No.322 一年を感謝します 2018.12.30

一年を感謝します

万軍の主は言われる、見よ、炉のように燃える日が来る。その時すべて高ぶる者と、悪を行う者とは、わらのようになる。その来る日は、彼らを焼き尽して、根も枝も残さない。
しかしわが名を恐れるあなたがたには、義の太陽がのぼり、その翼には、いやす力を備えている。あなたがたは牛舎から出る子牛のように外に出て、とびはねる。<マラキ4:1、2>

 クリスマス礼拝、クリスマスイブ礼拝共に素晴らしい主のご臨在の中、すべての行事を終えました。
 心からお礼を申し上げます。

 年末の忙しい時期ですが、兄弟姉妹たちが笑顔で教会に集まることができました。

 礼拝の後は、愛さん会で楽しみ、お土産いっぱい、おなか一杯、心は聖霊充満、満腹で両日とも、みんなの足は軽やかに家に帰っていくことができたようです。
 神の家族の愛情あふれる姿が、私の目に焼き付いています。

 イエス様は世の光として、私たちの所へ来てくださいました。
 光は、すべてを照らします。
 美しいところばかりではありません。特にイエス様のいなかった時のありさまは、目を向けることもできないくらいの悲惨なものです。
 そこを照らすのですから、本当は私たちもたまったものではないのです。

 イエス様に出会うと、どうしても自分の汚さに気付いてしまいます。
 しかし、そうでないと、私たちもイエス様の愛がわからないわけです。

 それは、律法が来たおかげで皆が「罪を罪と知るようになった」ということです。自分の罪がわからないと、イエス様の愛がちっともわからないということになります。

律法が入り込んで来たのは、罪が増し加わるためでありました。しかし、罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました。<ローマ5:20>

 イエス様の愛によって私たちは罪から解放され、義なる神に仕えるものとなりました。
 神様は、私を見るときいったいどこを見られるでしょうか。

 私の負債(罪)はイエス様の勘定に入れられ、イエス様の義が私の勘定に入れられたのですから、神様は、私の勘定にある「イエス様の義」を見るわけです。
 最後の審判で神の前に立つとき、神はこのイエス様の義を私に見るのです。
 これこそ、大きな愛です。

 光は暗闇で光ります。
 それと同じように私の罪ある心の中で、イエス様は輝いてくださるのです。
 この光のあるうちに、私たちは光の中を歩まねばなりません。
イエス様の弟子として、またイエス様の友として、この光の中を歩んでいきましょう。

イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」<ヨハネ8:12>

 イエス様が世の光としてこられたのですから、私たちもイエス様に従うものとして、心の中にイエス様の光を持ち、世の光として生きていけるのです。

 この一年を、ありがとうございました。
 教会にともに集い、ともに祈り、ともに学び、ともに泣き、ともに笑い、同じ神の時を持てましたことを心から感謝いたします。

 近くにいる方々も、遠く離れたところから来られる方も、また、全くこの大分から離れたところで共に礼拝する、私たち神の家族が、これからもますます心が結び合わされ、愛の帯で絆を結ぶことができますことをとても嬉しく思います。

 新しい年もどうぞよろしくお願いいたします。
満々感謝!(た)
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by mitiru-takae | 2018-12-31 23:04 | 満ちる | Comments(0)
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