No.278 きよい良心 2018.2.25

きよい良心

きよい良心をもって、信仰の奥義を保っていなければならない。<テトス3:9>

 きよい良心は神様から頂いたギフトです。
 「ギフト(gift)」とは、「神様からの贈りもの」また「才能」という意味もあるそうです。高価なこの世にたった一つしかない私への神様からのプレゼントはイエス様です。(と勝手に解釈しています<笑>)

 神様が人をお創りになったとき、ご自身に似せて創ってくださいましたから、私たちはもともと、神の御心に沿う思いである良心をもって生まれてきました。

 それがいつの間にか、心が神様から離れるごとに、汚れてしまった状態になっています。これはもう良心とは言い難く、偽善、疑心に満ちた悪い心となってしまっています。

 私たちにとっての「一番の幸せ」はというと、ダビデが詩編で歌っているように、神様から「あなたは間違っているよ」とか、「あなたそれは嘘でしょう」とか言われない、神様に対して偽りのない人であることです。

主によって不義を負わされず、その霊に偽りのない人はさいわいである。<詩篇32:2>

 神様に不義を負わせられないためにはどうすればいいのでしょう。もっと言えば、どうしてわたしたちの心が汚れてしまったままでは幸せになれないのでしょうか。

きよい人には、すべてのものがきよい。しかし、汚れている不信仰な人には、きよいものは一つもなく、その知性も良心も汚れてしまっている。<テトス1:15>

 どんなに勉強して偉くなったとしても、人々から素晴らしい人物だと言われても、神様が認めてくださらない限り、人は罪びとのままで、正しい人とは呼ばれないのです。

 イエス様を私の主、救い主と知って初めて、本当の知識を得ることができます。

主を恐れることは知識のはじめである、愚かな者は知恵と教訓を軽んじる。<箴言1:7>

なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。<ローマ10:10>
 
 イエス様を知って信じることこそ、私たちが清い良心を保ち続けることができる唯一の方法です。また私たちが持っている罪(汚れた心、自分では治しようがない生まれたときから持っている心のしみ)からの救いは、ほかにないのです。

 世の中には、良心によって素晴らしい善行をしたり生き方をする人も多いのです。しかし、私たちはその人たちの何分の一の真似もできず、思いはあっても、あきらめてしまいそうです。
しかし私たちが持つ良心とは、善行をするだけのものではありません。イエス様を信じている証しでもあるのです。

貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者は、いずれも神の国をつぐことはないのである。
あなたがたの中には、以前はそんな人もいた。しかし、あなたがたは、主イエス・キリストの名によって、またわたしたちの神の霊によって、洗われ、きよめられ、義とされたのである。<Ⅰコリント6:10、11>

 私たちは、イエス・キリストの名によって(神の霊によって)義とされるのです。

 神様からのギフトである「清い良心」を持ち続ける、保ち続けることができる、それはイエス・キリストを信じ続けるということなのですね。(た) 
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by mitiru-takae | 2018-02-28 19:52 | 満ちる | Comments(0)
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