No.309 神から盗み続けていませんか? 2018.9.30

神から盗み続けていませんか?

 父(前牧師)の死後、中止していた早天祈祷会が、再開というか新たに第二期早天祈祷会として始まったのは2014年9月29日のことでした。
 そして昨日の2018年9月29日で4周年を迎えました。

 その直前、9月26日に早天祈祷会(以後略して早天と書きます)ではマラキ書の最終章を読みました。
ヨブ記から始まった私たちの早天で初めて、旧約聖書(創世記からマラキ書)を全部読み終わったのです。
 4周年記念日と重なり、感無量という気がしました。

 そのマラキ書に学んだことを、皆さんと是非共同の財産にしたいと思います。

人は神の物を盗むことをするだろうか。しかしあなたがたは、わたしの物を盗んでいる。あなたがたはまた『どうしてわれわれは、あなたの物を盗んでいるのか』と言う。十分の一と、ささげ物をもってである。<マラキ3:8>

 私の父もかつてそうであったように、私も献金について大きな声を上げることはほとんどありません。
 しかし9月25日の早天で、このマラキ書3章を読んだときの心に響く素晴らしさを神に感謝しています。

 神様は「私たちに、どれだけのものをくださっているか、また私たちはそれを毎日毎日どれだけ湯水のように消費しているか」ということを自分に問いかけてみます。
 「そして感謝は?」と問うてみると、献金でさえユダヤ人のように正確には収入の十分の一を献金していないと気づいてしまいます。神様はこのことを盗んでいると言うのです。厳しいですね。

わたしの宮に食物のあるように、十分の一全部をわたしの倉に携えてきなさい。これをもってわたしを試み、わたしが天の窓を開いて、あふるる恵みを、あなたがたに注ぐか否かを見なさいと、万軍の主は言われる。<マラキ 3:10>

 十分の一献金(返金)を実行して恵みに溢れた経験をし、またし続けている方はたくさんいます。相良佐枝子姉は生前いつもこのことを声を大にして言っていました。
 「天が開くのよ…!」「ゆすり入れるほどに祝福が来るのよ…!」等々。

 さて、今日は献金のお勧めというより、「神様にとって、私たちがささげるもので一番のものはいったい何でしょう」ということです。
 献金はその一部にしかすぎません。
 
天に積めない、この世の宝(お金)でさえ、ささげることで溢れる恵みを注いでくれる神様ですから、十一献金はできるだけした方が良いですね。

 しかし、私たちがするべき、イエス様に喜ばれる第一のものは、感謝の供え物です。
 私たちの気休めや、自分が喜ぶためではなく、イエス様(神様)がお喜びになるささげものをしたいと思います。

 パウロは「信仰によって義と認められた」と言いました。この「認められた」(ローマ4:3 みなされた【新改訳】)という言葉は勘定に入れるという意味があります。
 つまり今まで私たちの罪は負債の勘定に入っていたのです。

 イエス・キリストを信じる信仰(イエス・キリストの信仰)によって義とされるとき、この罪という負債が、資産勘定(イエス・キリストの側)に入れられてしまい、もはや負債はなくなってしまっているという状態なのです。
 商人が毎日帳簿を付けるように、私たちも毎日この負債の勘定をイエス様の勘定に入れるということを、寝る前の祈りによってやっていきたいと思うのです。

 イエス様が喜ばれるささげもの、それは「砕かれた魂の悔い改めの祈り、神をほめたたえる、賛美のささげもの」です。
 今日一日の負債を明日まで残すことなく、今日一日で終わらせましょう。
 毎日決算しましょう。(た)
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by mitiru-takae | 2018-09-30 23:04 | 満ちる | Comments(0)
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