No.297 万事休す 2018.7.8

万事休す

 言葉の由来はというと、子供のころ甘やかされて育った王子に対して言った、王である父の言葉らしいですが【「宋史荊南高氏世家」より】万策尽き、もはやおしまいという意味です。この王子は、王になったとき、父が言った通り、どうにもならない悪い王になったそうです。

 そんなに頻繁にあってはならない、この万事休すの時ですが、人生の中ではどうにもならない土壇場に追いやられることもないとは言えません。
 自分のことであれば、出来てもできなくても自分の身から出た錆ということで、自分が頑張って山を踏み越えればいいわけです。しかし、難しいのは家族であったり、身近な、それも愛する友たちです。

 私たちはとかく、説教をしてみたり、叱ってみたりと、色々試みるわけですが、本人の心が動かねば、どうしようもないわけです。言えば言うほど心はくじけていき、周りの者は「万事休す」と思ってしまうのですね。

しかし、花婿が奪い去られる日が来る。その日には断食をするであろう。<マルコ2:20>

 私たちの心の中で、「万事休す」というときが来たとき、まるでイエス様がとりさられたような虚しい力のない日を経験するとき、このような時こそ、断食をします。それは悔い改めであったり、希望を持つためであったり、とにかくイエス様と近くいるためです。
 そういう意味では断食は毎日してもいいですね。

 T兄弟とLINEでこのみ言葉を分かち合ったとき、兄弟はすかさず「木、金、土曜日の三日間断食します」と言ってきました。
 断食がすべての解決ではありませんが、実行しようとする自分の心に正直になれることはとても素晴らしいと思います。ハレルヤ!
  
 イエス様を知っているというだけで、私たちは土壇場に強くなれます。
 たとえ主が取り去られる時が来ても、私たちは手をとりあって、共に心を合わせ、希望を捨てることがないばかりか、新しい革袋として、聖霊によって全く新しい復活のイエス・キリストを見ることができるのです。

まただれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない。もしそうすれば、ぶどう酒は皮袋をはり裂き、そして、ぶどう酒も皮袋もむだになってしまう。〔だから、新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである〕」。<マルコ2:22>

このみ言葉のように、どんなに素晴らしい言葉であっても、受け入れる袋がたえられなくては、ついには張り裂けてしまいます。
 葡萄酒を入れる前に革袋を新しいものに取り換える必要があるのです。

 私たちの魂の革袋を新しくできるお方は、イエス・キリストの他にはありません。革袋が新しくなると、新しい葡萄酒を入れても、袋がはりさけることはないのです。
 新しく生まれた人には、主が新しい葡萄酒を入れてくださるのですね。
 この葡萄酒は、イエス様が私たちにくださった新しい契約によるお言葉そのものです。

 今日、もしあなたに、あなたの家族に、また友人、知人に、「万事休す」と言いたくなるようなことが起こったとき、イエス様を知らない人であったら、主の前にともに行ってあげるとよいでしょう。それはイエス様こそが私たちの救いですと知らせてあげることです。
 また、その人がすでにクリスチャンであれば、座って手を取り合い、ともに祈るとよいでしょう。

 私たちはとりなしのために、いつも自分自身を主にお捧げして、聖めていただいておく必要があります。(た)

七日間にわたって祭壇の贖いをし、それをきよめて使い始めなければならない。
この期間が終わり、八日目と、その後は、祭司たちが祭壇の上で、あなたがたの全焼のいけにえと和解のいけにえとをささげなければならない。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れる。――神である主の御告げ。――」<エゼキエル43:26、27【新改訳】>
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# by mitiru-takae | 2018-07-31 23:01 | 満ちる | Comments(0)

No.296 偽善の反対語は? 2018.7.1

偽善の反対語は?

 偽善とは…「ギリシア語の原意は『劇である役割を演じる』こと。そこから実際にもたない感情や徳などをもっているふりをする倫理的に悪い態度をいう。特に宗教において問題となり,イエスはこの態度を強く戒め……。」【<ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 - 偽善の用語解説>から】

 ここに書かれている【「劇である役割を演じる」こと】がとても腑に落ちますね。これを、演技ならよいのですが自分の心の中で悪意をもって普段の生活の中で演じれば、立派な偽善者となるでしょう。

 とても困るのは、自覚がなくて悪意で生じるはずの偽善の行為を、何の悪気もなくやってのけることです。問題は、私たちの心や、もっと深いところで魂が、清いかどうか、愛があるかどうか…などにかかってくるのです。

 しかしこれらは、イエス様がおっしゃるようには、なかなかいきません。「ラクダが針の穴を通るより難しい」ことで、人間の努力では偽善者にならないように生きることはとても難しそうです。
 人は知らず知らずのうちに顔に偽善の面をかぶってしまいます。

 ここででは私たちが考えるのは、どうすれば偽善の反対を行えるのか?、またそういう人になれるのか?ということです。
 そこで私は「偽善の反対は何という言葉だろう」と頭をひねったのです。

 調べてみると、「偽悪」と出てきます。「偽悪」ってなんでしょう(笑)。悪ぶるということでしょうか。
 E兄は「真悪」かな…と言ってくれました。
 確かに文字の反対はそうです。その通りです。
 そうすると、パリサイ人たちは、「偽善」ですので、まだ救われますね。

 私は、頭をひねりました。意味の反対です。
 「義善」あるいは「真善」はどうでしょうか。
 私は「凡聖」であるといった父を思い出すのですが、私たちはイエス様のとりなしなくして義も聖も、善も難しい存在です。しかしながら、主にあるなら(主の側にいるならば)全てが可能な人に変えられます。ハレルヤ!

 ちょっとは救われる偽善者パリサイ人(真悪ではないので…)たちにとって、イエス様の存在はとても気になるもののようでした。

 イエス様の後をついて行く、様子をうかがう、心の中で批判する(自分たちの考えと照らし合わせてみる)、批判の言葉を投げかける、教理によって打ち負かしたい、などと思い、いつもイエス様の近くにいるのです。

 ユダヤ教もイエス様のころは、サドカイ派、パリサイ派、エッセネ派、また熱心党なるものもありました。
 特にパリサイ人と呼ばれる人たちは教養も高く、あらゆる階層の人たちから支持を受けていたようです。
 このパリサイ人達にイエス様はいいました。

イエスは言われた。「イザヤは、あなたたちのような偽善者のことを見事に預言したものだ。彼はこう書いている。『この民は口先ではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている <マルコ7:6>

 偽善者の筆頭と言われそうなパリサイ人たちの中には、ニコデモや、アリマタヤのヨセフのように、隠れた弟子もいました。またパウロのころにはユダヤ教から改宗したクリスチャンもたくさんいたわけですから、どのような教理、教派だとしても真理を求める者には、イエス様は応えてくださるのです。
 
 こういうお言葉をかけていただけることでさえ、イエス様の近くにいるからこそと感じます。私たちも聖霊様のお言葉にいつも耳を傾けていたいですね。ちょっと嫌なことであっても、私たちに「真の善」をなさしめてくださる主を信じて、逃げ出さず、ついて行きましょう。

 イエス様こそ、私たちの真の主治医です。
 悪いところや病気を正しく診断し、告げ、癒してくださる、良い医者です。(た)

イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」<マルコ2:17>
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# by mitiru-takae | 2018-07-31 23:00 | 満ちる | Comments(0)

No.295 どちらが先か 2018.6.24

どちらが先か

神は「光あれ」と言われた。すると光があった。<創世記1:3>

 天地創造の時、神は一日目に光を呼び出されました。「光あれ」と言われたのです。光があったとき地は混とんとしていたのですが、光と闇に分けられました。この時、昼と夜ができたのです。

 二日目には、水を上と下に分けられました。おおぞらを創り水を上と下に分けました。

 三日目、分けられた下の水を一つ所に集め、乾いた地が現れるように言いました。神は、集まった水を海と名付け、乾いた地を陸と名付けました。

 この日はこの後、草や木をお創りになりました。

神はまた言われた、「地は青草と、種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ果樹とを地の上にはえさせよ」。そのようになった。<創世記1:11>

 種を持つ草、種のある実を結ぶ果樹……ですから、神様の創造は種からでもなく実からでもなく、実を結ぶことのできる草や木を創ったということになります。

 人間も他の生き物もそうです。神様の創造は、種だけとか、卵だけとかいうものではありませんね。

 こうしてみると、よく「卵が先か、鶏が先か」と論争しますが、全くナンセンスですね。神様は卵も鶏も同時に創られています。

神はこれらを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、海の水に満ちよ、また鳥は地にふえよ」。<創世記1:22>

 すべてのものをお創りになった神様のお心は、はじめから命で満ち溢れる世界の創造でした。

 人間が他の動物と違うのは、「従わせよ、治めよ」と言う神様からのお言葉をいただいているというところです。

神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。<創世記1:28>

 人間は、神様に似るものとして、創造されたものの中でも「最高の冠」として創られたのです。

また地のすべての獣、空のすべての鳥、地に這うすべてのもの、すなわち命あるものには、食物としてすべての青草を与える」。そのようになった。<創世記1:30>

 ところで先週の礼拝ではマルコ2:1~12を取り上げました。その中にあるイエス様のお言葉を見てみます。

あなたの罪はゆるされた、と言うのと、起きよ、床を取りあげて歩け、と言うのと、どちらがたやすいか。<マルコ2:9>

 イエス様にとってはどちらもたやすいことであったでしょうが、あえて罪の赦しを先に宣言したのにはわけがありました。

人の子は地上で罪をゆるす権威をもっていることが、あなたがたにわかるために」<マルコ2:10>

 癒しの祈りをするときに、罪の赦しをしてからでないと…とか、また、癒されないのは、罪があるからだとか…、みこころでないから…etc、人間の側では、いろいろ考えてみたりします。しかし、これもナンセンスです。
 
 イエス様にとっては簡単明瞭。ただ「神のみこころ(愛と聖と義)」によって、すべてのことが天になるごとく地にもなるように、父なる神にとりなしてくださっているということなのです。

 私たちの罪からの赦しと解放は神様の創造の前からのご計画であり、私たちの癒しは神様のお心ひとつで成る(治る)のです。ハレルヤ! (た)
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# by mitiru-takae | 2018-06-30 23:03 | 満ちる | Comments(0)

No.294 神の宣言 2018.6.17

神の宣言

さて、ひとりの重い皮膚病の人が、イエスのみもとにお願いに来て、ひざまずいて言った。「お心一つで、私はきよくしていただけます。」
イエスは深くあわれみ、手を伸ばして、彼にさわって言われた。「わたしの心だ。きよくなれ。」
すると、すぐに、その重い皮膚病が消えて、その人はきよくなった。<マルコ1:40~42【新改訳】>

 この「重い皮膚病」という表現が適切な翻訳ではないと最近では言われているようですが、レビ記などを見ると、確かに家や石など、物にも生じるもののようですので、何かしらの意味のある病のように思えます。
 いずれにしても、イエス様はこの「重い皮膚病」を持った人を癒されたのです。というか、この「重い皮膚病」はすぐに消えて、きよくなったと言います。
 モーセの手にも、神は懐に入れたり、出したりするだけで「重い皮膚病」を生じさせたり、消したりしています。
 ですから、神がきよめればすぐにきよくなるものです。

 全能の神は、与えてくださることも、また取り上げることも、いとも簡単にできるお方です。こんなすごいお方に「みこころならば…」と言えたこの病の男もたいしたものです。
 度胸というよりも「本当の神の力を知っているわけではないが、自分に不可能と思えることでも、少しでも可能性があると思うならば、必死に求めていく男」であったのでしょう。
 私たちも、なりふり構わず、求めていくこと、これが一番のようです。
 それにしても「神のみこころを問う」というのは神にとって一番の突っ込みどころであったに違いありません。(笑)

 創造の初めから変わることのない「神のみこころ」、それこそが神ご自身が言う「私の心」です。
 ですからイエス様がおっしゃった「私の心」は「父なる神ご自身の心」です。
 神はご自身の愛(みこころ)を、この世(私の心の中)に完成させるために、私たちをイエス・キリストと結ばせてくださいました。
 そして、このキリストは私たちにとっては神の知恵そのものであり、私のための義と聖と贖いとなられました。おかげで私たちはイエス・キリストを私の救い主と信じるだけで贖われ、聖い者、また義しい者とされたのです。

 また神は、ご自分のお心を、私の前で宣言してくださるお方です。

主は仰せられた。「わたし自身、わたしのあらゆる善をあなたの前に通らせ、主の名で、あなたの前に宣言しよう。わたしは、恵もうと思う者を恵み、あわれもうと思う者をあわれむ。」<出エジプト33:19【新改訳】>

 神はいつもわたし(あなた)のはなはだ近くにおられ、敵の陣地の中にあっても、いつでもわたし(あなた)の前で、宴を設けてくださいます。神のいつくしみと恵みとがわたしを追ってくると新改訳では訳されています。
 神はいつも、私を追いかけてまでして共にいてくださるのですから、せめて私たちは神の前から逃げないようにしたいものですね。
 いつでもどこでも私たちは神のものです。

あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふれます。<詩篇23:5【口語訳】>
まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。<詩篇23:6【新改訳】>

 口語訳、また新共同訳、はたまた新改訳と、時には英語の聖書まで開いてみるという、み言葉への渇きが学習会などでも表れてきます。
 神の御心を知るために、私たちはみことばに触れ、声を出して朗読し、祈り求めて、さらにみ言葉を読むということを、もっともっとしていきたいものです。そしてみことばを宣言していくのです。
 毎日の生活の中でも、いつでもどこでも神の御前で生かされ、キリストの香りを放つものとなりましょう。

 私たちは、<主の名で、あなたの前に宣言しよう。わたしは、恵もうと思う者を恵み、あわれもうと思う者をあわれむ>という、強い神ご自身の宣言の上に立っているのです。(た)
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# by mitiru-takae | 2018-06-30 23:02 | 満ちる | Comments(0)

No.293 人間をとる漁師にしよう 2018.6.10

人間をとる漁師にしよう

イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。<マルコ1:7>

 CS(教会学校)の子供たちが喜ぶお話です。
 ルカによる福音書に詳しく書いていますが、一晩中漁をしても収獲のなかったペテロたちに、イエス様は沖に漕ぎ出して網を下ろしなさいと言いました。その通りにすると、すごい量の魚がとれて網は破れそうだし、手伝ってもらった他の船も、自分たちの船も沈みそうになったのです。

 さすがの漁にかけてのプロであるペテロも、びっくり、思わず「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」<ルカ5:8>と言ってしまいます。

 しかしこの後、イエス様は「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」<ルカ5:10>とおっしゃったのです。
 そしてペテロたちはそのままイエス様の後に従っていったのです。
 
二人はすぐに網を捨てて従った。<マルコ1:19>

また、少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、すぐに彼らをお呼びになった。この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った。<マルコ1:19、20>

 共観福音書(マルコによる福音書、ルカによる福音書、マタイによる福音書)にはそれぞれ同じ記事が載っていますが、細かくは少しずつ違うところもあるので、読み比べてみるとよいと思います。
 しかし共観福音書は、共感ではないのですね。人間が感じたことではなく、イエス様とイエス様のなさったこと、言われたことなどを観たままに、そのことについて「共通の見解」として書いているのだと思います。

 イエス様がガリラヤ湖のそばで漁師たちに目を止められたことはとても興味深いものがあります。
 イエス様の言われたこと、行ったこと、すべてのことが古くからイスラエルの人々に語られてきた預言者の言葉の成就であることが、私たちにとっても驚きです。

イスラエルの子らを、………わたしがその先祖に与えた土地に帰らせる。
見よ、わたしは多くの漁師を遣わして、彼らを釣り上げさせる、と主は言われる。<エレミヤ16:15、16>

 神様のご計画は、創造の始め以前から、2000年前も、また今に至るまでも進んでいます。

イエスは言われた。「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない。」
<マルコ7:27>

 またエレミヤの預言は、イエス様が異邦人の女に言った言葉をも思い出させてくださいます。

ところが、女は答えて言った。「主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます。」<マルコ7:28>

 この後イエス様は、「それほど言うなら、よろしい。家に帰りなさい。悪霊はあなたの娘からもう出てしまった。」と言ってくださいました。
 
 今も世界中に離散しているユダヤ人、またイスラエルに住んでいるユダヤ人であっても、まだ異邦人と同じくイエス様を知らない人々が大勢います。
 ともに主にある兄弟として、イエス様を賛美し、信仰を共有できる本当の兄弟姉妹として集うために祈っていきたいと思います。

 シモン・ペテロとアンデレの兄弟、ゼベダイの子ヤコブとヨハネの兄弟、共に妻も姑も、父親も仲間も、すべてを即捨ててイエス様に従って行った十二使徒のうちの4人の召命の話です。
 私たちもイエス様の「ついて来なさい」のお言葉を聞いて即従うものとなりたいですね。
「従います」と告白していきましょう。(た)
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# by mitiru-takae | 2018-06-30 23:01 | 満ちる | Comments(0)