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No.359 その子ベルシャザル 2019.9.15

その子ベルシャザル

ベルシャザルよ、あなたは彼の子であって、この事をことごとく知っていながら、なお心を低くせず、
かえって天の主にむかって、みずから高ぶり、その宮の器物をあなたの前に持ってこさせ、あなたとあなたの大臣たちと、あなたの妻とそばめたちは、それをもって酒を飲み、そしてあなたは見ることも、聞くことも、物を知ることもできない金、銀、青銅、鉄、木、石の神々をほめたたえたが、あなたの命をその手ににぎり、あなたのすべての道をつかさどられる神をあがめようとはしなかった。
それゆえ、彼の前からこの手が出てきて、この文字が書きしるされたのです。<ダニエル5:22~24>

 バビロンの王ネブカデネザルを父祖に持つベルシャザル、その母は、覚えていた。
 かつてネブカデネザル王の夢を解き、謎、難問を解く神の霊を宿した人がいることを。

 この世の権力を得、成功と、快楽を思うままにできるとき、高慢という大きな魔物が私たちを背後から支配する。
 神を貶め、神によってたてられた人を卑しめる、真の神を知らないものはおろかだ。

 ベルシャザルもそうだった。
 呼ばれてきたダニエルに対しての彼の態度は何と横柄なことか。
 そして王は「できれば与えるぞ」とばかりに言ったのだ。

それで、あなたがもし、この文字を読み、その解き明かしをわたしに示すことができたなら、あなたに紫の衣を着せ、金の鎖を首にかけさせて、この国の第三のつかさとしよう」。<ダニエル5:16下>

 しかしこの言葉は、バビロンの次に支配する国にあって、ダニエルが大臣となる神の大いなるプランがあったと予測できる。

 ダニエルは答えた。
 それは決してベルシャザル王にとって良いことではなかった。
 いや、どちらかというと悲惨な預言だ。

それゆえ、彼の前からこの手が出てきて、この文字が書きしるされたのです。
そのしるされた文字はこうです。メネ、メネ、テケル、ウパルシン。<ダニエル5:24、25>

 この言葉を簡単に言うと、「あなたは秤で量られ、その量が足りないことが現れた。神はあなたの治世を数えて、これをその終わりに至らせた。あなたの国は分割されてメデアとペルシャに与えられる。」ということになる。
 なんと、恐ろしい言葉であろうか。
 
 それどころかこの言葉は実現したのだ。
 王は相当恐ろしかったに違いない。
 ここには書かれていないが、一瞬にして宴会はお開きになったであろう。

 ダニエルには紫の衣を着せ、金のネックレスをかけ、その場で布告を発し、言わせた。
 「彼は国の第三のつかさである」と。

カルデヤびとの王ベルシャザルは、その夜のうちに殺され、<ダニエル5:30>

 バビロン帝国はあっけなく、メデアに滅ぼされたのである。

 この恐ろしい言葉は神の手によって書かれた。
 この手は王の前から出てきたと書いている。
 これはベルシャザル王に対する、警告ではなく、さばきである。
 神の裁きは、神をないがしろにする者の前から、つまりその人の心の中心から指摘する。
 決して隣にいる人の前からではない。
 裁きとは他人ごとではないのだ。

 だから、呪いも祝福も、他人ごとではなく、あなたの目の前に置かれる。(た)
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# by mitiru-takae | 2019-09-17 20:45 | 満ちる | Comments(0)

No.358 神の時は今 2019.9.8

神の時は今

あなたは、追われて世の人を離れ、野の獣と共におり、牛のように草を食い、こうして七つの時を経て、ついにあなたは、いと高き者が人間の国を治めて、自分の意のままに、これを人に与えられることを知るに至るだろう」。
この言葉は、ただちにネブカデネザルに成就した。<ダニエル4:32、33>

 釘宮家の半分はゴミをすべて取り除けられ、瓦をはがされ、まるで丸裸のようになった。
 いよいよユンボが入り、屋根から壊して取り除いていく。

 神の手はどこまで段取りがいいのか、ここで大雨注意報、雷が鳴り(自宅の地域ではすごい雷であった)、雨が程よく降り出した。
 ノアの時、神による雨がすべてを洗い流したように、家は消えていく。

 ユンボで家を壊す間、雨は降ったりやんだり―――と、おかげで、いくらか積もり積もった古屋の塵はすこしは防げたのか―――と思ったりもする。

 長い時(60年くらいになる)を経て、この家屋は務めを終えたのだ。
 形はなくなるが、私たちには両親が生きていたころの記憶が残る。
 すべては神の時、その御手のなかにある。

 さて、ネブカデネザル王はまたまた夢を見た。そしてダニエルはそれを解き明かす。<ダニエル4章参照>

その葉は美しく、その実は豊かで、すべての者がその中から食物を獲、また野の獣がその陰にやどり、空の鳥がその枝に住んだ木、
王よ、それはすなわちあなたです。<ダニエル4:21、22上>

 ここまでは良かったが、この後、神の言葉は、容赦なくネブカデネザル王の上に成就する。
 ネブカデネザル王が、神が計画した屈辱的な人の心を持たぬ時を与えられたのも、回心ともいうべき素晴らしい時を得るためであった。

 私たちの心が壊れそうになる時、罪が満ち、どうにもならなくなるとき、主は時どき私たちから、心や時間を取り上げる。
 それは決して私たちを滅ぼすためではない。
 くどいようだが、エレミヤの言葉が響いてくる。
 
主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。<エレミヤ29:11>

 ネブカデネザル王は神に選ばれた王であった。
 私達も同じだ。

 ダニエルやその3人の友たちが、バビロン捕囚という最悪にも見える状況の中で、神に愛され、王に愛されて、異教の地で優遇されたように、私達も神に選ばれ、神の良きわざに生きるために今の時を生きている。
 エズラをまねて言うが私達も「生き残りのもの」である。
 神によって生き残ることを許され、選ばれたものだ。

 人の傲慢が満ち
 神の忍耐の時が来る 
 人への神の裁きは神にとって忍耐の時である
 神はそれを捨て置かず、エレミヤが言うように、時が来ると心を天に向けさせてくれる。
 神の時が満ちると、その人は心を新たにされるのだ。
 
こうしてその期間が満ちた後、われネブカデネザルは、目をあげて天を仰ぎ見ると、わたしの理性が自分に帰ったので、わたしはいと高き者をほめ、その永遠に生ける者をさんびし、かつあがめた。その主権は永遠の主権、その国は世々かぎりなく――<ダニエル4:34>

 エレミヤは言う「その時、あなたがたはわたしに呼ばわり、来て、わたしに祈る。わたしはあなたがたの祈を聞く」と。
 その時は、今だ。(た)
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# by mitiru-takae | 2019-09-10 09:16 | 満ちる | Comments(0)

No.357 火の中を歩く四人の者 2019.9.1

火の中を歩く四人の者

その時、ネブカデネザル王は驚いて急ぎ立ちあがり、大臣たちに言った、「われわれはあの三人を縛って、火の中に投げ入れたではないか」。彼らは王に答えて言った、「王よ、そのとおりです」。
王は答えて言った、「しかし、わたしの見るのに四人の者がなわめなしに、火の中を歩いているが、なんの害をも受けていない。その第四の者の様子は神の子のようだ」。<ダニエル3:24、25>

 たとえ、自分のためだとわかっていても、人は試練にあうとたじろぐ。
 たじろぎながらも、主に従う時、私の心の中に奇跡が起こる。

 シャデラク、メシャク、アベデネゴも、奮い立って主に従ったとき、この言葉を発することができたのであろうか。
 受肉前のイエスは、今私たちに働く聖霊と同じく、人々の目の前で強烈に働いてくださったのだ。

たといそうでなくても、王よ、ご承知ください。わたしたちはあなたの神々に仕えず、またあなたの立てた金の像を拝みません」。<ダニエル3:18>

 エステルもそうであったように、神への絶対的忠誠を誓う信仰は、この世のどんな王、権力者よりもはるかに勝るものが、私たちの神ということを真に知っているからである。
 そういう意味では、ちょっと不甲斐なく見えるネブカデネザル王も、エステルを許しユダヤの民を守ったアルタシャスタ王も、この本物の神を知らないのにも関わらず、神の思うとおりに動き、生かされている。
 これを見ると、神の主権によるご計画を絶賛せずにはいられない。

 さて、通常より7倍もの火力という炎の中、つまりそれは私たちにとっても起こりうる、試練であるかもしれない。
 私達は多分、焚火の中でさえも、通り過ぎるのはむずかしそうだ。
 私が小学校5年生のころ、手島郁郎先生の阿蘇の集会で「火渡り」が行われたことを覚えている。
 もちろん、父もそれに参加したのだが、足の裏に軽いやけどをしていたのを見た。
 「恐れてわたると、足の指の裏に燃えた炭を抱いてしまう、そうするとやけどをする、恐れず、たったった――と渡るんだよ」こう言って笑っていた父義人の顔が浮かぶ。

 牧師館のごみの片づけもやっと終わって(というか外に出してしまっただけであるが)少しほっとしている。(みなさんお手伝い有難う、本当に感謝!)
 しかし、このごみの片づけでも、量がここまで来ると、われを忘れるほど気を入れて一気に片付けないと、たらたらでは全く進まない。
 なぜか、「火渡り」の心境になる。

 そこで、「火渡り」どころか、炎の中に投げ込まれた3人は、果たしてどうなったのか――、ということだ。
 冒頭のみ言葉を見てみよう。
 王の驚きというか、不思議な体験とでもいおうか、目を疑うようなことが起きたのだ。

 王は見た。
 3人のはずが4人いる。
 縛ったはずなのに、なわめなし。
 火の中を歩いている。
 何の害も受けていない。
 第四のものは神の子のようだ。

 旧約の時代、イエスはまだ受肉前である。
 しかし神の子として、神の民を助け守ってきた。
 受肉し、第2神殿に降り立ったイエスは、人間のすべての罪を負って、完全に父から呪われた。
 しかし、死と黄泉に打ち勝ったイエスは、甦り、天の父の右に座した。
 すべての権威、主権は彼の上にあり、私たちは聖霊を通してこの恵みにあずかる。

 霊の神殿は私たちの心の中にあり、インマヌエルの神はここに住んでおられる。第四の人はいつも私たちと共にいるということだ。
 だからこそ、炎(試練)をくぐっても、火のにおいが付くことはない。(た)
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# by mitiru-takae | 2019-09-03 13:40 | 満ちる | Comments(0)

No.356 神の段取り 2019.8.25

神の段取り

そして王はダニエルに答えて言った、「あなたがこの秘密をあらわすことができたのを見ると、まことに、あなたがたの神は神々の神、王たちの主であって、秘密をあらわされるかただ」。<ダニエル2:47>

 釘宮家の家屋半分解体のための片づけは佳境に入りつつある。
 いや、始めから終わりまで、たぶんこの状態は続きそうだ(笑)。

 それにしても、一軒の家の電気、水道、電話など、ライフライン(本当に実質ラインだ!)を、半分に切り離すというのは大変だ。
 初めから終わりまでの設計図をきちんとしないと、家を壊すという段階に取り掛かれないからである。

 昔、国井兄弟というご夫婦で教会に来ていた方がいた。この兄弟が、よく「段取り、段取り」と言っていたのが思い出されて、ちょっと懐かしい。
 段取りの中でも、自分たちの手でやらなければならないゴミの選別(ゴミになるものの種分け、業者に委託するもの、自分たちで捨てるものなど)、実はこれが一番大変。
 大きいことをする前の段取りは、とかく忍耐を要することが多い。
 しかし、このごみの一つ、一つが無くなっていく過程は、結構楽しいものだ。

 ダニエルたちを通しての、神の段取りはどうだろう。

 ダニエルたちがバビロンに連れていかれた当初は、全く先のことがわからず、バビロンの言いなりだったに違いない。
 しかし、その時でも神の計画は進んでいた。
 案外、私たちにとって最悪の事態が生じた時というのは、神の計画遂行の要所である。
 
 ダニエルたちの祈りに主が応えてくださった。
 王の見た恐ろしい夢を解き明かすことができたのだ。
 神は、「死か命か」の瀬戸際で、バビロンでのダニエルたちの立ち位置を覆す場面と変えてしまった。
 捕囚民が政府の高官となったのである。

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 王の夢は、恐ろしいものであった。(ダニエル2:31~35参照)

 頭は純金(バビロン)
 胴体と2本の腕は銀(メディア・ペルシャ)
 腹と腿は青銅(ギリシャ)
 すね(2本の足)は鉄(当時はまだ名前がなかった国、ローマ)
 足と、足指は鉄と粘土(終わりの日のもろい国々)


 これらの夢は、ここだけでははっきりしないが、この後、7章、8章などを一緒に見ていくと、現在のバビロン王の時代からこの世界がどうなっていくのかということがわかってくる。(楽しみにしよう)
 
 神の創られていく歴史は、いまも続いているのだ。
 そしていよいよ、神が何を成すのかということも見えてくる。

一つの石が人手によらずに山から切り出され、その石が鉄と、青銅と、粘土と、銀と、金とを打ち砕いたのを、あなたが見られたのはこの事です。大いなる神がこの後に起るべきことを、王に知らされたのです。その夢はまことであって、この解き明かしは確かです」。<ダニエル2:45>
 「一つの石」とはやがて来られるイエス・キリストに他ならない。
 
「見よ、わたしはシオンに一つの石をすえて基とした。これは試みを経た石、堅くすえた尊い隅の石である。『信ずる者はあわてることはない』。<イザヤ28:16>

 第2神殿に降り立ったイエスは、今は私たちを宮として住んでおられる。
 悪しきものを打ち砕き、新しい神殿を作るお方は、ユダヤの歴史、世界の歴史を支配している。

 宇宙の、いや、作られたものすべての歴史を、今も支配し続け、神のプログラムによって進行させている。
 私たちの人生も例外ではない。(た)




















# by mitiru-takae | 2019-08-30 09:10 | 満ちる | Comments(0)

No.355 神の現存は私たちの中に 2019.8.18

神の現存は私たちの中に

ダニエルは王のところへはいっていって、その解き明かしを示すために、しばらくの時を与えられるよう王に願った。<ダニエル2:16>
それからダニエルは家に帰り、同僚のハナニヤ、ミシャエルおよびアザリヤにこの事を告げ知らせ、共にこの秘密について天の神のあわれみを請い、ダニエルとその同僚とが、他のバビロンの知者と共に滅ぼされることのないように求めた。<ダニエル2:17、18>

 釘宮家(牧師館)の古いほう半分を取り壊すことになった。
 かつて、永井明先生はじめ、色々な方々が、テーブルを囲み、楽しんだ、思い出の家である。
 ある時は泣いて祈り、ある時はコーヒーを楽しみ、両親が元気なころの釘宮家の食堂は、いつも誰か彼か来ていて賑やかだった。

 思い出の時は、ところどころ消えてはいるが、私たちの心の中に記憶として確かに刻まれている。
 家の形は消えても、私たちの記憶にあるうちは、私たちの心の中ではまだなくなってはいない。

 思い出というものは、どんなことでも結構良いものだ。
 脳は良い方向にだけ、思い出のシナプスを伸ばすのだろうか。
 いや、やはりこれは神様からの恵みだな―――と嬉しくなる。

 ダニエルたちの住んでいたエルサレムの町や宮殿、神殿も、たとえ、崩れ去って無くなったとしても、神の現存として、ダニエルたちの心の中に有り続けている。

 同じように、教会がなくなっても、聖書がなくても、神はなくならない。
 神はそれどころか、私の記憶があろうとなかろうと、世が始まる前から世の終わり、いや、それ以後も変わることなく有って、有り続けておられるんだ。

 ダニエルたちは遠くバビロンの地にあっても、神と一緒であった。
 彼らは何事かあると、いつも共に集まり祈ったのであろうか。
 「王の夢の解き明かし」それも見た夢をさえ当てろというわけだから、大変なことである。
 祈りの他には、神に聞くよりほかには方法がないのだ。
 
 王の恐れと、何が何でも、夢のわけを知りたいという気持ちが、バビロン中のすべての知者たちを「死か報酬か」という、二択の前に立たせたのである。

 しかし、このことによってダニエルたちの信じる神が真の神であるということを、否が応にも王の前に知らせる機会となったわけであるから、神のご計画は凄い。

ついに夜の幻のうちにこの秘密がダニエルに示されたので、ダニエルは天の神をほめたたえた。<ダニエル2:19>

 ついに神はダニエルたちに応えられた。
 これこそ、秘密の秘密、神の奥義である。
 私達にも、求めれば与えられる、神の啓示だ。

ダニエルは言った、「神のみ名は永遠より永遠に至るまでほむべきかな、知恵と権能とは神のものである。<ダニエル2:20>

 神の知恵と権能は、決して私たちがそれを知って威張るためのものじゃない。
 そんなこと当たり前と思うだろうが、私たちはいつもそれを知らず知らずしている。―――悔い改めよ。

 神の知恵は深い。その権能はいつも神の肩にあり、決して私たちのものではない。
 しかし、しかしだ、それを神は惜しげもなく、ダニエルたち、そして私達にまで、啓示してくれる。
 私たちにそれが起こったならば、ダニエルたちのように、まず、神をほめたたえよう。

 「神にほめ歌を歌え ほめ歌を歌え われらの王にほめ歌を歌え~」
 確かこんな賛美があった。
 神は賛美されるべき唯一のお方である。(た)
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# by mitiru-takae | 2019-08-20 16:14 | 満ちる | Comments(0)