神の密命組織 2013.9.22

神の密命組織
 
 パウロのローマへの宣教の熱望はただならぬものがあったように思います。

 先週の聖書学習会で、ローマ人への手紙を読み進んで16章まできたとき、「ああ、この人のおかげで、私たちはイエス様を知ることが出来たんだなあ」と、ふと2000年前が、今のことのように思えてくるのです。主の愛によって、人々を愛し、共に力を尽くしたい(ローマ人への手紙15:30参照)人として、働き人は、こぞってパウロの下に集まってきたのではないでしょうか。それも、有能な婦人が多いのにもびっくりいたします。
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 そして、パウロの手紙に出てくる、フィベ執事や、プリスキラとアクラご夫妻、テモテ先生やテトス先生、パウロの手紙を筆記したというテルテオさん、家主のガイオ氏、公務員のエラストさんとそのご兄弟のクワルトさん、等々。この人たちの名前を見ていると、生き生きとした当時の人間模様が見えてきて、本当に近しく感じられます。

 「とうとうこの日本のこの教会にまでパウロ先生の手紙が来たんだ」「パウロ先生は、今どうしてんだ?まだ捕らえられているのか」などと言いたくなるくらいですね。
 御言葉をこのような、捉え方ができるようになったのも私たちの聖書学習会のおかげです。どのように難しい論法を使って書いてあったとしても、私たちに伝えたかったパウロの思いはイエス様一筋です。
 
 神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。これは、「信仰による義人は生きる」と書いてあるとおりである。
 <ローマ人への手紙1: 17 >

 
 わたしたちは、生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。だから、生きるにしても死ぬにしても、わたしたちは主のものなのである。<ローマ人への手紙14:8 >
 
 私たちはイエス様の精鋭部隊の一員なのです。有能なエージェントなのです。主のために生き、主のために死ぬものでありたいのです。今日も主よりの密命を受けて魂の救いのために戦うのです。戦いの準備をするのです。フィベのように、プリスキラのように、テモテのように。またエパフラスやバルナバのように。
 
 私たちの聖書学習会の、この名をそのまま受け取って勉強会だと思うのには、少し語弊があります。勉強会ではないのです(変える気はないのですが(笑))。
 御言葉によって主のお心を探り知る、聞く。また、霊も肉も共に聖霊による交わりの喜びを共有する、祈る、賛美するといった具合に、なかなか奥の深い集会なのです。
 と、いってもちっとも重くありません。誰でも参加できる、楽しい集会なのです。一度おいでください。
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by mitiru-takae | 2013-09-28 23:36 | 満ちる | Comments(0)
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