No.307 神を礼拝する 2018.9.16

神を礼拝する

日の出る所から没する所まで、国々のうちにわが名はあがめられている。また、どこでも香と清いささげ物が、わが名のためにささげられる。これはわが名が国々のうちにあがめられているからであると、万軍の主は言われる。<マラキ1:11>

 9月10日(月)に別府FG教会でギャザリングのミーティングが行われました。

 この日、ユダヤ暦で新年を迎えましたので、皆で「あけましておめでとうございます」の挨拶から始まりました。ちなみに5779年が明けたのです。

 去る8月9、10日の二日間、愛知県にある「華人の家」という中華系の教会でローカルギャザリングが行われました。
 日本から140名、中国系100名、韓国から31名、北韓(北朝鮮)から6名、カナダから6名と、計283名もの神の家族が集まったそうです。【HAZAH10月号参照】

 私たちが集まる大きな聖会では、癒し、奇跡、悔い改め、解放、喜び、賛美など、色々な体験をしたり、また期待したりします。
 そんな中でギャザリングの集いというのはやはり一味違うところがあります。
 この集会の賛美や、預言、お話の中で、癒しも奇跡も起こっているのですが、それを当然のようにとらえ、特に表に出したりしないというか、それ以上に「聖霊様と親しく過ごせることが嬉しい」といった感じが大きいのです。

 デミアン先生方率いる集まりのようでそうでない、本当に聖霊様の導きに沿って始まっていく集会です。しかし、「集会というより『家族の楽しい時間』のようだ」と、先生自身は語っています。
 また、先生は、「私たちの体・感情・魂は、霊について行かねばなりません。聖霊様が何を語っているかに注意しましょう。この時、聖霊様があなたに語っていることを、しっかりと分かち合いましょう。」【HAZAH10月号より】とも語っています。
 聖霊様のお導きが一番なのですね。
 果たして私たちは聖霊様について行けているのでしょうか?思いのすべてを聖霊様に向けてみようではありませんか。

 私たちの教会でも、祈祷会、聖書学習会、聖会などすべての集まりの中で、聖霊様のお導きを求め、そこにいるお互いの感じたこと、思いついたことを語り合い、その中から教えられ、啓示していただいたことなどを共有できたりして、とても恵まれています。

 毎回そうですが、今回9月17日(日・祝)のローカルギャザリングも、主イエス様が私たちに、何をしようとされているのか、期待に胸が膨らみます。

 私たちにとって大切なことは、私のうちに生きて働くイエス様(聖霊様)の証をいつも心の中に持たせていただくことですね。
 天の父を「アバ父よ」と呼びあえる「神に砕かれた従順な心をもった人たちの教会」、また、神の家族の証が毎日毎日ぞくぞくとあふれ出て、「喜びも悲しみも共に分かちあえる教会」、これが私たちの教会のコンセプトであると思います。

 私たちはことごとに神を礼拝していく真の礼拝者として、この地上におかれています。
 いつも神をあがめ、礼拝する事は、神の主権を認め、神の全能の力を認めることです。
 そして、その御手に寄りかかって、信頼して行くことでしょう。

 私たちがどれほど神を頼り切ったとしても、神は倒れるお方ではありません。また、神の御手はどれほど遠くに延ばしても、世界中の求める人々に多くの御手を伸ばし尽くしたとしても、切れることも、尽きることもないお方です。

またあなたがたが求める所の主は、たちまちその宮に来る。見よ、あなたがたの喜ぶ契約の使者が来ると、万軍の主が言われる。<マラキ3:1>

 真の礼拝をささげる者の心の中に、主イエス様は即、喜びをもって応え、来てくださるお方です。満々感謝!(た)
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by mitiru-takae | 2018-09-30 23:02 | 満ちる | Comments(0)
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