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No.412 愛と尊敬 2020.9.20

愛と尊敬

愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。
不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。
愛はいつまでも絶えることがない。しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。<第一コリント13:4~8>

 「敬老の日」は、日本の国民の祝日の一つである。
 昔は9月15日だったと思うので調べてみると、2003年から9月の第3月曜日に変わったらしい。
 
 さて、「敬老」であるから、私たち老人には「若い人たちに敬われるに足るものであるだろうか」という、一つの課題が向けられている。
 素直でない言い方かもしれないが、老人にかかわらず、尊敬するということは、相手の出来不出来ではない。
 相手がたとえ普通の人であっても、何のほめるべき優れたところを見出せなくても、尊敬は愛と同じで、とても主観的なものである。

 しかし、たとえ自分の思いがどうであれ、私たちは、先人を敬うべきである。人として、親として、師として、先輩として、兄姉として、等である。

 最近は、コロナ禍ということもあって、介護中の自分の親、また施設での介護(する側もされる側も)は、大変である。また、ケアハウスなどで共同生活をするお年寄りも、恵まれている環境のはずであるが、これも大変である。

 夫婦、親子であっても、共同生活はなかなか難しい。
 愛があればうまくいくはずの家庭内でさえ、争いがおこったりするのである。

 イエス様のおっしゃる愛は、「自分を愛するように、隣人を愛しなさい」である。
 クリスチャンでさえも、イエス様なしではこのお言葉を実行するのはむずかしい。

 昔よく父が、愛するということについて話していた。
 「愛とは相手を理解しようとすること」

 うちの両親は誠に仲の良い夫婦であった。
 それでも、よくケンカをしていたものだ。
 然し、ケンカでさえも、そこにイエス様の介入があれば、お互いに同じところに帰っていけるのである。

 日本男児は愛の表現が下手だとよく言われるが、だらだらと、愛の言葉を並べたり、優しくしたりできなくても、いつも、自分の命よりも家族の命を守ろうとする、素晴らしい武士道精神がある。 
 日本の女性は、そんな男性、また夫、父を、尊敬してきたのだと思う。

 全ての人がそうだとは言わないが、日本人はこういう神の愛に近い「自分の命を捨ててでも、守る何か」を持っている人たちだと思うのである。
 たとえ、本当に命を捨てるわけではなくても、自分の思い、楽しみ、欲望、等、多くのものを愛する人のために捨てることができる、真のとりなしである。

 以前、結婚前の夫婦のための学びを学んだ中で、「ご主人を尊敬しなさい」という一文があった。
 これは外国のある先生が書いたものであって、結婚後の夫婦の在り方は日本と少し違うなと思ったりしたことがある。

 父がよく言っていた。「日本の妻は自分の夫のことを、主人と呼ぶ。すばらしい。」家の中では「お父さん」、人前では「主人」と呼ぶのである。

 このような話はもう「古き良き時代」の話かもしれないが、この「敬老の日」を契機に、「尊敬と愛すること」について考えてみたい。
 全てのものが消えていくとき、私たちのうちに残されるものはいったい何なのか。
 イエス様の愛で結ばれた人々(私の両親も然り)は、相手を思いやり尊敬しこの地上で作り上げてきた格別の霊性と品格が、御国ではオーラとなって互いを認識しあうことが出きるのだろうと思う。

このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。<第一コリント13:13>(た)
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by mitiru-takae | 2020-09-20 17:10 | 満ちる | Comments(0)
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