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No.328 (大分ローカルギャザリングから)イエス様の電話番号/一人の早天祈祷会/恵みはまだまだ尽きず! 2019.2.10

(大分ローカルギャザリングから)
イエス様の電話番号

 「子供たちに質問です。」
 「イエス様の電話番号知っていますか?」

 ヨアンナ師は目をくるくるさせて子供たちに聞きました。
 
 「大人の人は知っていますよ。」

 みなさんはご存知ですか?

わたしに呼び求めよ、そうすれば、わたしはあなたに答える。そしてあなたの知らない大きな隠されている事を、あなたに示す。<エレミヤ33:3>

 


一人の早天祈祷会

 「朝6時くらいであったか、ある時、一人でキリストの福音大分教会へと赴いた。すると、そこで見たのは、恵みの座(講壇の前のじゅうたんを敷いてあるところ)で、ひとり座り祈っている釘宮義人先生のお姿でした。」

 と語るのは別府フルゴスペル教会の永野先生です。

 たしかに、父は何年も、ここに一人で早天を続けていました。
 何年も誰も来ない朝、ただ、聖霊様との二人だけの濃い時を普通に自然に、ただ過ごしていたのに違いありません。一日のうちで、一番充実したときであったのかもしれません。

 この時に永野先生は、三教会合同祈祷会を始めようと思いついたそうです。

 そして、この集会は大分ブレッシングと名称を変え、ついにローカルギャザリングとして、大分だけではなく、日本の各地からも神の家族が来てくださるという、素晴らしい集会へと導かれてきたのです。

 たった一人の人の祈りを見たことに始まった、3つの教会の集会が、今のローカルギャザリングという、多くの神の家族の集まりへと拡大してきたのは、素晴らしい神様のご計画と言わざるを得ません。ハレルヤ!


恵みはまだまだ尽きず!

『主が雨を地のおもてに降らす日まで、かめの粉は尽きず、びんの油は絶えない』とイスラエルの神、主が言われるからです」。<列王記上17:14>

 1月14日に開催しました「大分ローカルギャザリング」の恵みはとても大きく、わたしたちの心にきざまれました。

 どうか皆さん、この恵みを受けとることをやめないように、主の恵みを受け取る器を守るために、私たちは日々、祈りつつ、求め続けていきましょう。

 私たちの目には形が違ってみえる器だとしても、土の器なる私たちの小さな心の中にあふれるばかりの恵みをくださる主は、この小さな器を、宇宙のように広げて、無限の命と平安を満たしてくださいます。

 神の恵みは、尽きることがありません。
 イエス様の聖名は、これからの私たちの教会に、また私たちの魂の歩みに決定的な勝利を与え、主の聖名を信じる信仰はますます増え続け広がっていきます。

 日本の各地に流された殉教の血、大分の地に流された素朴な信仰者の殉教の血、そのために苦しんできた多くの魂、浮かばれない罪を抱えて死んでいった殉教者を迫害した人々、多くの悩みと苦しみが、大分を、また日本を苦しめてきました。

 しかし、そのすべてが解放され、癒されて、今、私たちの歩む足元から、主イエス・キリストの信仰による贖いの血潮となって噴出します。アーメン! (た)
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by mitiru-takae | 2019-02-28 23:01 | 満ちる | Comments(0)

No.327 (大分ローカルギャザリングから)世界で一番美しいのは誰/オーナーですか、テナントですか/見ざる、言わざる、聞かざる 2019.2.3

(大分ローカルギャザリングから)
世界で一番美しいのは誰

 白雪姫のお話を皆さんはよく知っていると思います。
 かわいい白雪姫が「自分は美人だ」とか、「あの人よりも綺麗になりたい」なんて言っているところは確か、なかったと思います。
 7人の小人たちと、毎日仲良く暮らしていました。
 「鏡よ鏡、世界で一番美しいのは誰・・・」
 と言ったのは白雪姫の美しさをねたんで、何度も何度も鏡に声をかけた白雪姫の継母である女王様でした。
 白雪姫はイエス様を信じていたでしょうか、お話なので分かりませんが、少なくとも、自分を大きくしている女王のようにではなかったでしょう。

 先号につづいてヨアンナ師のお話ですが、「美しいという字は羊が大きいのです」と言いました。羊とはイエス様のことです。

 そして「自分を大きくすると、臭いのです」といって笑いました。
 確かに。漢字は本当によくできています。ビックリしますね。
 これも日本人のために神様があらかじめ用意されていた文字でしょうか。
 主が働かれるとすべてが美しいのです。
 そして主のなさることは、今も昔も神秘に満ちています。

神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。<伝道の書3:11>
 

オーナーですか、テナントですか

 イエス様は確かに私たちの心の中に住んでくださっているのですが、ともすれば、オーナーとしてではなく、テナントとして入っていただいている人が多いのです。
 それで私たちはいつでも都合のいいときだけイエス様にご登場願うのですね。つまり、自分が主権を握っているのです。
 しかし、本当はイエス様はいつでも私の心のオーナーです。いつでも、どこでも、とこしえにイエス様が主権者です。

 信頼できる、完全にゆだねても大丈夫なお方なのです。私たちはイエス様を、まるでテナント扱いをしている時が多いのです。

 デミアン師は、自分の働きを委ねますといって、明け渡したつもりでいたそうですが、その時、神様は、沈黙されていたのだそうです。

 それは3か月もつづき、気が狂いそうなくらいの苦しみであったといいます。しかし、その時、友人に大切な本を貸し、それを破って捨てられたという夢を見せられたそうです。
 自分のものをそんな風に扱われたら誰だって、腹が立ちます。

 そこで神様にオーナーとして委ねているか、テナントのように扱っているかを問われたそうです。(神がオーナーなら、その扱いはすべてをお委ねでき、安心です)
 この心がギャザリングの働きの始まりとなったそうです。

 もともと永遠の命をくださったのはイエス様ですから、このお方こそ、私の命のオーナーなのですね。

あなたは、子に賜わったすべての者に、永遠の命を授けさせるため、万民を支配する権威を子にお与えになったのですから。<ヨハネ17:2>


見ざる、言わざる、聞かざる
 
 日光東照宮という絢爛豪華な徳川家康が祀られた神社に、3匹のお猿さんの見事な彫り物がありますね。

 見なくてよいものを見ず、聞かなくてよいものを聞かず、いらぬおしゃべりをしないと、よい彫り物だと位にしか思っていませんでしたが、これは耶蘇教(キリスト教)に対してのことを言っているのだそうです。

 大分がそうであったように、ここにも大勢いたであろう殉教者のことを思います。また、迫害した人々の救いと解放を祈ります。(た)
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by mitiru-takae | 2019-02-28 23:00 | 満ちる | Comments(0)

No.326 神様に怒って文句を言うお話 (大分ギャザリングから) 2019.1.27

神様に怒って文句を言うお話
(大分ギャザリングから)

 ギャザリングも終わり、ちょっとほっとしていると、風邪をひきこんでしまいました。
 「あー、なんてこと、追い出しましょう。祝福のほかはいらないのに・・・」

 でも、風邪のウイルスは結構しつこいですね。
 幸い、インフルエンザではありませんでした。

 「これは神様が守ってくださったのよね」
 と、喜びましたが、あれっ、ちょっと待てよ・・・・・。
 
 讃美歌532番を開いてみますと、禍(まが)も幸だと歌っています。両親が大好きな讃美歌でした。

 これを歌うたびに、父は「禍も、幸なんだよ」といっていましたが、何故、禍も幸なのでしょう。風邪も幸ですか?

3. ひるとなく、よるとなく、
  主はともに ましませば、
  いやされぬ やまいなく、
  さちならぬ 禍(まが)もなし。
  (くりかえし)

 今回の大分ローカルギャザリングでヨアンナ師が、子供たちへのお話の中でこのようなことを話してくださいました。

 「何かが、うまくいってる時は、神様のおっしゃることも信じやすいかもしれない。」
 「でも、こんなときはどう?神様に怒ったりしませんか?」
 「『神様を信じているのに、どうしてこんなことが起こるの』というようなことが起こった時などです。」

 「例えば、朝から、目覚ましが鳴らない、車のエンジンがかからない、遅刻をする、頼んだサンドイッチが注文したものと違っていた、電話に出たとたんバッテリーがきれた、マッサージ機のスイッチが切れている・・・・・・」などなど、ありそうなお話を楽しくしてくださいました。

 「神様がどうしてこんなことを許された(もちろん悪魔に対して)のか聞いてみました…。」
すべてのことには一つ一つそうなったわけがあったのです。

 「神様は、状況がいいときにも悪いときにも、私を信頼しなさいといいました。」
 それは、私たちには、わからないことが多いからです。
 つまり、神様は、すべてのことを知っています。今から何が起こるか。どうなるのか…などです。

 神様はとても良いお方ですから、私たちをいつも守ってくださっています。
 すべては神様のご計画、その御手の中にあるから安心なんです。

 確かに病気はつらいし、困ったことが起こってくると、逃げ出したくなったり、人を恨んだりしてしまいます。

 でも私たちは子供のころはよくわからなかったかもしれませんが、長い人生を振り返ってみると、私たちが神様と一番近かった時は、私たちがとても苦しかった時の方が多いようです。

あなたはもはや「捨てられた者」と言われず、あなたの地はもはや「荒れた者」と言われず、あなたは「わが喜びは彼女にある」ととなえられ、あなたの地は「配偶ある者」ととなえられる。主はあなたを喜ばれ、あなたの地は配偶を得るからである。
若い者が処女をめとるように
あなたの子らはあなたをめとり、花婿が花嫁を喜ぶように
あなたの神はあなたを喜ばれる。 <イザヤ62:4、5>

 私たちは配偶のあるものであって、見捨てられることはありません。
 神はいつも私たちを花嫁のように喜んでくださり、いつも共にいてくださるお方です。
 私たちは配偶なるイエス様といつも一緒なのです。嬉しいですね。(た)
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by mitiru-takae | 2019-01-31 23:03 | 満ちる | Comments(0)

No.325 わたしを楽しんでくださる主 2019.1.20

わたしを楽しんでくださる主

 「2019年第一回大分ローカルギャザリング」が、無事に恵みのうちに終わりました。
 たくさんの喜びの絆によるご奉仕が、一つ一つあげることができないほどありました。心から感謝します、ありがとうございました。

 70数名の神の家族が集まってくださり、子供たちの賛美と、祈りとダンスなども交え、本当にうれしい、楽しいギャザリングでした。
 ヨアンナ師の、子供たちへのお話では、私たち大人でさえ、神様のご計画の素晴らしさを知らず、思い通りにならないことに文句を言ってしまうという、思わず悔い改めさせられることもありました。

 「主に贖われた者たちは、帰ってくる~」と賛美しながら始まった、今回の大分ローカルギャザリングの中で、特に私が嬉しかったこの聖書の箇所をここに取り上げてみました。

あなたはもはや「捨てられた者」と言われず、あなたの地はもはや「荒れた者」と言われず、あなたは「わが喜びは彼女にある」ととなえられ、あなたの地は「配偶ある者」ととなえられる。主はあなたを喜ばれ、あなたの地は配偶を得るからである。<イザヤ62:4>
若い者が処女をめとるように
あなたの子らはあなたをめとり、花婿が花嫁を喜ぶように
あなたの神はあなたを喜ばれる(あなたを喜びとされる【新共同訳】)。<イザヤ62:5>

 神様が一番喜んでくださることは、私たちが神様のもとに帰ってくることではないでしょうか。
 イスラエルの民しかり、放蕩息子しかり、そして、私たちもしかり、私たちが、主のもとに帰るとき、主は「あなたは私の喜び、楽しみだ」と言ってくださるのです。
 私たちを喜び楽しんでくださる主を私も喜び、主と共にいることを楽しみます。

 ギャザリングの翌日、永野先生が、「キリストの福音大分教会は詩編133:1のお言葉そのものですね」と言ってくださいました。
 これはホントに神様がこの教会を、喜んでくださって、イエス様のお体なる一人一人を見て楽しんでくださっているんだ、という思いに浸されます。
 神様の喜びをダビデは手に取るように知っていたのですね。

見よ、兄弟が和合して共におるのは
いかに麗しく楽しいことであろう。
それはこうべに注がれた尊い油がひげに流れ、アロンのひげに流れ、その衣のえりにまで流れくだるようだ。
またヘルモンの露がシオンの山に下るようだ。これは主がかしこに祝福を命じ、とこしえに命を与えられたからである。<詩篇133:1~3>

 もう一つの喜びがあります。
 先生方の預言や幻で、ここに(教会、しいて言えば恵みの座、この大分の地)命の水が湧き出る泉があるということです。
 「永遠の命に至る生きた水が川々となって腹から流れ出て、この地を覆い、あふれて流れ出すんだ」という故釘宮義人牧師(この日1月14日は義人牧師の誕生日でした)の言葉を思い出しました。
 そして、いつもこの恵みの座を潤す聖霊の水が、だんだんと増えていき、満ち満ちているのを私はいつも見させていただいていたことを思い出しました。
 ここに、橋本牧師の「剣の舞」を見ることとなり、その剣を(すでに幻を絵にかいたものがありました)私が恵みの座に突き刺すということになりました。幻の成就です(神を恐れます)。
 その時、藤江先生、石原先生の奥様のお二人が共に同じ幻を見ていました。
 剣を刺した途端、命の水が間欠泉のように高く噴き出したというのです。

 預言の絵はミカエルが剣を刺した途端、下にある心臓から、マグマ(イエス・キリストの血潮)が噴出したというものでした。この二つの幻と、私たちの行動が、ここで一つとなりました。
これは次のギャザリングにつながっていきます。ハレルヤ!(た)
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by mitiru-takae | 2019-01-31 23:02 | 満ちる | Comments(0)

No.324 暗黒の中から叫ぶ祈り 2019.1.13

暗黒の中から叫ぶ祈り

そして彼らはヨナを取って海に投げ入れた。すると海の荒れるのがやんだ。
そこで人々は大いに主を恐れ、犠牲を主にささげて、誓願を立てた。
主は大いなる魚を備えて、ヨナをのませられた。ヨナは三日三夜その魚の腹の中にいた。<ヨナ1:15~17>

 ピノキオというお話を聞いたことがあると思います。
 旧約聖書に書かれているヨナ書にでてくるお話によく似ているところがあります。

 それは大きな魚にのまれて、その魚のおなかの中で過ごすというところです。
 ピノキオ(ピノッキオの冒険【イタリアの作家・カルロ・コッローディの児童文学】)のお話は、このヨナ書の一部を参考にしたのでしょうか。

 キリスト教的にも、色々な教えが含まれていたり、社会風刺がちょっときついとか、結構私たちが知っているより、大人向けのお話かもしれません。
 それにしても嘘をつくと鼻がのびるなどとても面白いお話で、原作を読んでみたいなとも思ってしまいますネ。

 ヨナ書はイエス様がお生まれになるまだ前の時代のものです。「3日間お魚のおなかの中にいた」というのも、なんだか、イエス様の死んで黄泉に下った期間と同じですし、イエス様自身、このヨナについて言及していますね。

すると、彼らに答えて言われた、「邪悪で不義な時代は、しるしを求める。しかし、預言者ヨナのしるしのほかには、なんのしるしも与えられないであろう。<マタイ12:39>

 イエス様は私たちの罪のために、十字架にかかり、黄泉に下り、死と黄泉に打ち勝ってよみがえられました。
 そして天に上り、父なる神のすべての権威をもち、聖霊様を私たち一人一人に送って下さったのです。
 これ以上の私たちに与えられるしるしはこの世にはありません。

 私たち人間の救いのために、この世のすべてのものが、神によって用意されました。

 私たちが生きているうちには、戦争や、貧困、病気や悲しみ、色々なつらいことも介入してきただろうと思いますが、しかし、私たちの勝利は約束されています。

 ヨナは魚のおなかの中で祈っています。

ヨナは魚の腹の中からその神、主に祈って、
言った、「わたしは悩みのうちから主に呼ばわると、主はわたしに答えられた。わたしが陰府の腹の中から叫ぶと、あなたはわたしの声を聞かれた<ヨナ2:1、2>

わが魂がわたしのうちに弱っているとき、わたしは主をおぼえ、わたしの祈はあなたに至り、あなたの聖なる宮に達した。<ヨナ2:7>

しかしわたしは感謝の声をもって、あなたに犠牲をささげ、わたしの誓いをはたす。救は主にある」。
主は魚にお命じになったので、魚はヨナを陸に吐き出した。<ヨナ2:9、10>

 ヨナもおなかの中で、へとへとに弱りはて、黄泉の腹というくらいですから、大変な罪責の思いや、魂の暗黒を体験していたのだと思います。
 でもここで、ヨナは「救いは主にある」と告白するに至るわけです。

 祈り、それは、「悩みのうちから主を呼ぶ、黄泉の腹から主に叫ぶ」です。

 そして自分の弱さを知る中で、主を覚えて祈ると、祈りは主に至り、それは聖とされていき、聖なる宮に達する―――と、いうのです。

 ヨナは感謝し、礼拝します。
 主との約束を果たすと誓います。
 それは私たちも同じです。
 すると、魚の口は開いて、光の世界に出るのです。(た)
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by mitiru-takae | 2019-01-31 23:01 | 満ちる | Comments(0)

No.323 新年おめでとうございます 2019.1.6

新年おめでとうございます

【2019年指標聖句】
あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。<ローマ12:1>

 主の恵みの年2019年を心から感謝いたします。

 新しい年が主に喜ばれる毎日となります様に、期待を胸に膨らませ、一日一日を大切に生きていきたいと思います。

 指標聖句はいつも不思議と何かのきっかけであたえられます。
 今年の指標聖句は、結構早くから考えてはいたのですが、人間的に探すと、みことばは素晴らしい言葉が多すぎて、これを選ぶのは大変難しいものです。

 皆さんも経験があると思いますが、何かのために自分で考え、探していると、毎日、「あ、これもいい、このお言葉は素晴らしい」と、きりがないのです。(笑)
 
 しかし、主に与えられるみことばは、動くことがありません。
 感謝して今年一年、私たちがささげるまことの礼拝を、このお言葉(ローマ12:1)に従って捧げて行きたいと願っています。

 私たちの希望はいつも主の御手の中にあります。

 礼拝ももちろんそうですし、教会にいるときだけでなく、ご家庭に帰ってからも、職場においても、私たちが生きているその所のすべてが、主のご計画の中で、動いているのです。
 
 イエス様の側に立つものとして、神が選ばれた聖徒の一人一人が、この地上で生きていくとき、神のご計画から一人も漏れることはありません。
 選ばれた、と言うとき、私たちの魂は神のものと変えられているからです。

あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。<ローマ12:2>

 世に調子を合わせるな(新改訳)と言われてもなかなか難しいものです。

 しかし、心が神の側のものと変えられるならば、私たちにとって世は調子を合わせるほどの価値のあるものではなくなります。
 私たちが自分で心を新たにすることは難しいでしょうが、神にできないことはないのです。

 救いは神から来ます。イエス・キリストのほかに救いはありません。

 この大いなる恵みと憐れみに、私たちはどれだけお返しすることができるでしょうか。
 それは神が喜ばれるものでなければ、わたしの身勝手な信仰の表れとなるでしょう。

 お返し、それは私たちの心からなる賛美です。神をほめたたえる以上の神にお返しできるものは、この世にはありません。
 主をほめたたえます。
 
 私たちの日々の生き方をパウロはこの後12章で語ってくれていますが、これらの教えの基本となるのは、神への礼拝です。
 それは、いつも神の側(がわ)に帰ることでもあります。

 アブラハム、イサク、ヤコブたちが行く先々で、祭壇を築いたように、私たちも神を礼拝することを、信仰の基本としていきましょう。
 旧約の時代はいけにえとして祭壇に動物をささげていましたが、今の私たちには私と共にわたしの中で、生き動き存在する私の救い主イエス様の命があります。
 この命は神がご自身を「生きた供え物」とされたものです。

 実際には教会の礼拝の中で、いろいろな集会の中で、私たちの体をささげていくことですが、このことを可能にできるのは、私のうちにある「生きた供え物」としてのイエス様が、私をささげることができるものに変えてくださるからです。
ハレルヤ!(た)
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by mitiru-takae | 2019-01-31 23:00 | 満ちる | Comments(0)

No.322 一年を感謝します 2018.12.30

一年を感謝します

万軍の主は言われる、見よ、炉のように燃える日が来る。その時すべて高ぶる者と、悪を行う者とは、わらのようになる。その来る日は、彼らを焼き尽して、根も枝も残さない。
しかしわが名を恐れるあなたがたには、義の太陽がのぼり、その翼には、いやす力を備えている。あなたがたは牛舎から出る子牛のように外に出て、とびはねる。<マラキ4:1、2>

 クリスマス礼拝、クリスマスイブ礼拝共に素晴らしい主のご臨在の中、すべての行事を終えました。
 心からお礼を申し上げます。

 年末の忙しい時期ですが、兄弟姉妹たちが笑顔で教会に集まることができました。

 礼拝の後は、愛さん会で楽しみ、お土産いっぱい、おなか一杯、心は聖霊充満、満腹で両日とも、みんなの足は軽やかに家に帰っていくことができたようです。
 神の家族の愛情あふれる姿が、私の目に焼き付いています。

 イエス様は世の光として、私たちの所へ来てくださいました。
 光は、すべてを照らします。
 美しいところばかりではありません。特にイエス様のいなかった時のありさまは、目を向けることもできないくらいの悲惨なものです。
 そこを照らすのですから、本当は私たちもたまったものではないのです。

 イエス様に出会うと、どうしても自分の汚さに気付いてしまいます。
 しかし、そうでないと、私たちもイエス様の愛がわからないわけです。

 それは、律法が来たおかげで皆が「罪を罪と知るようになった」ということです。自分の罪がわからないと、イエス様の愛がちっともわからないということになります。

律法が入り込んで来たのは、罪が増し加わるためでありました。しかし、罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました。<ローマ5:20>

 イエス様の愛によって私たちは罪から解放され、義なる神に仕えるものとなりました。
 神様は、私を見るときいったいどこを見られるでしょうか。

 私の負債(罪)はイエス様の勘定に入れられ、イエス様の義が私の勘定に入れられたのですから、神様は、私の勘定にある「イエス様の義」を見るわけです。
 最後の審判で神の前に立つとき、神はこのイエス様の義を私に見るのです。
 これこそ、大きな愛です。

 光は暗闇で光ります。
 それと同じように私の罪ある心の中で、イエス様は輝いてくださるのです。
 この光のあるうちに、私たちは光の中を歩まねばなりません。
イエス様の弟子として、またイエス様の友として、この光の中を歩んでいきましょう。

イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」<ヨハネ8:12>

 イエス様が世の光としてこられたのですから、私たちもイエス様に従うものとして、心の中にイエス様の光を持ち、世の光として生きていけるのです。

 この一年を、ありがとうございました。
 教会にともに集い、ともに祈り、ともに学び、ともに泣き、ともに笑い、同じ神の時を持てましたことを心から感謝いたします。

 近くにいる方々も、遠く離れたところから来られる方も、また、全くこの大分から離れたところで共に礼拝する、私たち神の家族が、これからもますます心が結び合わされ、愛の帯で絆を結ぶことができますことをとても嬉しく思います。

 新しい年もどうぞよろしくお願いいたします。
満々感謝!(た)
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by mitiru-takae | 2018-12-31 23:04 | 満ちる | Comments(0)

No.321 祝クリスマス 2018.12.23

祝 クリスマス

きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。<ルカ2:11>
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クリスマスおめでとうございます!
 
あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」。<ルカ2:12>

 神様は私たち一人一人に、しるしを与えてくださいました。
 それは聖霊による新しい時代の到来のしるしです。

 このしるしをあなたは自分の心の中に発見します。
 神が、あなたの心の中に住んでくださるすばらしい人生の夜明けです。

するとたちまち、おびただしい天の軍勢が現れ、御使と一緒になって神をさんびして言った、<ルカ2:13>
 
 地上に新しい魂が生まれると、天では大騒ぎです。
 おびただしい天の軍勢は、新しく生まれた魂の味方です。

 そしてこの天の軍勢にも勝る大いなる神の力が、聖霊によってあなたの人生に働くようになります。
 あなたの人生は勝利の人生に変えられます。
 神を信じる者の人生は、すべてにおいて祝福されます。
 
「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」。<ルカ2:14>

 このみ言葉は、特別にあなたに与えられたものです。
 地上で、御心にかなう人とは、まことに神に選ばれた人々のことです。

 選ばれたあなたの上には平和が絶えることがありません。あなたによって神はご自身の栄光を現すことができるのです。
 イエス・キリストを信じると、あなたの心の中に神の栄光が実現します。

 インマヌエルの神イエスこそ、私の心の中で光る神の栄光の実存です。ハレルヤ!


【ちょっと一言】
 ジョン・ウェスレー(18世紀英国国教会司祭、その後、メソジスト運動と呼ばれる信仰覚醒運動を指導した)の信仰は、故釘宮義人の信仰に大きな影響を与えた「救いの確信」を持って生きること、また私たちの行いによらず、ただ信仰によって、この罪深い私が「イエス・キリストの十字架の贖いの血潮により赦された」ということだと思います。
 私たちの信仰と同じです。
 そして「聖化」は実は「義認」のあとから始まるんだと教えています。
 クリスチャンの生涯は日々、キリストの似姿に栄光から栄光へとつくりかえられ聖化して行くのですから。
 釘宮義人のこの世の最期は「凡聖」でしたね。(わっはっは)(た)

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by mitiru-takae | 2018-12-31 23:03 | 満ちる | Comments(0)

No.320 毎日がクリスマス  2018.12.16

毎日がクリスマス
(秋川教会クリスマス礼拝メッセージより)

パリサイ人のひとりで、その名をニコデモというユダヤ人の指導者があった。この人が夜イエスのもとにきて…(中略)…イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。<ヨハネ3:1~3>

 ニコデモという人は、サンヘドリン(ユダヤにおける最高裁判権を持った宗教的・政治的自治組織)の議員でパリサイ派の律法学者でした。

 夜に、こそこそと隠れて、イエスのところへやって来ました。
 しかしすぐにはイエス様のお言葉がよくわからなかったようです。

 でも、このニコデモさんが、イエス様の十字架の上の遺体をアリマタヤのヨセフとともに葬っていることを見ると、当然イエス様の隠れ弟子になっていたと思います。

 アリマタヤのヨセフという人もイエスの遺体の引取りを申し出るという、勇気ある行動をした人ですが、彼もイエス様の隠れ弟子であったのかもしれません。

 アリマタヤのヨセフとは、多分「自分の持ち物をすべて売って、貧しい人に分けてあげなさい」と言われた、あの悲しんで帰っていったお金持ちの青年であったのではないでしょうか。
 この金持ちの話は福音書にさまざまに書かれています。(若い役人への教えということでマタイ、マルコ、ルカにでています)

 二人共望んでいたことは、「神の国に入りたい」であり、「永遠の生命がほしい」でした。
 しかしこれらは、新しく生まれなければ得ることができないものです。
 私たちは霊において、新しく生まれるんだとイエス様は言います

肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である。<ヨハネ3:6>

 イエス様を信じたとき、私たちの内なる人は全く新しい、永遠の命なるイエス様の霊に生まれ変わっています。これは一世一代の生まれ変わりです。闇の世界から光の世界へ、また死から命へと移っています。
 これほど大きな生まれ変わりはありません。イエス様を受け入れることでこのことが起こるのです。

 さて、しかし人間は毎日まだまだ肉の世界にいます。
 霊で生まれ変わっているのに、肉によって生きようとします。
 サタンの支配下で生きていましたので、心の中にサタンの陣地が、まだ少し残っています。すると、サタンやその手下のものは、その陣地から、まずあなたの心のなかに攻め込んでくるのです。この陣地を橋頭堡といいます。
 ですから悪い思いや、ささやきは自分の心の中から聞こえてきます。

 そこで毎日クリスマスです。毎日、十字架です。毎日、復活です。毎日、聖霊充満です。

 最近、この方法を一番簡単な方法でやってのけています。もちろんイエス様が教えてくださった方法です。それは「決算します」とイエス様に申し上げるのです・

 世の中の会社が毎年決算をするように、私たちの心の重荷も決算します。
 パソコンならリセットです。
 私たちはイエス様に決算していただくことによって、今日一日の、知って犯した罪、知らずに犯した罪の数々を、イエス様の義によって帳消しにしていただきます。

 このことを「負債(罪)をイエス様の勘定に入れる」と父、義人牧師は言っていました。
 商業学校を卒業し、会社経営をしたことのある父は、このことを私たち以上に理解していたことでしょう。
 もともと、この「みなす」という言葉は勘定するという意味があるようです。
 
 毎日イエス様を心にお迎えします!
 毎日がクリスマス!(た)
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by mitiru-takae | 2018-12-31 23:02 | 満ちる | Comments(0)

No.319 いのちの光 2018.12.9

いのちの光

 この時期になると、町は光で溢れます。

 街路に並ぶショーウィンドウ、ビルなどに高くに掲げられた電照広告、昼間は町を潤す緑の木々も、夜になるとみんな光り輝いています。

 私たちの教会でも、ほんとに小さかったもみの木が電線を突き上げるくらい大きく上に伸びて貫禄が出てきました。
 おかげでもみの木のイルミネーションは教会の前を赤、青、黄色と見る人を誘っているようにきれいに輝いています。

 須佐先生(グレイス安曇野教会牧師)が見てきた天国の宝石は、こんなもんじゃない、また宝石に限らず、あたり一面、神様の栄光で光り輝いていたんだなあ、と天国の美しさに思いを馳せます。

 先週の日曜日、アドベントに入りました。
 そしてもう一つ、ハヌカの祭りの前夜祭でもありました。
 聖書の中では宮きよめの祭りとして出てきます。

そのころ、エルサレムで宮きよめの祭が行われた。時は冬であった。<ヨハネ10:22>

 BC167年ごろペルシャ帝国を打倒したギリシャのアレキサンダー大王や、武将たちの子孫の中から出てきた「悪の元凶、アンティオコス4世エピファネス」を倒したことを記念してお祝いするのがハヌカの祭りです。

 新共同訳聖書の続編にマカバイ記というのがあります。アンティオコス・エピファネスと、マカバイ家の兄弟の戦いの記録と言ってよいでしょうか、そこを見てみます。

そしてついには彼らの中から悪の元凶、アンティオコス・エピファネスが現れた。彼はアンティオコス王の王子でローマに人質として送られていたが、ギリシア人の王朝の第百三十七年に王として即位した。<聖書続編マカバイ記1・1:10>

 現人神と言われるほどの悪王がユダヤ人に対してしたことは、安息日をけがす、祭壇にギリシャの偶像を置く、拝ませる、聖書で禁じている不浄な食べ物を食べさせる、割礼を禁じ、律法の学びを禁じた……など、ひどいものでした。
 
こうしてイスラエルは神の大いなる激しい怒りの下に置かれたのである。<聖書続編マカバイ記1・1:64>

 この恐るべきエピファネス(現人神の意)から神殿を奪還したときの伝説が、ハヌカの祭りを別名光の祭典とも呼ぶ所以となっているのでしょう。

 エピファネスから神殿を勝ち得た時、神殿の祭壇の火をともす油が一日分しかなかったと言います。
 しかし、聖なる油を用意するまでの8日間、油が尽きず燃え続けたというお話です。

 この話はマカバイ記には全く載っていないようなので、伝説なんですね。

 このクリスマスの時期に重なるようにして、ハヌカのお祭りがあるということは、イエス様の世を照らす光と対照的な悪の暗闇を語っているように見えます。
 
光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。<ヨハネ1:5>

 私たちの心の奥にある神の宮に、奇跡の光が灯りました。

 旧約の時代、エルサレムの神殿に、神の油が注がれ、光が灯り続けたように、私たちの心の中心に、イエス様という永遠の命の光が輝き続けています。

 今年も、私たちはクリスマスを迎えることができます。

 世界には、幼子のように素直にイエス様を喜ぶことができないところに住んでいる人々も多い中、私たちはなんと幸せでしょうか。
満々感謝!(た)

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by mitiru-takae | 2018-12-31 23:01 | 満ちる | Comments(0)