千人羽織
あなたがたは、主イエス・キリストを着なさい。肉の欲を満たすことに心を向けてはならない。
<ローマ13:14>
あなたがたはみな、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである。キリストに合うバプテスマを受けたあなたがたは、皆キリストを着たのである。
<ガラテヤ3:26、27>
ある方の追悼記念文集を読んでいると、ページの間に、鉛筆書きのメモ紙が入っていた。
父の筆跡に似ていたので、嬉しくなって読んでみた。読んでいるうちに、急いで書いた時の私の走り書きに似ているなと思えてきた。
内容をまとめると、「たとえ私たちが神のみ前で罪を犯してしまったとしても、神の臨在そのものである衣は消えてなくなりはしない。しかし、我に返ると、裸の自分に気づく。早く神に帰らねばと御前に行けば、救いの衣であるイエス・キリスト(の衣)を着させられた。私たちは救いの衣を着た祭司である。」
その下に小さく、ヨシュアと書いてあった。
見つけた時は気が付かなかったが、先ほど見て気が付き、驚いた。そうだ、ヨシュアだった。ゼカリヤ書の大祭司ヨシュアのことだったのだ。
ゼカリヤ書3章1~5のみことばを開く。大祭司ヨシュアが主に祭服を着せてもらった個所である。感謝でいっぱいになる。
その後に、以下の御言葉が続く。
見よ、わたしはわたしのしもべなる枝を生じさせよう。
万軍の主は言われる、見よ、ヨシュアの前にわたしが置いた石の上に、すなわち七つの目をもっているこの一つの石の上に、わたしはみずから文字を彫刻する。そしてわたしはこの地の罪を、一日の内に取り除く。
<ゼカリヤ3:8下、9>
皆さんもよく知っている、隅のかしら石となった捨てられた石もイエス様を象徴している。私たちを救い、罪から解放することができるのは私たちの救い主、イエス・キリストのほかにはいないのである。
もはや、ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである。
<ガラテヤ3:28>
昔、テレビの番組で、二人羽織というのを見て大笑いしたことがある。二人の気心があってればこそできる芸だろうか。
タイトルに千人羽織と書いたが、イエス様の羽織(衣)であれば、きっと宇宙丸ごと入るだろう。そして、そこにいる人々の霊が一つとなる。
愛は隣り人に害を加えることはない。だから、愛は律法を完成するものである。
<ローマ13:10>
「救いの衣」は、勝利の十字架による血潮によってつくられたもの。1000人いようと100万人いようと、それを着るのに争いはない。
それは父なる神と御子イエスの、私達を愛してくださる「愛」によってつくられているからだ。
この「イエスの愛」が私たちの「救いの衣」である。(た)
〔釘宮孝枝〕
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