【満ちる】No.695 〔祝献堂50周年〕イエス様のいる教会  2026.2.22

【祝 献堂50周年】
イエス様のいる教会

当教会は、プロテスタント(新教)の教会です。
どの教団にも属さない単立教会で、釘宮義人牧師が若い時から始めた独立伝道の小集会を基盤とし、1976年に教会堂を建設しました。同年2月22日の献堂式をもって教会創立日とします。
信仰の傾向は、ペンテコステ派です。手をあげての賛美(歌)や異言の祈りもいたします。神の力による癒しを信じます。

 これは、キリストの福音大分教会のホームページに書かれた教会案内の書き出しの部分ですが、読んだことがあるでしょうか。
 1976年2月22日に、献堂式をしました。それから数えて、50年も経ちます。

 ずっと以前に天に召されたH姉の息子さんが、お父様をも天に送った召天式の数日後、この教会を訪れてくださいましたが、その時の感想を、後にこう語られました。
 「僕たちが母に連れられてこの教会に来ていた時と、ほとんど同じで変わってないのですね。とても懐かしかった。よく覚えているのですが、戸を開けてここに入ったときの教会の木の匂いが、昔のままです。」

 「匂い」とは不思議なもので、毎日嗅いでいる匂いは、自分の匂いもそうですが、あまり気がつかないものです。特別な匂いでない限り気づくことはあまりありません。
 私たちにとって、いつもいる教会堂の中の匂いは、何年たっても、とりたてて好きとも嫌いとも言えない、自分の匂いのようなものなのかもしれません。

 それが、この方にとっては「会堂入り口の扉を開けると母を思い出す匂いが、思い出と共に香ってくる」のです。なんという穏やかな、幸せな言葉をいただいたことでしょうか。

 それ以来、私は、私たちの心の中にも、イエス様のいつも、いつまでも変わらない匂いが漂っていて、そこに帰ると、「ただ幸せで、穏やかな時が流れているところ」そのような思いをさせていただくようになりました。

 私たちには、それぞれの帰る場所が心の奥にあり、それは私やあなたをとても幸せにさせてくれるところなのです。そこではイエス様が、私だけ、あなただけをいつも見つめて下さっています。
 
 金持の青年が、自分の資産を捨ててイエス様について行くことが出来ず、帰って行ったときがありました。「私は決してイエス様を裏切ることはない」と断言したペテロが、「わたしはあの方を知らない」と言ったこともありました。
 その時彼らを見つめていたイエス様のお顔が、そのまなざしが、見えるようです。イエス様は、いつも私たちを見つめてくださっているのです。

 この教会がどんなに古くなっても、私たちの心の中に生きていて、義人牧師と私達が、イエス様のまなざしと共に、思いの中に残っています。この教会は今も昔もイエス様のものだからです。

この教会はキリストのからだであって、すべてのものを、すべてのもののうちに満たしているかたが、満ちみちているものに、ほかならない。
<エペソ1:23>

 イエス様と共に50年、教会堂はこの地に建ち続けています。
 私たちの心の中に幸せと祝福を満たし、キリストの福音大分教会堂に集う聖徒の皆様を、生ける神の教会(エクレシア)と創り上げてくださったのです。感謝!(た)
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〔釘宮孝枝〕






by mitiru-takae | 2026-02-21 20:40 | 満ちる | Comments(0)
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