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No.499 イエス・キリストの信仰 2022.5.22

イエス・キリストの信仰

神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。これは、「信仰による義人は生きる」と書いてあるとおりである。<ローマ1:17>

見よ、その魂の正しくない者は衰える。しかし義人はその信仰によって生きる。<ハバクク2:4>

 釘宮義人のローマ書講義をまとめた冊子があるが、その中の面白い話を紹介する。

 鹿児島県のあるレジャー施設でダックレースの雄のあひる(名はビッグ)が、鴨が空を飛ぶのを見てその真似をしているうちに「飛ぶ」信仰を得た(?)。(信仰はたしかに真似からでも始まるところがある)。「ああ、俺はかつて鴨だったのだ。人間に家畜化されていたのだ」と自覚したかどうかは分かりませんが、彼は人間の家畜化の呪縛から解放されて、今や自由に東シナ海の上を飛んでいるそうです。・・・(釘宮義人主日礼拝メッセージ集より抜粋)

 前後の説明がないのだが、ダックレースのおじさん(?)のレース合間のトークなのかな。
 しかし、鎖につながれていた象が、鎖が解けてもまだ鎖の呪縛から離れないで、逃げることがない、という話のまるで反対であって面白い。

 笑いごとでないのは人間も同じく、呪縛と言われるほどの離れがたい信念をもって生きているということだ。

 私たちも悪魔の呪縛による信念から解放されて、自由を得る力を、キリストの福音の中に見出すべきである。
 クリスチャンとなって自由を得たはずであるのに、まだ繋がれていると思い込み、この世の価値観から逃れられないでいる人もいるだろう。
 あひるのビッグのように、私は自由だという信仰によって、羽ばたきたいものだ。

 ただ、あひるが鴨を見て自分も飛びたいと思ったように、私たちの心に、良き思い、希望を起こさせてくださる神の力が、まず私たちの上に働くことを感謝する。
 パウロが言うように選び分かたれた私たち聖徒への神の憐みと恵みである。

 私たちの信仰の先人たちを見て、生き方を真似よう。
 聖書の中のパウロのように信仰によって生きてみようと、その生き方を学んでみよう。
 
 「信仰より信仰に進め」と、釘宮義人は言ったが、確かに信仰は前進する。
 初めはほんの100メートルしか飛ばなかったあひるも、また他の話では鶏もあったと思うが、飛べるという信仰を持った時、東シナ海を渡れるほどの大物になれるのである(笑)。
 私たちも、信仰から信仰へと突き進んでいきたい。

わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救を得させる神の力である。<ローマ1:16>

 キリストの福音とは、全ての人に救いを得させる神の力である。
 
わたしには、ギリシヤ人にも未開の人にも、賢い者にも無知な者にも、果すべき責任がある。
そこで、わたしとしての切なる願いは、ローマにいるあなたがたにも、福音を宣べ伝えることなのである。<ローマ1:14,15>

 全ての人に福音を伝えたいというパウロの切望は、神への負い目があるからだ。
 神に選ばれ、召されたパウロにとって、神に返そうとしても返しきれないほどの負債があるのだ。それは神の憐みと愛である。
 キリストに触れた時、私たちは自分の深い罪に驚き、そこから助け出せるのはイエス・キリストしかいないことを知ってしまう。

 「信仰による義人は生きる」と言ったパウロは、信仰によって生きる以外に自分の罪を帳消しにできる生き方がないことを知ってしまったのである。

 信仰とは、パウロの、また私たちの中に生きて働く、キリスト・イエスの信仰である。
 この救い主イエスの信仰こそが、神の前で私たちを義と認めていただくための唯一のものである。(た)
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by mitiru-takae | 2022-05-21 21:10 | 満ちる | Comments(0)
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