No.506 この世の旅路を終えて/教会での前夜式、召天式 2022.7.10

この世の旅路を終えて

わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。<第二テモテ4:7>

 「あなたは今の会社を退職した後はどうするのですか?」
 いつか来る時、それは定年の時。
 このように、世の中で生きて行くということは、いつか来る決断を迫られる時や、覚悟の時と言うか、新しく踏み出さねばならない時が何度か到来するものだ。

 まだH兄の帰天が心から抜けやらぬ、7月3日主日礼拝の日の夜、突然の知らせが入った。
 弟のえりやからだ。

 「病院から『Yさん(弟の奥様)の呼吸が変わった。来てください』との連絡が入った。病院に行く。祈って下さい。」

 しばらくしてまたスマホのベルが鳴る。
 「何とか持ち直したようだ。」
 しかし、その後も心肺停止から蘇生を試みること何度か……。
 「本人がきついだろう」
 「もう・・・・そっと見届けよう」
 このような、やり取りは本当に現場の者にしかわからない緊迫感と切なさ、無力さを経験するのだろうと察して余りある。
 全力を尽くしてくださることに心から感謝である。

 後日、召天式での弟の喪主あいさつはまるで証しのようだったが、その中で、彼はこう語った。
 「この時妻は、もう少しここで生きようか、それとも天に帰ろうかと、何度も行ったり来たりしたのだろう」と。

 弟の奥様(以降、Y姉と書く)は翌日(月曜日)には、今の入院先から一時帰宅の予定であった。
 だが、日曜日の夜10時21分に天に帰って行った。
 誰が見ても「夫婦共によく戦い抜いた。Y姉は走るべき行程を走りつくした」と言うであろう。

 Y姉の天の国への凱旋である。主を誉めよ。(た)


教会での前夜式、召天式

愛する人たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれた者であり、神を知っているからです。<第一ヨハネ4:7>

 最近は、教会で式をすることがなかったので、改めて、教会での式の素晴らしさ、賛美の美しさ(上手と言う意味ではない)は、やはり格別であった。

 実は前夜式、召天式を行う両日は、台風が大分を直撃するコースをとっていて、弱い台風といえども、雨風は式に足を運ぶのを妨げる要因となりつつあった。

 ところが台風は、長崎に上陸した後、さらに弱まって温帯低気圧と化し、雨も上がってしまった。
 気温もあまり上がらないままに、涼しい二日間であった。
 Y姉、祝福されているね、としか言いようがない。

 因みに二日間が過ぎた次の日は蒸し暑く、夜は雨であった。主を誉めよ。

 Y姉の写真を何枚か、持ってきていた弟であったが、なんといっても遺影としてかざったY姉の写真の趣のある事と言ったら、思わずため息が出るくらいであった。
 自分の妻をこれほど魅力的に写せるものだろうか、どうかすると、照れてしまいそうだ。

 48歳の時ということであったが、薄緑の服も若々しい素敵な写真であった。

 神は地上の一夫婦を通して、ご自身の愛の一端を見せてくださる。
 最後の最後まで、相手を思いやる心、それは天に帰るギリギリの時まで、「生きようか、帰ろうか…」と慮(おもんぱか)るのであろうか、弟の証しを聞いて、そのように感じた。
 私にとっては身内の帰天であったということもあって、感慨深い前夜式、召天式であった。主を誉めよ。(た)
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by mitiru-takae | 2022-07-09 22:31 | 満ちる | Comments(0)
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