No.458 強く、かつ雄々しくあれ 2021.8.8

強く、かつ雄々しくあれ

わたしは信じます、生ける者の地でわたしは主の恵みを見ることを。
主を待ち望め、強く、かつ雄々しくあれ。主を待ち望め。<詩篇27:13、14>

 サウル王に追われる日々を過ごしていたダビデにとってのただ一つの夢は、今生きている自分の目の前で、主の恵みを見ることである。
 とても待ちきれない程長い闘いであったにも関わらず、彼は視点を変えることはなかった。

 私たちも、今は待てないような闘いの日々を過ごしているとしても、主から目を離さず、必ず見ることが出来る主の恵みを待ち続けようではないか。
 
 弱音を吐くこともあるだろう。
 立ち止まることもあると思う。
 それでも、私たちは望みを捨てない。

 イスラエルの民が水を求めた時、神は水をくださった。
 マナ(食べ物)を与えてくださるどころか、「肉が食べたい」との民の訴えに、ウズラまでくださった。

 そして40年間彼らの身につけた着物は古びず、足の靴は古びなかったのだ。<申命記29:5参照>

 神は私たちを見捨てず、離れることもない。
 モーセの時も、今生きている私たちにも、変わらず、約束を守ってくださる。

金銭を愛することをしないで、自分の持っているもので満足しなさい。主は、「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない」と言われた。<ヘブル13:5>

イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変ることがない。<ヘブル13:8>

 神が与えてくださった恵みを喜び、満足し、感謝して過ごすならば、私たちはもっとすごい神からのプレゼントを受け取ることになるだろう。
 
 神の恵みはいつまでも尽きることがない。

ヨハネは、神の言とイエス・キリストのあかしと、すなわち、自分が見たすべてのことをあかしした。
この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて、その中に書かれていることを守る者たちとは、さいわいである。時が近づいているからである。<黙示録1:2、3>

 ヨハネが黙示録を書く基になった神からの幻は、流刑囚としてパトモス島というところにいた時に見せていただいたものである。
 ヨハネにとって、これは神からの哀れみであり、大きな恵みである。
 
 教会で祈っていた時、また礼拝中、断食の最中にというような、さも神からのメッセージがありそうな時、ではなかった。

 日常のどのような時でも、神は語られる。
 聞き逃さず、またいただく幻をしっかり見よう。
 ヨハネのように見たことのすべてを証しよう。
 私たちに時が近づいているからである。

 私の父は、戦時中刑務所の独房(兵役法と出版言論集会結社取り締まり令違反を問われ入獄)の中で回心した。
 それは釘宮義人にとって大きな恵みであった。
 キリストのイノチに出会ったからである。

 今年もいつもの夏がきた。
 「戦争を再びしない、起こさない」のスローガンがとてもむなしい今の世の中の状況である。
 戦車や、機関銃、爆弾などの戦争の形は見えずとも、サタンの鎖がせまっているのがわかる。

 恐れるな、雄々しく強くあれ!
 神の言葉が魂に迫る今日この頃である。(た)
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by mitiru-takae | 2021-08-08 20:48 | 満ちる | Comments(0)
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