていると思います。
 かわいい白雪姫が「自分は美人だ」とか、「あの人よりも綺麗になりたい」なんて言っているところは確か、なかったと思います。
 7人の小人たちと、毎日仲良く暮らしていました。
 「鏡よ鏡、世界で一番美しいのは誰・・・」
 と言ったのは白雪姫の美しさをねたんで、何度も何度も鏡に声をかけた白雪姫の継母である女王様でした。
 白雪姫はイエス様を信じていたでしょうか、お話なので分かりませんが、少なくとも、自分を大きくしている女王のようにではなかったでしょう。

 先号につづいてヨアンナ師のお話ですが、「美しいという字は羊が大きいのです」と言いました。羊とはイエス様のことです。

 そして「自分を大きくすると、臭いのです」といって笑いました。
 確かに。漢字は本当によくできています。ビックリしますね。
 これも日本人のために神様があらかじめ用意されていた文字でしょうか。
 主が働かれるとすべてが美しいのです。
 そして主のなさることは、今も昔も神秘に満ちています。

神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。<伝道の書3:11>
 

オーナーですか、テナントですか

 イエス様は確かに私たちの心の中に住んでくださっているのですが、ともすれば、オーナーとしてではなく、テナントとして入っていただいている人が多いのです。
 それで私たちはいつでも都合のいいときだけイエス様にご登場願うのですね。つまり、自分が主権を握っているのです。
 しかし、本当はイエス様はいつでも私の心のオーナーです。いつでも、どこでも、とこしえにイエス様が主権者です。

 信頼できる、完全にゆだねても大丈夫なお方なのです。私たちはイエス様を、まるでテナント扱いをしている時が多いのです。

 デミアン師は、自分の働きを委ねますといって、明け渡したつもりでいたそうですが、その時、神様は、沈黙されていたのだそうです。

 それは3か月もつづき、気が狂いそうなくらいの苦しみであったといいます。しかし、その時、友人に大切な本を貸し、それを破って捨てられたという夢を見せられたそうです。
 自分のものをそんな風に扱われたら誰だって、腹が立ちます。

 そこで神様にオーナーとして委ねているか、テナントのように扱っているかを問われたそうです。(神がオーナーなら、その扱いはすべてをお委ねでき、安心です)
 この心がギャザリングの働きの始まりとなったそうです。

 もともと永遠の命をくださったのはイエス様ですから、このお方こそ、私の命のオーナーなのですね。

あなたは、子に賜わったすべての者に、永遠の命を授けさせるため、万民を支配する権威を子にお与えになったのですから。<ヨハネ17:2>


見ざる、言わざる、聞かざる
 
 日光東照宮という絢爛豪華な徳川家康が祀られた神社に、3匹のお猿さんの見事な彫り物がありますね。

 見なくてよいものを見ず、聞かなくてよいものを聞かず、いらぬおしゃべりをしないと、よい彫り物だと位にしか思っていませんでしたが、これは耶蘇教(キリスト教)に対してのことを言っているのだそうです。

 大分がそうであったように、ここにも大勢いたであろう殉教者のことを思います。また、迫害した人々の救いと解放を祈ります。(た)
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by mitiru-takae | 2019-02-28 23:00 | 満ちる | Comments(0)