No.577 神の足音/在天者祈念礼拝そして墓前礼拝 2023.11.19

神の足音

彼らは、日の涼しい風の吹くころ、園の中に主なる神の歩まれる音を聞いた。そこで、人とその妻とは主なる神の顔を避けて、園の木の間に身を隠した。
主なる神は人に呼びかけて言われた、「あなたはどこにいるのか」。
彼は答えた、「園の中であなたの歩まれる音を聞き、わたしは裸だったので、恐れて身を隠したのです」。
<創世記3:8~10>

 罪を犯した人の霊は、自分の罪の姿を知って神を恐れる者となってしまった。
 神と人との交わりは断ち切れてしまったのである。

 それでも、神は知っている。「人は帰ってくる。私のもとに必ず帰ってくる」と。これは御子の信仰である。
 御子キリストの信仰は、初めからあった。私たちの魂のうちにあるイエス・キリストの信仰がそれだ。
 そう思うと、神のご計画がいかに壮大であるかと思わせられる。私の心は踊る。

 普段なら、嬉しくてたまらない神の足音のはずが、この日の二人にとっては違った。
 罪の自分を見つけられては大変と、恐怖に駆られ、何とかして隠れようと心が奔走するなか、とりあえず裸を隠そうとする。
 何とか、隠せたと思っても、「あなたはどこにいるのか」<創世記3:9>の声に震え上がるのである。

 神の声を聞いた二人は、恐れながらも返答した(私たちもこうありたい)のである。
 しかし、彼らは神が問いかけてこないと、応えることが出来なかったであろう。わたしたちも同じである。
 私たちがどんなに逃げたとしても、あえて、問いかけてくるのは神の憐みであるし、全てを知っている神の愛の故であろう。

 ともすれば自分勝手な私たちは、己の力を過信し、神を離れることがある。
 また間違いを犯した自分を神の前から隠そうと画策したりもする。
 そのような時、強い風と共に私たちは神の足音を聞く。
 神はいつも、追いかけてでも、私たちに語りかけてくださる。
 神の足音が聞こえたなら、いいえ、せめて風の音に気付いたなら、その時、私たちはありのままで神の御前に出よう。

 燃えさしの私の汚い衣を剥ぎとって、祭服を着せてくださった(ゼカリヤ3:4参照)神である。だから、ありのままで、神の御前に立とう。必ず、私にとって、そしてあなたにとっての素晴らしい最善を神は成してくださると、大声でここに宣言する。(た)


在天者祈念礼拝そして墓前礼拝

こういうわけで、わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの参加すべき競走を、耐え忍んで走りぬこうではないか。
<ヘブル12:1>

 2023年11月12日(主日)在天者祈念礼拝が、先達の諸先輩方の写真を並べて行われました。礼拝後は別府霊園(日出町南畑)にて墓前礼拝をし、大自然の中大いに恵まれました。
 私たちの教会の信仰の礎である、墓誌に刻まれた釘宮牧師はじめとする諸兄姉の名を、いつもは眺めては思い出していたのですが、今年は、5月に帰天されたS兄のお母さんであるT姉の名を刻むため、工場の方へ運ばれたままで、見ることは出来ませんでした。しかし、皆の記憶の中にある墓誌をたどり感謝しました。
 先に天に駆け上っていったキリストの福音大分教会の諸先輩方の数は現在礼拝出席数に比してずいぶん多いと思います。これは私がクリスチャン3代目なのでさもあらんというところです。
 天の父よ、昔も今も、私たちを愛し、共に喜び、お導き下さっていますことを心から感謝いたします。アーメン!(た)
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by mitiru-takae | 2023-11-18 10:42 | 満ちる | Comments(0)
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