天国での驚くべき祝福 2013.6.30

天国での驚くべき祝福
 
 その日には喜びおどれ。見よ、天においてあなたがたの受ける報いは大きいのだから。<ルカによる福音書 6:23>
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 教会の談話室(仮称ですが最近福音食堂という呼び方が聞こえてきました)にある本箱を整理していましたら、あのヤベツの祈りを書いたブルース・ウィルキンソンの「神からの報い」という本が出てきました。
 
 この本はとてもお世話になった故K兄の遺品で、ご遺族の方から贈られました記念蔵書の中の一冊です。表紙裏に以下のような父の文章がありました。
 「K兄は、私の妻が肺がんを病んだ時、東京板橋の誠志会病院が、院長先生もクリスチャンだし、その免疫療法が信用できると、自分で東京まで行って調べてこられて確信をもって私の妻を誠志会病院に送ってくださった。その旅費も入院費までも負担してくださったものです。」【2005/12.25釘宮義人記】
 このK兄は、信仰はもちろん素晴しいし、なにより事業家としてもとてもすごい方でしたので、父は色々な話を聞くのがとても楽しかったようです。
 そんなK兄の残してくださった中の、この一冊の本も談話室のあの大きな本箱の中で埋もれていました。
 
 神様のなさることはいつも素晴らしいので、この本もきっと【神様の仕業】だな?と思いながら少し読んでみました。
 まず、私たちは永遠をどうすごすのか?それを決める鍵は二つあり、第一は信仰、第二は行いとありました。
 信仰はわかります。しかし、行いは?善行をせよ?クリスチャンとして、それにふさわしい生活をせよ?伝道をせよ?などなど、普通なら読みたくないものかもしれません(苦笑)。
 イエス様に従えばこの世の事はすべて添えて与えられるものですから、私たちの日々の行いはイエス様につながっていさえすれば、何も問題ありません。
 ただ、私たちにはしなければならないことがあるのです。
 「神が私たちに報いてくださった宝を、天に積みなさい」
 ブルース・ウィルキンソン流に言うと、「住所変更をして、自分が住む前に、荷物を天の家に向け発送しなさい」
 それが、次のおことばです。
 
 むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。 <マタイによる福音書 6:20>
 
 神様が下さる報い、私たちがいただく宝とは、一体なんでしょうか。
 私はこう思います。それこそ「天国での驚くばかりの祝福」、私たちの只中にある天国の祝福に違いありません。この世の君との戦いの中で勝ち取っていく小さな勝利のひとつひとつが天国で大きく膨らんでいるのでしょうね!
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by mitiru-takae | 2013-07-10 00:14 | 満ちる | Comments(0)
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