No.295 どちらが先か 2018.6.24

どちらが先か

神は「光あれ」と言われた。すると光があった。<創世記1:3>

 天地創造の時、神は一日目に光を呼び出されました。「光あれ」と言われたのです。光があったとき地は混とんとしていたのですが、光と闇に分けられました。この時、昼と夜ができたのです。

 二日目には、水を上と下に分けられました。おおぞらを創り水を上と下に分けました。

 三日目、分けられた下の水を一つ所に集め、乾いた地が現れるように言いました。神は、集まった水を海と名付け、乾いた地を陸と名付けました。

 この日はこの後、草や木をお創りになりました。

神はまた言われた、「地は青草と、種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ果樹とを地の上にはえさせよ」。そのようになった。<創世記1:11>

 種を持つ草、種のある実を結ぶ果樹……ですから、神様の創造は種からでもなく実からでもなく、実を結ぶことのできる草や木を創ったということになります。

 人間も他の生き物もそうです。神様の創造は、種だけとか、卵だけとかいうものではありませんね。

 こうしてみると、よく「卵が先か、鶏が先か」と論争しますが、全くナンセンスですね。神様は卵も鶏も同時に創られています。

神はこれらを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、海の水に満ちよ、また鳥は地にふえよ」。<創世記1:22>

 すべてのものをお創りになった神様のお心は、はじめから命で満ち溢れる世界の創造でした。

 人間が他の動物と違うのは、「従わせよ、治めよ」と言う神様からのお言葉をいただいているというところです。

神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。<創世記1:28>

 人間は、神様に似るものとして、創造されたものの中でも「最高の冠」として創られたのです。

また地のすべての獣、空のすべての鳥、地に這うすべてのもの、すなわち命あるものには、食物としてすべての青草を与える」。そのようになった。<創世記1:30>

 ところで先週の礼拝ではマルコ2:1~12を取り上げました。その中にあるイエス様のお言葉を見てみます。

あなたの罪はゆるされた、と言うのと、起きよ、床を取りあげて歩け、と言うのと、どちらがたやすいか。<マルコ2:9>

 イエス様にとってはどちらもたやすいことであったでしょうが、あえて罪の赦しを先に宣言したのにはわけがありました。

人の子は地上で罪をゆるす権威をもっていることが、あなたがたにわかるために」<マルコ2:10>

 癒しの祈りをするときに、罪の赦しをしてからでないと…とか、また、癒されないのは、罪があるからだとか…、みこころでないから…etc、人間の側では、いろいろ考えてみたりします。しかし、これもナンセンスです。
 
 イエス様にとっては簡単明瞭。ただ「神のみこころ(愛と聖と義)」によって、すべてのことが天になるごとく地にもなるように、父なる神にとりなしてくださっているということなのです。

 私たちの罪からの赦しと解放は神様の創造の前からのご計画であり、私たちの癒しは神様のお心ひとつで成る(治る)のです。ハレルヤ! (た)
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by mitiru-takae | 2018-06-30 23:03 | 満ちる | Comments(0)
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