No.325 わたしを楽しんでくださる主 2019.1.20

わたしを楽しんでくださる主

 「2019年第一回大分ローカルギャザリング」が、無事に恵みのうちに終わりました。
 たくさんの喜びの絆によるご奉仕が、一つ一つあげることができないほどありました。心から感謝します、ありがとうございました。

 70数名の神の家族が集まってくださり、子供たちの賛美と、祈りとダンスなども交え、本当にうれしい、楽しいギャザリングでした。
 ヨアンナ師の、子供たちへのお話では、私たち大人でさえ、神様のご計画の素晴らしさを知らず、思い通りにならないことに文句を言ってしまうという、思わず悔い改めさせられることもありました。

 「主に贖われた者たちは、帰ってくる~」と賛美しながら始まった、今回の大分ローカルギャザリングの中で、特に私が嬉しかったこの聖書の箇所をここに取り上げてみました。

あなたはもはや「捨てられた者」と言われず、あなたの地はもはや「荒れた者」と言われず、あなたは「わが喜びは彼女にある」ととなえられ、あなたの地は「配偶ある者」ととなえられる。主はあなたを喜ばれ、あなたの地は配偶を得るからである。<イザヤ62:4>
若い者が処女をめとるように
あなたの子らはあなたをめとり、花婿が花嫁を喜ぶように
あなたの神はあなたを喜ばれる(あなたを喜びとされる【新共同訳】)。<イザヤ62:5>

 神様が一番喜んでくださることは、私たちが神様のもとに帰ってくることではないでしょうか。
 イスラエルの民しかり、放蕩息子しかり、そして、私たちもしかり、私たちが、主のもとに帰るとき、主は「あなたは私の喜び、楽しみだ」と言ってくださるのです。
 私たちを喜び楽しんでくださる主を私も喜び、主と共にいることを楽しみます。

 ギャザリングの翌日、永野先生が、「キリストの福音大分教会は詩編133:1のお言葉そのものですね」と言ってくださいました。
 これはホントに神様がこの教会を、喜んでくださって、イエス様のお体なる一人一人を見て楽しんでくださっているんだ、という思いに浸されます。
 神様の喜びをダビデは手に取るように知っていたのですね。

見よ、兄弟が和合して共におるのは
いかに麗しく楽しいことであろう。
それはこうべに注がれた尊い油がひげに流れ、アロンのひげに流れ、その衣のえりにまで流れくだるようだ。
またヘルモンの露がシオンの山に下るようだ。これは主がかしこに祝福を命じ、とこしえに命を与えられたからである。<詩篇133:1~3>

 もう一つの喜びがあります。
 先生方の預言や幻で、ここに(教会、しいて言えば恵みの座、この大分の地)命の水が湧き出る泉があるということです。
 「永遠の命に至る生きた水が川々となって腹から流れ出て、この地を覆い、あふれて流れ出すんだ」という故釘宮義人牧師(この日1月14日は義人牧師の誕生日でした)の言葉を思い出しました。
 そして、いつもこの恵みの座を潤す聖霊の水が、だんだんと増えていき、満ち満ちているのを私はいつも見させていただいていたことを思い出しました。
 ここに、橋本牧師の「剣の舞」を見ることとなり、その剣を(すでに幻を絵にかいたものがありました)私が恵みの座に突き刺すということになりました。幻の成就です(神を恐れます)。
 その時、藤江先生、石原先生の奥様のお二人が共に同じ幻を見ていました。
 剣を刺した途端、命の水が間欠泉のように高く噴き出したというのです。

 預言の絵はミカエルが剣を刺した途端、下にある心臓から、マグマ(イエス・キリストの血潮)が噴出したというものでした。この二つの幻と、私たちの行動が、ここで一つとなりました。
これは次のギャザリングにつながっていきます。ハレルヤ!(た)
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by mitiru-takae | 2019-01-31 23:02 | 満ちる | Comments(0)
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