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No.507 強い信仰、弱い信仰 2022.7.17

強い信仰、弱い信仰

信仰の弱い者を受けいれなさい。ただ、意見を批評するためであってはならない。
ある人は、何を食べてもさしつかえないと信じているが、弱い人は野菜だけを食べる。<ローマ14:1、2>

 さて、信仰の弱い人は野菜だけを食べる、強い人は肉でも何でも食べることが出来る、と言うことなのであろうか。私たちには些か理解しにくい。
 信仰の強い人は、肉を食べることが出来ない弱い人を受け入れなさいと言っているようだ。
 
 実は当時のローマでの事情が面白い。
 これを知れば冒頭のみ言葉の意味がよく分かると思う。
「当時、ローマにおいて偶像の神殿に捧げられた肉は、市中の肉屋にまぎれこむ可能性がありました。そこで、一部の信者たちは、身を汚さぬためにいかなる肉も一切食べないように用心していました。【釘宮義人著「ヨブ記・ローマ人への手紙講義」より】」

 信仰の弱い人は一寸でも間違って偶像に捧げたものを口にすることがないように、とにかく肉を一切食べないと言う。いわば、「君子危うきに近寄らず」である。
 ところが強い信仰を持った人は、そんなことこだわらないで、感謝して何でも食べてしまうという。
 しかし、その行為は時として信仰の弱い人たちをつまずかせてしまうというのである。

食物のことで、神のみわざを破壊してはならない。すべての物はきよい。ただ、それを食べて人をつまずかせる者には、悪となる。<ローマ14:20>

 あなたは信仰の強い人だろうか、それとも弱い人なのであろうか。

 真に信仰の強い人だと、危ないから、怖いからと言う理由で、肉を食べないのではなく、たぶん、間違いを犯す危険があるなら食べないし、食べなくても感謝であると言うだろう。しかし、いざという時には命の危険があったとしても、しっかり食べることが出来る人であろう。

だから、もし食物がわたしの兄弟をつまずかせるなら、兄弟をつまずかせないために、わたしは永久に、断じて肉を食べることはしない。<第一コリント8:13>

 強い人は、感謝して食べることが出来るが、反面、世の中と簡単に妥協してしまう危険性があるのだ。
 たとえ、このくらい大丈夫と思ったとしても、サタンの誘惑はとても巧妙である。
 自分の信仰に自信がある、そんな強い方には、時々自分の強さに任せてばかりでなく、神の言葉に帰ってみてほしいところがある。

 よく「負けるが勝ち」と言うが、イエス様も、負けて(完全に負けて)父なる神に呪われて、私たちの救いを完成したのだ。
 イエス様は完全に十字架の上で死なれたが、黄泉に下り、死と黄泉を打ち砕いて、見事に勝利の復活を遂げたのである。

 ただ、私たちに必要なことは、律法に照らし合わせて間違いを犯さないようにおそるおそる、またある時は都合のいいように自分をだまして生きるのでもなく、神の御心に添って生きることである。

割礼のあるなしは問題ではなく、ただ、新しく造られることこそ、重要なのである。<ガラテヤ6:15>

 私たちが新しく創られることによって、イエス様の律法(愛)は私の中に生きたものとなったのである。
 これこそが私たちにとっての生き方となり、私の中に生きて働くイエス様の信仰によって生きることなのである。

わたしたちは、生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。だから、生きるにしても死ぬにしても、わたしたちは主のものなのである。
なぜなら、キリストは、死者と生者との主となるために、死んで生き返られたからである。<ローマ14:8、9>

 私の信仰がたとえ弱くとも、私の中に生きて働くイエス・キリストの信仰は宇宙の果てに行っても存在する強く確かなものであろう。(た)
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by mitiru-takae | 2022-07-16 20:52 | 満ちる | Comments(0)
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