No.283 祝イースター/十字架への道 2018.4.1

祝 イースター

もうしばらくしたら、世はもはやわたしを見なくなるだろう。しかし、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからである。<ヨハネ14:9>

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 イエス様が十字架にかかり死なれてから初めての日曜日、私たちは再びイエス様を見ます。
 私を永遠に生かすことのできる「道なる主、真理なる主、命なる主」を見ることができるのです。
 復活のイエス様は、私たちを勝利に導くお方であり、私たちの帰る場所を示してくださった唯一のお方です。

そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。<ヨハネ14:3>

 この世でイエス様の死ほど貴いものはありません。またイエス様の復活ほど力強いものはありません。(た)


十字架への道

しかし、わたしはほんとうのことをあなたがたに言うが、わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのだ。わたしが去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はこないであろう。もし行けば、それをあなたがたにつかわそう。<ヨハネ16:7>

 イエス様が十字架の死に向かっていくとき、そのことをいくら聞いても納得出来ないのが、イエス様に一番近くいるはずの弟子たちです。

 まして、「去っていく」というイエス様のお言葉は、決して受け入れたくないお言葉でもあります。

 毎日そばで暮らし、話を聞き、「このお方こそ本物の王であり、メシヤにちがいない」と確信していたであろうイエス様が、こともあろうに人々から、笑いものにされ、見世物にされ、死の苦しみを受けるのですから、尋常な心では見ておれません。 
 しかし、イエス様の生きる場所は十字架の向こうにありました。十字架を避けてはイエス様の復活の命どころか、私たちの命さえもなかったわけです。

 私たちは自分の永遠の命を得るために、なんと楽をしていることでしょう。 
 栄光あるお方が(私たちには到底できませんが)その栄光を捨てて、私の代わりに笑いものになってくださったのです。また、見世物になってくださったのです。そして死の苦しみを味わってくださったのです。

 なんと私たちは、幸せでしょう。
 あなたは、人々に笑われたとき、イエス様を思い出すことができるでしょうか。
 あなたは、人々に見世物のように扱われたとき、イエス様を思い出せるでしょうか。

 そして、あなたが、一人で死と向き合うほどの苦しさを覚えたとき、苦しみの中で、イエス様を思い出して「助けてください」と祈り願うことができるでしょうか。

 その時、私たちは、決して思い出すだけではないのです。
 あの苦しみを勝利に変えたイエス様が、今は私と共にいてくださる、私の苦しみの中に、私に降りかかる災難の中に、私のつらさを一番理解してくださるお方として生きて働いてくださっているのを知ることができるのです。

その日、すなわち、一週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人をおそれて、自分たちのおる所の戸をみなしめていると、イエスがはいってきて、彼らの中に立ち、「安かれ」と言われた。<ヨハネ20:19>

 復活のイエス様は、人を恐れて戸を閉じているときも、怖くて心がふるえているときも、私たちの只中に入ってきて「安かれ」といってくださいます。
 イエス様の十字架への道は、私を平安へ導く勝利の道なのです。(た)
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by mitiru-takae | 2018-04-30 17:20 | 満ちる | Comments(0)
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