光の子らしく歩きなさい 2013.9.29

光の子らしく歩きなさい 
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 あなたがたは以前はやみであったが、今は主にあって光となっている。光の子らしく歩きなさい<エペソ5:8>
 
 一人で独立伝道を始めた父が、いま教会堂の立っている地へ引越してきたのはもう53年くらい前になるでしょうか。細々と下請けのタイプ屋を始めようと、まんまと主のご計画にはまってしまったのですが、はからずも、事業主としてある程度の成功を収めた事は、主のご計画が確かなものとしてこの世に示されたものだと感ぜずにはおれません。

 「自分の口は自分で満たす」的なパウロ流の生き方は、社会生活を営むものにとって、大きな力となり勇気づけられるものとなり得ます。
 わたしたちは所謂世捨て人「仙人」ではありません。世の中で、世の人々の中で、光の子らしく輝くものであるべきです。今ある自分の環境は主が下さったものです。主が私のために置いてくださっている所有地なのです。父はこれを「コート」といいました。テニスコートの「コート」ですね。
 
 光の子らしく生きるということは、「誰にでも好かれるいい人」になることではありません。「主に愛されている人」と自他共に認めずにはおれない、羨ましいくらいの神様にエコヒイキされた生き方、「光の子」としての存在を世に示しながら生きる生き方なのだと思えるのです。
 先々週の「満ちる」でも書きましたが、そのコートがいかに泥んこまみれのコートであったとしても、光の子として、天国のプリンス、プリンセスとして輝いて生きるとき、人間としてこの世に生まれさせてくださった神様に感謝せずにはいられなくなります。
 信仰によって事業を営むということは、この泥んこまみれのコートのように、ドロドロした商売根性をむき出しにしてくる、ライバル会社との攻防をも信仰によって突破するという、まさに、闇の中で光り輝く「光の子」としての生き方であり、私にとっても、まことに学ぶべきものが多くあったのです。
 
 「人として人の中で光の子として輝く」ための出発に際して、父は「人間誕生」という文章を書いています。
 「世間の人と同じコートで受肉して生きる」
 この時の父の決心は、紛れもなく神様のお導きでありご計画であったのだと、教会堂を見ながら感慨にふけります。「事業を生かす信仰」という冊子もこのころ書いたものです。もし、この時父が主のご意志に従っていなければ、今の会堂は建っていません。
 
 主イエス・キリストの福音がこの世の中で伝えられ、み言葉が光り輝くために、私たちもこの世の中で光の子として光り輝こうではありませんか。主に従う時、必ず主が私たちを輝かせてくださいます。
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by mitiru-takae | 2013-10-04 12:01 | 満ちる | Comments(0)
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