No.298 イエス様の福音に押し出されて 2018.7.15

イエス様の福音に押し出されて

神の子イエス・キリストの福音のはじめ(口語訳)
「神の子」「イエス・キリストの福音」の源(岩波翻訳委員会訳)
イエス・キリストの福音はこうして始まった(塚本訳)
<マルコ1:1>

 私が牧師(実は父の後を代表者としてこの教会を存続していくか否かの切羽詰まったとき)となることの「神よりの召命」ともなったみことばですので、何度も何度も語ってきたことであり、少々恐縮の感ありです。

 しかし、私たちには、決して忘れることのできない「誰かの一言」が心の中にあります。
 学校の先生、先輩、友人など、家族以外の人からの言葉が多いかもしれません。家族は、なかなか自分の宝と気が付いていないところがあります。
 最近、「当たり前」という歌をラジオで聞きましたが、確かに当たり前のことへの気づきや感謝が私たちには足りないのです。

 私たちにはそれまでの人生が、一瞬にして裏から表また、表から裏へと返るように180度転回してしまうほどの影響力のある言葉・・・それは人生の中の体験として深く心に刻まれていきます。
 私にとっても、両親や家族の言葉によって、良し悪し関係なくたくさんの影響を受けています。
イエス様の愛がだんだんわかってくると、この良し悪しが、自己の判断や感覚だけで理解することなく、神様のご計画の中で与えられたものであると気が付いてきます。

 そうすると、私を導いてくださった言葉、いやこれは私を試されたお言葉など、私たちは自分の周りに起こってくる出来事の一つ一つを無駄にすることなく思い返すことができます。これこそが聖霊様の働きです。

私たちは多くの悔い改めをすることができ、多くの赦しをいただくことができ、多くのイエス様の愛をいただくことができるのですから、最高です。ハレルヤ!

 話を戻しますが、このイエス・キリストの福音が私たちを押し出し始めると、神のご計画に従って、私たちは前進させられます。
 父の「イエス・キリストの福音が、あなたを押し出して進んでいくんだから、大丈夫だよ!、簡単だよ!」という声が、わたしには、今も聞こえてくるようなのです。

 代表者から、牧師へと、イエス様は私を訓練していってくださいました。
 朝から晩まで、聖書と、ガイドブックと信仰書を読みあさって、意気揚々と主日礼拝のメッセージを始めましたが、実は3か月目に私は挫折したのです(笑)。
 なんでもそうですが、やってみなくてはわからないことが、私を挫折させます。しかし、そのおかげで私は、「そうではない」ということに気が付くわけです。
 
主のおきては完全であって、魂を生きかえらせ、主のあかしは確かであって、無学な者を賢くする。<詩篇19:7>

 生前父が「イエス・キリスト様、アーメン!」という、聖名を呼ぶ信仰を推奨していたころがありました。アーメンはしかり。イエス様は完全なお方です。
そのお方に私たちは「完全肯定、アーメン、しかり」と、御前に進んでいきたいのです。

 私たちが「アーメン」といったその時、私への神様のご計画が動き出すのですね。万物が神によって更新され、全く新しい私たちの生きる場所が開き続けるのです。

 私たちはイエス・キリストご自身の持っておられる、権威、能力、知識など、多くのものを聖霊様によって知ることができます。そしてイエス様が直接私に顕わしてくださるご証しによって、心の中に確かなものとされていく(聖霊の証印)のです。

 ともあれ、牧師按手礼(2013・7・15)から5周年を迎えることができました。
ひとえにキリストの福音大分教会に集う聖徒の皆様、そしてこの教会に連なる大きなエクレシアのメンバーの皆様の応援とお祈りのおかげです。ありがとうございます。
 みなさん、これからも祈り、支えて
くださいますようにお願いいたします。満々感謝! (た)
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by mitiru-takae | 2018-07-31 23:02 | 満ちる | Comments(0)
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