No.342 主の愛はとこしえまで 2019.5.19

主の愛はとこしえまで

金銭を愛することをしないで、自分の持っているもので満足しなさい。主は、「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない」と言われた。<へブル13:5>

イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変ることがない。<へブル13:8>

 先週の日曜日(5月12日)は「母の日」でした。

 教会では有志によるランチ会を、近くの焼肉屋さんで行いましたが、遠く埼玉県から大分に来ていたI兄が、礼拝に出席、そして食事会にも参加してくださるということで、共に楽しい食事の時を持つことができました。

 I兄がお話の中で、へブル書13章に、「こういうお言葉がありますね」と、冒頭にあげたみ言葉によって励ましを受けたことをお証しはじめました。

 「うちの父もね、このみ言葉で救われた回心の時の話をよくしていましたよ」
 しばらくみ言葉について、互いに歓談しました。

 一度主のみ言葉で救われ、平安と喜びをいただいていても、ある日、ある時、突然不安がよぎったりすることがあります。

 私の父は、「ある朝、『あれっ、主は今日もいるのだろうか』と、ふっと不安に思った」、そんな時があったそうです。
 しかし、すぐにイエス様が「大丈夫、私はここに一緒にいるよ。あなたから離れず、また捨てたりしないよ」と答えてくださったそうです。
 
 まだ父が20代後半の頃の思い出話ですが、このことを一生忘れずに、心の底に持ち続けていたわけです。戦後間もない、私がまだ2、3歳のころのことです。

 神様が私たちに語り掛けてくださるお言葉は、すたれることがなく、昔あったことでさえ、今起こったことのように、新鮮に魂に響いてきます。

 皆さんの中にもこのような、魂に響く神様からのお言葉を、今もしっかり信仰の支えとして持っていらっしゃる方が多いと思います。

 古い昔の、主にいただいた証を、古い証として語るのではなく、今もその時と同じように心の支えであり、喜びであり、感動がそのまま響くほどの新鮮さを持ったものであってほしいと思います。
 また、そうであると思います。
 それはイエス様ご自身が、昔も今も、そしてこれからも決して変わることのないお方だからです。

 いつでも、どこでも、「あれっ!」とイエス様を探すことがないように、「いつも隅のかしら石として、魂の中に持ち続けている」と、自覚していようではありませんか。
 イエス様のほうから離れていくことはないとおっしゃってくださっているからです。
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【告白の祈り】
私たちは、イエス・キリストの贖いの血潮によって清められた「神の宮」です。
私たちの魂を支配しているのは聖霊様であり、サタンの居場所はすでにありません。
サタンがいかに私たちを「罪びとのままである」とだまそうとしても、だませません。
私たちの罪はすでにイエス・キリストの十字架の死によって解決済みだからです。
私たちは、唯一の神を畏れます。
私たちは神の国のプリンス、プリンセス、天国人です。
天国人として、誇りある生き方をします。私の誇りはイエス・キリストです。
日々、主の兵士として勇敢に、サタンとその配下の者と戦います。
神の家族同士の癒しと解放について、とりなしの祈りに徹します。
日々祈り、感謝します。
喜びの声を上げて、楽しく信仰生活を主とともに送ります。
アーメン! (た)













by mitiru-takae | 2019-05-22 10:22 | 満ちる | Comments(0)
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