特別な時 2013.4.21

特別な時   

 毎日の散歩道に確かアメリカンもみじだったと思うが素敵な並木道があります。毎年有る時期に枝と葉っぱを皆切り落としてしまうのですが、その丸裸の幹に新芽が出てくるのを私は今か今かと毎年待っているわけです。
 今年はまだ見つけるほうが難しいくらい新芽が出ていません。昨日、太い幹の真ん中ごろに1センチくらいに伸びた小さな葉を2、3枚見つけました。ある時に一斉に出てくるのでしょうね、楽しみです。
 
 信仰も、感情が伴わないとなかなかあるのかないのか、葉が出て花が咲いて、実がならないとよくわかりません。確かにあるはずなのに、わたしのうちに隠れていて何処に行ったのだろうかと、探すときはまだ良い、まいっか!と放ってしまっておく、そのようなことも多いのではないでしょうか。
 釘宮義人牧師はよく、「えっ、あなた信仰あるの?」、あると言えば「何処にあるの?」、ないと言えば「えっ、ないの?」という。思い出すと可笑しくなるのですが、ようするに自分の中に、「ある」とはっきり断言できる確信があるかないかなのですね。
 今の自分に「信仰がある」とたとえ言えない状況であっても「ある」といえる確信なのです。
 それは聖霊様からくるのです。聖霊様が言わせて下さるのです。
 感情があろうがなかろうが、それは大した問題ではありません。感情によらず、告白し続ける時も必要ですし、また、嬉しくて大喜びをしたり、感激して泣いたりもします。
 聖霊様はどうしてこんなに楽しいのでしょうか、色々な体験を下さるのです。
 神様が用意してくださる特別な時があって、辛い時か、問題の最中か、あるいは病の苦しみのど真ん中か、そればかりか喜びの時かもしれないが、小さな1センチほどの新芽を見つけるように、小さな信仰に助けられる、そんな時があります。
 私のうちに働くイエス様の霊が確かに「私の信仰だ、受け取れ!」と言わんばかりに魂の戸を叩くのですね。小さな信仰に助けられたり、目覚めさせられたり、急にイエス様が身近に感じられたり・・・こんなことを、一つ一つ積み重ねることによって、私達の信仰は、ますます確信に満ち、ゆるがないものとなっていくでしょう。
 
 あなたにこの事を示したのは、主こそ神であって、他に神のないことを知らせるためであった。<申命記4:35>
 
 それゆえ、あなたは、きょう知って、心にとめなければならない。上は天、下は地において、主こそ神にいまし、ほかに神のないことを。 <申命記4:39>
 
 私たちは今日知るのです。神様からの特別な時を。
 私自身、自分の魂に叫んで言いたい。「まことの神(イエス様の信仰)を知るチャンスを頂いたのだよ!」
 そして答えたい。「ありがとう、イエス様!」
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by mitiru-takae | 2013-04-25 03:59 | 満ちる | Comments(0)
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