No.453 平和の福音/小さな小鳥を養われる神 2021.7.4

平和の福音

あなたがたは、神がすべての者の主なるイエス・キリストによって平和の福音を宣べ伝えて、イスラエルの子らにお送り下さった御言をご存じでしょう。
それは、ヨハネがバプテスマを説いた後、ガリラヤから始まってユダヤ全土にひろまった福音を述べたものです。<使徒10:34、37>
 
 「ナザレのイエスがこの地上でなさったこと、人々が十字架にかけて殺したこと、しかし、神は三日目にこのお方を復活させたこと、私たちは、このイエス・キリストの証人である。」と語るペテロにとって、イエス様は、地上で生きていた時も、復活してからも、聖霊によって自分のうちに生きてくださる存在になっても、同じ、愛する主なのである。
 
 ペテロにとってイエス様は、この世の父親のようでもあり、注視できないくらい神々しい、見てはいけないと思えるほどの神そのものであったのだ。
 そのお方からの幻は、軽視することさえできない、ペテロ一世一代の転換期を迎える神からの準備であった。

すると、天が開け、大きな布のような入れ物が、四すみをつるされて、地上に降りて来るのを見た。
その中には、地上の四つ足や這うもの、また空の鳥など、各種の生きものがはいっていた。
そして声が彼に聞えてきた、「ペテロよ。立って、それらをほふって食べなさい」。<使徒10:11~13>

 コルネリオからの使いが来た時、ペテロは即承諾し、次の日、早速カイザリヤを訪ねたのである。
 神の準備がなければ、ペテロとコルネリオの出会いは難しかったかもしれない。

さあ、立って下に降り、ためらわないで、彼らと一緒に出かけるがよい。わたしが彼らをよこしたのである」。<使徒10:20>

 全ての時を支配してくださるのは神である。

神を敬い義を行う者はどの国民でも受けいれて下さることが、ほんとうによくわかってきました。 <使徒10:35>

 ふたつのものを一つにすることが出来るのは平和の福音、すなわち、イエス・キリストの福音である。(た)


小さな小鳥を養われる神

空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。<マタイ6:26>

 先日、車を降りようとしたとき、一羽の雀が目の前に飛んできた。
 開けかかったドアから手を放し、そっとスマホのカメラを起動した。

 見ていると、自分の頭ほどもありそうな(少し大げさ)ブルーベリーの実のようなものをくわえている。
 スズメのくちばしが実をつつくと果汁がほとばしって周りに飛び散った。新鮮そのものである。

 おいしそうに食べていたその時、飛んできた小雀が横から大胆にも、この実を横取りしようとしたのである。
 それは失敗して実をくわえて雀は飛び去った。
 もう少しブルーベリーを食べているところを見ていたかった私は、ちょっと残念だった。

 しばらくしてあの横からちょっかいを出した小雀が戻ってきた。
 この辺だったと思ってか、しばらく走り回っている。
 地面を走り回って探す小雀の姿を見ているうちに少しかわいそうになり、目を離せなくなった。
 ところがなんと、ブルーベリーの実がちぎれて残っていたらしく、それを見つけついばみ始めた。よく場所を覚えているものだ。
 小雀はしばらく至福の時を過ごしたようである。
 その間私は車から降りられず、じっと見守っていたという次第だ。
 自然の営みは素晴らしい。
 創造主、神様って素晴らしい。(た)
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by mitiru-takae | 2021-07-04 19:29 | 満ちる | Comments(0)
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