No.574 エデンの園に闇 2023.10.29

エデンの園に闇

また、彼らにわたしのために聖所を造らせなさい。わたしが彼らのうちに住むためである。
<出エジプト25:8>

 神は、人と共に住むエデンを、東の方に造り、そこに人を置いた。
 園の中央には命の木があった。
 これはモーセの天幕がイスラエルの民たちのテントの中心に置かれたことと同じである。神殿に至聖所があるように今の私たちの教会の中心も、命の木であるイエス様が立っておられる。

 神の創造は素晴らしい。
 神が設計したエデンに流れる川があった。
 エデンの園に流れる川は、耕す人を待つように、園を潤していた。そこに神は人を置いたのである。

また一つの川がエデンから流れ出て園を潤し、そこから分れて四つの川となった。
<創世記2:10>

 川は4つの支流となり、全世界に流れていき、エデンの園はおろか、世界中を潤していたようだ。
 園の木の実がイエス様の御言葉ならば、川は命の水である。

しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」。
<ヨハネ4:14>

 人は造られたその時から、神の言葉と、永遠の命で満たされていたのだ。神はそのように造られたのである。罪を犯す必要なんて全くないような世界であったにもかかわらず、人は選択を間違えたのである。

主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた。
主なる神はその人に命じて言われた、「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。
しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」。
<創世記2:15~17>

 主なる神は、人をエデンの園に連れて行った(詩篇23編にある通り、主は私たちを憩いの水際に伴ってくださる)、そしてそこに置いた。もちろんエデンの園の地を耕し、守らせるためであった。
 さて、耕すというのはどういうことであろうか。
 土を攪拌し、種から根が生え、芽が出やすいようにするのであるが、これはかのヘンリー・グルーバー先生がホテルの部屋で、待っておられたイエス様と共に喜び踊ったように、神との安息、楽しみを味あうかのような互いの霊、魂を撹拌し合うのに似ている。
 
 守ることについて考えてみると、神が「光あれ!」と言われたとき、闇と光が分けられたのである。この園での光の部分を守るのがアダムたちの務めであったのではないか。

 初めに造られたエデンの園には闇があった。
 サタンの毒麦が入り込んでいたのではないかと想像する。もちろん神のプランの想定内である。
 神の言葉(命の木)の横にサタンの言葉(善悪を知る木)があった。
 このサタンの言葉に惑わされてはいけない。決してサタンの言葉を聞いてはならないのだ。毒麦は食べてはいけない。

 食べるのは、主の食卓でだ。光の中で食そう。しっかりと、礼服を付けて主の晩餐に臨もう(マタイ22:11~14参照)。心のままに、どの木からも、とって食べることが出来る、いかに幸せなことか。
 
 アダムとエバが「見るに麗しく、食べるに良さそう」な善悪を知る木の実をとって食べたのは、このサタンの言葉(種)がまず心の中に入って来たからである。種は根を張り、芽を出すのである。
 今の私たちの世界も、畑には毒麦が育っている。

 エデンの園には、すでにサタンの闇があった。神は、はっきり言ったのである。「善悪を知る木からとって食べると死ぬ」と。神は良いお方、決して彼らをだましたのではない、だましたのはサタンである。
 私たちが夢見るエデンの園「新しい都エルサレム」には闇がない。(た)
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by mitiru-takae | 2023-10-28 12:09 | 満ちる | Comments(0)
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