イサクとイシマエル
そしてサラは言った、「神はわたしを笑わせてくださった。聞く者は皆わたしのことで笑うでしょう」。<創世記21:6>
【新共同訳】サラは言った。「神はわたしに笑いをお与えになった。聞く者は皆、わたしと笑い(イサク)を共にしてくれるでしょう。」
ここのところでは、私は新共同訳が気に入っている。イサクと言う名の意味は笑いだ。「神はわたしにイサクをお与えになった」ということになる。また「笑い(イサク)を創ってくださった」とも訳せる。
他にも語呂合わせのところがある。
神はわらべの声を聞かれ、神の使は天からハガルを呼んで言った、「ハガルよ、どうしたのか。恐れてはいけない。神はあそこにいるわらべの声を聞かれた。<創世記21:17>
神が聞く(イシマエル)と言う言葉が2度も出ている。エルは「神」で、イシマは「聞く」だ。奴隷の子であろうと、神様はイシマエルの声を聞いてくださった。同じように神様は今もわたしの泣き叫ぶ声を聞き、語りかけてくださる。
イサクとイシマエルの名の聖書箇所を並べると、「神様はわたしの泣き叫ぶ声を聞いてくださり、笑いを作って下さった」ということになる。なんと素晴らしい、実に素晴らしい。
この事で、アブラハムはその子のために非常に心配した。
神はアブラハムに言われた、「あのわらべのため、またあなたのはしためのために心配することはない。サラがあなたに言うことはすべて聞きいれなさい。イサクに生れる者が、あなたの子孫と唱えられるからです。<創世記21:11,12>
神様は聞いてくださるだけではない。アブラハムの心配でいっぱいになった心の中まで見ておられる。そして、迷いと苦悩から解き放って下さるのだ。神様のご計画の一端が、揺るぐ事はないのだ。一筋の道を示して下さり、また、その道にたどり着くまでの具体的な指示をも出してくれるのである。
その指示が、案外従いたくない人からだったり、自分が優位にある側だと思っていたりする思いもよらない者に従えと言う場合もあるのである。
だとしても、とにかく「心配するな、(神様によって)なるように成る」のである。【釘宮孝枝】