No.277 景教に影響された日本の宗教 2018.2.18

景教に影響された日本の宗教

 先日仏教について、えんじぇる田中先生より学ぶ時を与えられました。先生は浄土真宗のお寺のご子息として生まれ、仏教徒からキリスト教の牧師になった一寸風変わりな先生です。現在はアメリカに住んでおられます。

 今回中国のリバイバルの現場のお話と、仏教についてのお話をしてくださいました。
 少し先生のお話も交えて、父がよく言っていた親鸞の歎異抄の一節を紹介いたします。

【歎異抄第三章現代語訳  悪人こそが救われる 悪人正機】
善人でさえ救われるのだから、悪人はなおさら救われる。
(善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや。)

【聖書】
わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。<マタイ9:13>

〔人の子は、滅びる者を救うためにきたのである。〕<マタイ18:11>

 面白いことに、仏教では涅槃に行くには何千億年という宇宙的時間を要します。特に女性は成仏できない不浄の者とされています。
 また、殺生してはいけません(これはモーセの十戒と同じですね、しかしその意味が全く違います)。お坊さんは雨の日は、虫を踏みそうなので外には出ないという話を田中先生よりお聞きました。
 なぜなら「今日私が踏んだナメクジは、もしかすると祖父の生まれ変わりであるかもしれないから」ということのようです。そしてもし自分が殺生すると人間界において、自分の修行の得にならないことと信じているからです。
 つまり仏教は因果応報という「自分中心の生き方」という世界なのです。

 ところがキリスト教は、「神を中心に生きる」ということです。神に生かされ神に従うという生き方なのですね。
 キリスト教には輪廻の思想はありません。
 どんな罪を犯したものであっても、悔い改めてイエス様を信じる者は天国に行くことができます。

 日々神に帰ることによって、私たちはますますイエス・キリストの似姿に作り変えられていていきます。
 神に生かされる世界は(歎異抄で言う「自力をすてて【現代語訳は,心をひるがえして】他力に帰すれば」)、つまり「自力によらず、神の力に帰る」世界です。

 このように、親鸞の教えは、聖書の教えに似ていますね。彼は聖書を読んだであろうと言われています。
 日本でまず最初に景教にふれて、持ち帰ったのは空海らしいですが、田中先生のお話だと、中国で見つかった石碑に書かれている中に景教のことを「真宗」とも呼ばれていると記されているらしく、また三位一体の神のことも書かれているんだそうです。そのレプリカが、日本の高野山にあるそうですから、見てみたいものです。

 しかし、キリスト教の福音は、イエス様の十字架と復活です。
 なぜ、悪人が救われるのか。なぜ、悪人を救うためにイエス様はこられたのでしょうか。
 それは簡単です。善人(義人)はいないからです。全ての人が罪びとなのです。救われる対象です。よいお方はイエス様だけです。

 罪びとが自分の罪を知ってこそ、イエス・キリストの福音の力が理解できるのであって、自分を善人と思っている人々には、わかりません。
 多分親鸞は他のお坊さんに比べると、ものぐさ坊主だったと思います(笑)。行いによっては、救われないと悟っていたに違いないからです。

 日本に入ってきた景教も、空海の教えも、親鸞の浄土真宗も、今では形だけを求める宗教となっていますが、キリスト教も同じ様相を呈しています。
 「私たちは信仰の奥義(イエス・キリスト)を求めて、主に喜ばれるものとなる」、楽しいクリスチャンとなりましょう。

 それは、宗教学者でも、宗教家でもなく、イエス・キリストにある信仰者とでも言いましょうか、子供の歌のように「イエス様が一番、十字架が誇り」の人なのです。(た) 
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by mitiru-takae | 2018-02-28 19:48 | 満ちる | Comments(0)
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