祝 イースター
時の間をも おしみて きみはわれと語ろう
きみはわれをはなたず われはまた主にぞつく
(聖歌609番「いちど死にしわれをも」おりかえし部分)
3月31日の早天祈祷会でこの聖歌を歌いました。これはその折り返し部分の歌詞です。実はこの曲は讃美歌のほうが父の思い出として、深い思い入れがあるのですが、今朝はこの聖歌の歌詞に胸を打たれました。
イエス様の弟子たちがいつもイエス様と共にいて、笑ったり、しかられたり、また飲んだり、食べたりしていたそのときと同じように、今の私たちも「時の間をも おしみて きみはわれと語ろう」とイエス様に近づきたいものです。イエス様にすがりつき語り合いたい衝動にかられるほど、イエス様を近くに感じられるならば、なんと幸せでしょうか。感情もゆすぶられるくらいの信仰をいただきたいですね。
イースターの朝、復活のイエス様に「マリヤ」と呼びかけられ、おもわず「ラボニ」と答え、イエス様にすがりつこうとしたマグダラのマリヤも、十字架の下までついて行くほどイエス様を慕っていました。イエス様をこころから愛していたからでしょう。
イエス様を慕う愛は、私たちが知るこの世のどの愛よりも、厚く崇高なものです。
しかし神様は、人の思いもよらないような愛を、私たちに「もう罪がないよ」と言って示してくださいました。
それはイエス様が私たちの罪の身代わりとして、十字架に架かって死んでくださり、死と黄泉に勝利し、私たちが「死んでも生きる」ために復活してくださったということなのです。
この復活のイエス様を感謝してお祝いするのが「イースター」です。
イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。<ヨハネ11:15>
実際わたしたちにはイエス様の証が、日ごとに新しく迫ってきます。
そしてイエス様を再発見して驚き、自分の罪の深さをさらに知って神を恐れ、悔い改めて新たな天国人として生まれ変わります。
イースターはわたしの魂の中でイエス様と共に生き返る永遠の命の誕生の日ですし、悪霊に勝利し死と黄泉に打ち勝ったイエス様の力を感謝していただく日です。(た)
