No.336 雨が降るその日まで 2019.4.7

雨が降るその日まで

『主が雨を地のおもてに降らす日まで、かめの粉は尽きず、びんの油は絶えない』とイスラエルの神、主が言われるからです」。<列王紀上17:14>

 京都ギャザリングで、預言的アートというものを自分を含め、初めて身近に体験しました。

 2年ほど前になりますが、東京21世紀教会に行った時のことです。その時、聖会の講師として来てくださっていた先生が、前日の夜の礼拝後、出席していた全員の方々に預言をしてくださいました。
 そのとき私がいただいた預言は、次の通りです。

 「あなたは夢を見るでしょう。その夢を絵にしてください。しかし、その絵はシーズンが終わるまでは伏せておいてください。時が来ると、あなたはその絵を人々の前に見せることができます。」

 私自身、このお言葉がはっきりとはわかっていなかったようです。
 なぜなら、シーズンそのものがいつなのか、いつ終わるのか、いつ新しいシーズンが来るのかということが、この時はまだわからなかったからです。

 先走って、描いた絵の意味を解釈しても見ました。が、しかし、私の中では、何か決定的な真意に欠けるものでもありました。

 預言というものは不思議です。時が来ないと、主からの真意は理解できないものです。

 何十年も前にいただいた預言が、いつしか成長して、私の前にその姿を現してくれます。また、たった今の主からの預言を確かに受け取るという時もあります。
 いずれにしても、時が満ちなければ私の目の前には現れません。10年後か、10分後か、今なのか、わからないのです。
 花の種を植えるようなものですね。

 今教会の花壇に、チューリップの大きな花が色とりどりに咲いています。E姉妹が取り混ぜて持ってきてくださった球根を、わたしが適当に植えたものです。
 花が咲いたのを見て初めて、どれが赤か、ピンクか、黄色なのかがわかるのです。

 エリヤを通して神様が下さった「かめの粉や瓶の油」のように、神様が与えてくださったものが、私たちの心の中で尽きることのない恵みとして、時が来るまで在り続けます。
 預言も賜物も似ているなあと思います。
 神からの恵みの時が来るまで、わたしたちは預言のお言葉を持ち続けます。

 私は絵を4枚描きました。
 それぞれ、今回のギャザリングの中で、与えられた預言的なものでした。

 最後のセッションで、炎と剣の話があったようですが、その前に、この日、朝いちばんに橋本先生が来られ、剣を描いてほしいと言ってから席に戻られました。
 私の思いと一致していましたので、聖霊の炎と日本刀を描いたのです。

 ギャザリングのすべてのプログラムが終わり、橋本先生が「剣の絵はーーーー?」と言ってきました。
ところが、その時すでにその絵は私の手元にはありませんでした。
 台湾から来た方が譲ってほしいと言って3枚の絵を持っていかれた後でした。
 私も一瞬「なぜあの絵を渡してしまったのだろうか」と思いながら、またなぜか(台湾の方に渡すときに私が失念していたからです)一枚だけ残った絵を持ってきて、代わりにと橋本先生に差し上げました。

 後日、先生からメールが入りました。
 「7本の矢の絵によって、かつてヘンリー・グルーバー師よりいただいた預言が、『矢を放ちなさい』であったことを思い出しました」と。
 
 これは先生の心の中に「尽きぬ聖霊の油、命の糧としてのパン(まさにイエス・キリスト)」としての預言が、存在し続けていたのだと、深く感謝しました。
 そしてさらに聖霊による新しいシーズンが訪れ、預言は私達のうちで実存となるのです。ハレルヤ!(た)
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〔橋本先生にさしあげた7本の矢の絵〕









by mitiru-takae | 2019-04-09 10:19 | 満ちる | Comments(0)
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