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No.305 天国のはなし(1) 2018.9.2

天国のはなし(1)
 
 木曜日の学習会で、「天国にいったら父ちゃんに会えるんやなあ」というE姉妹の切実な言葉から、天国の話になりました。

 大好きだった人、愛する子供、妻、夫・・・というように、みんなと天国で会うのを楽しみにしていますという方は多いのではないでしょうか。

 そこで思い出すのがグレイスチャペル安曇野の須佐二三子先生の天国に行った話です。

 天国は、全世界のどんなところよりも素晴らしいところで・・・金色に光り輝き・・・クリスタルガラスのような虹・・・・ダイヤモンドのように色々な色に輝く水のような・・・【「突然の死に遭遇し、天国を見、生かされた」より】

 先生は第3版くらいまでこの本を出していると思いますが、天国の中のどこにも、知っている人にあったということは書いていません。様々な色の、それも赤ちゃんの頭ほどもあるような宝石がたくさん輝いているところのようでした。

わたしの目には、あなたは高価で尊い。
わたしはあなたを愛している。<イザヤ43:4>【新改訳】

 私たち一人一人が天国で光り輝いていた宝石のように、神様がとても大事にしてくださっている素晴らしい「宝物」なのですね。
 そして、神様にとっては私たちは、天国にいるときも地上にいるときも、同じように素晴らしい価値ある尊いものなのです。

 グレイスチャペルの須佐先生のお話に戻りますが、先生の冊子「天国では」の中で、気になることを言っていました。

 よくこういう事を言われたり質問されます。
「天国で、会いましょう」、「天国で、先祖(両親)が見守っている」、「天国で、だれと会われましたか?」(須佐二三子著【天国では】参照)

 しかし、先生は天国では誰とも会っていませんでした。
 ただ三位一体なる主の真ん中で、愛に包まれていた思いだったそうです。

 これを聞くと、今の私たちは「そんな寂しいことを」とか、「えー、会いたいですよね」とか思ってしまうのです。しかし、須佐先生はそんな懐かしい人たちには会っていないのですね。天国では必要のないことなのでしょう。

イエスは彼らに言われた、「この世の子らは、めとったり、とついだりするが、かの世にはいって死人からの復活にあずかるにふさわしい者たちは、めとったり、とついだりすることはない。 <ルカ20:34,35>

 果たして天国には人間がだれもいないのでしょうか?両親はいないのでしょうか。「あのお世話になった方に会いたかったのに」という願いは聞かれないのでしょうか?天国では私たちの想像を絶する御霊の体がありそうです。

すなわち、わたしたちは、土に属している形をとっているのと同様に、また天に属している形をとるであろう。<Ⅰコリント15:49>

 さあ、そこで私たちの霊の母国である「天国」はどこにあるの?という疑問も浮かんでくると思います。
 わたしたちが臨死体験でもしないかぎり、生きたままでは天国を見ることは不可能なのでしょうか。

 イエス様は天国の話をたくさんしてくださいましたが、殆どがたとえ話です。
 しかし、そのお話の中で天国の場所について、イエス様は核心的なことを言って下さっています。

また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」。<ルカ17:21>
ーつづくー(た)
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by mitiru-takae | 2018-09-30 23:00 | 満ちる | Comments(0)
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