天の宝 2013.4.7

天の宝  

 ある金持ちの畑が豊作であった。そこで彼は心の中で「どうしようか、私の作物をしまっておくところがないのだが」とおもいめぐらして言った。「こうしよう。私の倉を取り壊し、もっと大きいのを建てて、そこに穀物や食料を全部しまいこもう。そして自分の魂に言おう。魂よ、おまえには長年分の食料が沢山蓄えてある。さあ安心せよ、食え、飲め、楽しめ。」すると神が彼に言った。「愚かなものよ、あなたの魂は今夜の内にも取り去られるであろう。そしたら、あなたが用意したものは、誰のものになるのか。自分のために宝を積んで神に対して富まないものは、これとおなじである。」
              <ルカによる福音書12:16~21>
 
 イエス様は本当に譬えが上手です。
 この金持ちの話も、イエス様が実際こういう金持ちを見ていたのでしょうか、イエス様から見れば滑稽(こっけい)に見えたでしょう。
 お金も、多くの食料も、魂の糧にはなりません。私たちが生きていくこの世ではとても大切なものですが、命あってのモノダネです。
 私たちのクリスチャンとしての権威や祈りがイエス・キリストの御名によってのみ有効であるように、この世のものはこの世に命があってこそ使えるものですし、これらは私達の魂が天国に帰る時にすべてこの世においていくものです。どんな億万長者であっても天の倉には入れることが出来ません。
 
 私たちが天に積むことが出来る宝とは、一体何でしょうか。
 神様の前に富むものとはどういう人でしょうか。
 この地上から天に積むことが出来る宝。また天に帰って行く時に持っていける宝。
 聖書はこういっています。
 「むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝を蓄えなさい。あなたの宝のあるところには、心もあるからである。」<マタイによる福音書6:20,21>
 
 私達の魂だけがもてるもの、いえもっと深いイエス様の住んでくださっている私達の霊の領域で、確かに積んでいけるものがあります。
 マザーテレサやキング牧師のようなすごいことは出来なくても(出来れば素晴らしい)、日々のちょっとしたサタンによる誘惑や、まどわしに負けないよういつもイエス様に祈る、賛美する。そして、この世の君であるサタンに対抗し、小さな勝利を一つ一つ体得していく。又イエス様に助けられながら自分の良心に従い他人を思いやる、つぶやかないなど、日ごろの私達の信心というものもそうでしょう。
 これらの小さな一つ一つの宝が、大きな宝となって天に蓄えられていくのでしょうね。そして大きな祝福と喜びとなって、天を潤し、そればかりか地を潤すために私たちに帰ってくることでしょう。
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by mitiru-takae | 2013-04-09 23:29 | 満ちる | Comments(0)
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