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信仰とは(7)希望を抱いて生きる 2014.5.4

信仰とは
 
 7)希望を抱いて生きる
 
 わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった<ヨハネの黙示録21章1節>
 
 まったく新しい天と地をわたしたちも見ることが出来るのか。
 今の天と地はなくなるのだ。海もなくなるということは、その中にいた死人ももういないのだ。いのちの書に名を書かれたものたちだけが残る。
 この新しい世界に生きることの出来る私たち自身に希望を持ちたい。他の誰でもない、私自身が主によって新しくされるからだ。今の肉の世界にオサラバするのである、なんということだろう。このことを信じられる人は幸いだ。イエス様は見ずして信じられるものは幸いだと言われた。信じられないもの、見えないものだからこそ信じるのが信仰だ、アブラハムに倣おう。
 
 彼は望み得ないのに、なおも望みつつ信じた。そのために、「あなたの子孫はこうなるであろう」と言われているとおり、多くの国民の父となったのである<ローマ人への手紙4章18節>
 
 この肉を離れて自由に生きることの出来る世界は、小さいころからの私の夢である。肉体をかなぐりすてて自由に飛びまわれる姿を幾度となく想像したものだ。
 早くそうなりたい、完全の自由を切望する。そういう意味では『自由なクリスチャン』になれた父にちょっと嫉妬する(笑)。生前父が言っていた「ふすまを開けて隣の部屋に行くように死ぬ」なんてことが本当に起こったのだから。
 この父を見て私は死に対して「ふすまを開けて隣の部屋に・・・」という希望をいただいた。この希望を死ぬまで持ち続けたいと思う。「たといそうでなくても」でもいい。主がついていてくだされば、見えるところはどうでもいい。しかし、希望はもちつづける、父のように死を迎えたいと思うからだ。
 生きている今でさえ、わたしたちの本当の命はイエス様の懐に隠されているのだから、実は生きていようが、死んでいようが同じことだ。私の魂のうちに、新しい天と地であるイエス様とまったく生まれ変わった私とが同居しているからである。一つといってもよい。それこそ、「もはや我生くるにあらずキリスト我がうちにありて生くるなり」というお言葉どおりなのである。
 わたしたちは、このように生きることに対しても、死ぬことにたいしても、主によって希望をいただいている。信じられないからこそイエス様ご自身の信仰に頼り、希望をいだかせていただいている。実際私の中にある信仰の確信とは、イエス様が私に持ってくださっている信仰と希望そのものなのである。(「信仰とは」終り)【釘宮孝枝】
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by mitiru-takae | 2014-05-08 20:13 | 満ちる | Comments(0)
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