【満ちる】No.608 アブラハムの信仰 2024.6.23

アブラハムの信仰

アブラムは主を信じた。主はこれを彼の義と認められた。
<創世記15:6>

 「義認信仰」というと、なんだか難しくてよくわからないという方もおられると思う。
 私たちがなぜ、義と認められる必要があるのか、神に義と認められるとはどういうことなのか。

 神の義を知るためには、私たちの罪、つまり自分が罪びとであるということをはっきりと知り、認めることが肝心である。
 そしてその罪びとである私の罪のため、ご自身の血を流し、大祭司の務めを果たし、私たちの贖いとなってくださったイエスというお方を信じることが信仰である。

 しかし、アブラハムの時、イエスという名前は知らずとも、アブラハムを義に導いてくださり、目に見える形でアブラハムに近づいてくださったお方こそイエス・キリストなる神である。

 イエス様を受け入れ信じることを告白し、クリスチャンとなった。
 そして「私の罪の身代わりにイエス様が十字架に架かって死んでくださった。だから、私をご覧になった神が、もう罪はないと認めてくださり、永遠の命で天国に生きることを許してくださったのだ。信じるだけで私を義としてくださる神に感謝しよう。すでにわたしの国籍は天に在るのだ。」と、十字架の福音を理解する。

 さあ、これらの教義を、理解するだけではなく、私たちの上に実現していただくことを求めよう。

 先週は父の日で、義人牧師の話も出てきたわけであるが、30~40代の頃の父は、回心して、聖霊によって理解せねば本物ではないとして、求道者の方々を指導したのである。
 私たちの教会の大先輩たちは、毎日泣いて祈りながら、罪(原罪も日ごとの罪もである)から逃れる、主に贖われる、日々聖められる方法を求めたのである。
 その中で見事に、諸先輩たちは回心していったのである。(父の回心については、小冊子「いのちの初夜」 「信仰の確かさ」【釘宮義人著】などを参照してください)

 さて、私たちは、感謝すべきかな、実に、聖霊によって自分の罪を知らされていくのである。

 私の魂の奥深くに働く神の霊によって、しばしば「なんかわからんけど、私の罪を神様が赦してくれたんやわ。涙が止まらない。」ということが起こってくる。
 み言葉に触れると、心の中で感動が膨れ上がって、嬉しくてたまらない。なぜか、祈っているうちに喜びが溢れ踊り出してしまった、ということが起こる。そしてこれらの感動や、主を思う思いが、私たちの生活を変え、気が付くと周りの人々を含めながら、人生が変えられていくのである。
 
 わたしたちにも共感できる、アブラハムの人間的な一面を、父が日岡だよりの中で言及している。

「もっともアブラハムは天使でもなく、いわゆる聖人でもなかった。私たちが充分に理解でき、かつよく共感もできる欠点と弱さをもっていた。—--中略—―
神様の約束というのは後継ぎのことなのだが、一時は使用人のエリエゼルや妾の子イシマエルを後継者ではないかと早合点したふしもある。こういう失敗や欠点にかかわらず⋯⋯⋯」(【日岡だより】「主の前に歩みて全くあれ (創世記説教③)」より抜粋)

 それにしても、神に食い下がっていくアブラハムの執拗な態度や姿は、なんだか信仰の父とは言えども、私たちにとっては微笑ましく、応援したくなるような真に人間らしいところでもある。とても身近に感じてしまう。

 聖書にはよく、アブラハム、イサク、ヤコブの神という言葉が出てくる。
 もう一人、やがてマクペラの洞窟に帰ってくるヨセフも、創世記15章では4代目として神が預言しているが、ヤコブの後にヨセフの神と付け足したいくらいである。
 そして今は私の神である。
 神は昔も今も変わることがない。私を造られた神は、私と共に永遠の時を過ごすため、私たちに聖霊を通して神のイノチを教え、体験させてくださるのだ。

 活きた神(これこそが聖霊様だ)が、アブラハムを導き、今の私たちをも導いてくださっている。
 その導きは昔も今も変わらず、アブラハムが信じたと同じように、今なお私のうちに活ける神として生きているのである。感謝しよう。(た)〔釘宮孝枝〕
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# by mitiru-takae | 2024-06-22 21:52 | 満ちる | Comments(0)

【おしらせ】2024.6.23

6/23の礼拝
聖歌 609番(総合版654番)
聖書 創世記16章
メッセージ  顧みられる神

今後の行事
・7/7 〔礼拝〕聖餐式、誕生祝福式
・7/14 〔礼拝後〕食事会(釘宮孝枝牧師按手礼記念日感謝)




# by mitiru-takae | 2024-06-22 21:51 | おしらせ | Comments(0)

【日岡だより】いのちの初夜(釘宮義人回心記) 2024.6.21更新

1971年12月発行「我ら兄弟」第3号より

いのちの初夜

          一

 「衝撃の告白、私の初体験!」というヤツを書こうと思う。
 ハンセン氏病作家北条民雄の小説の名前を借用すれば「いのちの初夜」である。
 別稿「目ざめ」の中で言えば、第一回の回心の記録なのである。できるだけ、くわしく書いておきたいのだが、その前文として私の「事業を活かす信仰」という小冊子の中の一文より少し抜き書きする。
      *   *   *
 僕は商家に生れた。父は本当にすばらしいクリスチャンだったが早く死んだ。父の兄にあたる伯父も無教会派の豪の者だった。
 この伯父は、父が死んだあとの我が家の商売を無私なる心で後押ししてくれて、僕がどうにか少年期を終える頃に死んだ。僕の母は善良だが根ががんこな、そしてぐちの多い教会信者。僕は母の故に教会信仰を嫌い、父や伯父の気風を受けついで預言者風の信仰を求めた。
 僕はひとりっ子として育ち、ひとりっ子らしく気弱い惰弱な人間だったと思う。そしてわがままだった。僕は小説家になりたくって進学を嫌った。
 母は僕を商科系の学校に入れたかったのだが僕はそれを避けた。進学しようと思えば、どうにか試験に受かるだけの学力はあったと思う。母はいつまでもそれを惜しがる。
 僕はそんな時に、否定的な態度をとることにがんこであった。気弱な人間が無理に豪傑らしく振る舞おうとするとそんなふうになるのらしい。
 はじめに書いた無教会の伯父は、大きく店をはっていた。伯父が死んで、僕の従兄がそのあとをついだ。従兄と言っても親子ほど年の違う人で、今考えれば本当に僕のためによくしてくれたと思う。その従兄の店に僕は商売の見習いに行った。商売の世界は僕にはなじめなかった。一年ほどすると、まったく息もつけないような気持になって家出をしたことがある。
 少年時代以来の親友M君が厭世哲学におちいって、敢然と(と僕にはそう見えた)自殺したのもその頃のこと。その影響から僕はますます暗い人間になった。折から日本は太平洋戦争に突入するという時代。僕は内村鑑三やガンジーやシュバイツアーの文章にあおられて反戦論者となる。
 僕が刑務所に入れられたのは、兵役法違反と出版言論集会結社取締法違反。いったい何をしたのですかと問われると、いつも困る。兵隊に行きたくないので自殺しかけたのだが、そう白状するのはまるで意気地なしのようでどうも恥ずかしい。
 僕が自殺するについては、吉田松陰などの影響もあって天皇や為政者への諫死という気分が多分に強かったのだが、そういうことを今言っても人は分かってくれまい。
 刑務所の中で僕は回心する。「愁いある獄にしあれど主によりて生かさるる身の幸に我が酔う」―――とうたった、僕のあの経験を今も忘れ得ない。
 僕の父は破産した逆境のさなか、きたない倉庫の中でむしろをしいて祈っている時、火事になったかと驚かされるほどの不思議な光芒の中に主の臨在を拝して回心したという。それほどの濃密な霊的風光ではなかったにしても、僕の当時の回心は明確であった。  (「事業を活かす信仰」あとがきより)

           二

 もう一つ、書きそえておきたい。これも私の古い文章より借用する。
 キリスト教でいう「回心」とは何か。
 一般的宗教用語としての「回心」という言葉とキリスト教でいう「回心」とはちょっと違うように思う。また同じくキリスト教の中でも、普通の月並みな教会で使う回心と聖霊体験した人の使う回心とは大いに違う。
 私が「回心」という言葉を使う時は、ハッキリした瞬間的体験として使うので、これだけでも、ある人々にはショッキングであるらしい。私はしばしばこの体験を語って、月並みな信仰で満足しているまじめな信者さんに挑戦しておどろかせ怒らせ、また当惑させ悩ませた。これをしないと本当のキリスト教的な意味でいう伝道はできない、と私は思う。 
      *   *   *
 一八世紀の英国に帰って、私達は一人の人物の「信仰歴」を見よう。
 彼の名はジョン・ウェスレー、彼は大学の神学科を卒業してすでに教会の司祭であり、また母校の教理学の教師!であった。
 彼はある時、伝道の為にアメリカに行こうとして大西洋上にあった時、暴風が彼らの船を襲う。彼は顔色をなくして恐れ戦いている時、同乗しているドイツのモラビアン派の人々は牧師も信徒も子どもたちも平和で勇敢で沈着で愛と喜びにみちているのを見た時、彼らの信仰と彼の信仰の質的相違をまざまざと思いしらされたのである。
 ウェスレーは立派な神の子になろうとしてなれなかった。平時にはそのように見せかけていたかもしれなかったが、死がかいま見える非常の時にはそんな見せかけ信仰はいっぺんに化けの皮がはげてしまった。しかるに、あのモラビアン派の人々はどうだ?
 ウェスレーは彼らの指導者から聞いた、その時の胸をえぐるような、しかも彼がなんと答えていいか判らない当惑させられた言葉の一つ。
 「兄弟よ!あなたの心の中に神の証(アシュアランス)を持っていますか」
 ウェスレーはそれまでそんな事を考えてみもしなかったのである。
 友よ! ウェスレーは後にメソジスト教会をおこし、世界はわが教区なりと叫んだ宗教的偉人である。その彼がなんと答えていいか分からなくて閉口したのである。そして深い激しい不安が彼をおそう。
 ハンス・ブルンスという人の「回心の前後」という本を見ると(新教出版社刊)、「回心の瞬間を知っている人はまれである」というが、(私はそれほどまれだとは思っていないが)、ウェスレーはその希有な例の一つであるという。
 前述したように、ジョン・ウェスレーはモレビアン派の著しい信仰体験にふれて大きな驚きと不安におそわれて以来、さて、どれくらい期間がたったのか私は知らないが、それほど長い期間ではないらしい。一七三八年五月二四日「夕方私はあまり気が進まなかったが、アルダスゲイト街の集会に行った。誰かがルターのロマ書講解の序文を朗読していた。八時四五分ころであったか、キリストに対する信仰によって神がわれらの心の中になしたもう変化が語られた時、私の心が不思議にもあたためられるのを感じた。私は私のたましいの救いのためにキリストにのみ信頼したと感じた。私の罪と死から救い給うたという確信が与えられた……」かくて現在一千四〇〇万人の信者をかかえるというメソジスト教団の開祖(?)ジョン・ウェスレーが生まれたのである。
 こういう例をあげればキリがない。アウグスチヌスの告白録を見ると、彼の回心の記録が出てくる。ルターの経験も有名だ。一世紀前のフィンニーが聖霊の注入をうけて回心したという話は有名である。
 私は若い時より、切にこのような「救いの確信」を求めた。回心とは異常な霊現象ではなくて(それを伴うこともあるけれど)神に直接ぶっつかったような奥深い魂での経験である。汚辱にみちた人生、罪意識にさいなまされる心、神から全くみはなされたという魂のノイローゼからすっかり解放される(新約聖書で救いと訳されている原語は多く「解放」という言葉である)―――いや解放されたという確信が突然胸の裡にわきおこって来る経験、これを回心という。
 キリスト教世界では次のようなことがおこりやすい。いや多くおこっているのだ。
 「ただ信ずれば救われる。だから信じなさい」「ハイ信じます」―――こうして信者が製造される。彼の信じるというのは「神は実在する」という教理の承認であったり、信じたと思いこむことであったりする。「神は唯一なりと信ずるか、悪鬼もかく信じてわななけり」と聖書のヤコブ書に出てくる。そういう信じ方なら悪魔でもそう信じているのだ。
 私が回心する寸前はこんな具合であった。「ただ信じなさい。信ずれば救われる」このキリスト教の常套語はまた当時の私の唯一の道標の言葉であった。「私はイエス・キリストを信じる信仰によって救われた」と、コリント人への手紙だったかな、聖パウロが書いている。この言葉が私の心を探った。私は自分がキリストを信じているのかどうか分からなかったのである。信じているなら救われているはずであるし、信じていないなら救われていないはずであるという論法である。
 ところで果たして私は信じているのかどうか。信じたいとは思っているが、またキリストが私の救い主であるとナットクし承認はしているが、そしてまた信じているとは思っているが、どうも信じているという確かさが無いのである。信じているという確かさは、救いの確かさである。それは前に述べたウェスレーが聞いた言葉「あなたは心の中に神の証しを持っていますか。あなたが神の子であるという証しを聖霊によってあなたの心に与えられていますか」ということと同じである。
 今ここに、原田美実という人の個人雑誌「基督」第二〇号がある。ずいぶん古い雑誌だが、内容は今に至るまでも決して古くない永遠の真理の輝きを放っている。この人は始めキリスト教の牧師をしていて、のちに教会を出て(あるいは追い出されて?)独立伝道をしていた人で、ほとんど世に知られることのなかった快男子であった。
 さて、今述べた雑誌のことだが、その号は特集号になっていて巻頭言から裏表紙の広告に至るまで一つのテーマを取り扱っている。いわく「キリスト教の信仰の根本問題――救のたしかさ」。その終りのあとがきでこう言っている。――「信仰信仰といいます。ただ信ぜよ、信ずる者は誰も、みな救われん、と太鼓を叩いて叫んでいます。然り、唯信ずるだけに相違ありません。しかしながら経験から言いますと、なかなかそうアッサリと行かんものです。ただ信ぜらるるまでは、なかなか、太鼓や歌調子では行かぬものです」
 彼はいう、「聖書の言葉は私をあざむいた。私は聖書を読んだら浄い立派な人間になると思ったのに、かえって罪ぶかい強欲な自分を思い知らされるのみで、あたかも聖書の言葉はカミソリの刃をのみこんだように私の内側でアチコチの肉皮を斬りさいなんだ。この死の体より我を救わんものは誰ぞ。私は一に一を足し二に一を足して三とするように、自分自身を義人にしあげ聖者にしたてようとした。そしてその結果は全くあべこべで、ますます自己不満自己絶望におちいってしまうだけであった。私は零の零、落第坊主だと一人さびしく泣いた。しかしその時になって、やっと少し分かりかけてきた。ああ、私は本来ゼロではないか、ダメな死の体ではないか。ヤセがまんするな。頑張るな。神の大愛の前にへたばってしまえ。私はこの死の体を踏み台としてその上に立ち高く両手をあげて主の救いの手を仰ぐのである」
 私がキリスト教の信仰を求めていた時に、非常に参考になった、というよりは、私の魂を叩き激動させた本が三つある。その一つが如上の原田氏の雑誌。次にジョン・バンヤンの「恩寵あふるるの記」。もう一つは石原兵永の「回心記」である。後の二冊の本は二つとも今も新教出版社から出ているから御一読を望む。
 ジョン・バンヤンは三百年ほど前の英国の人である。時代も国柄もだいぶへだたりのあることであるから、この人のことは割愛しよう。石原兵永は今も生きてキリスト教の無教会陣営で活躍している第一線の人である。この人の「回心記」は、現代ふうな一人のインテリが内面の苦悩(神と真理から突き放されているという自己罪責感)から、突如救われていく、(しかもいわゆる神秘経験というべきものではなく)、めんみつな記録である。
 私は一つの魂が回心する前後についてのこれほど詳しい胸にせまるような文章を他に見たことはない。そこには外面的な苦悩、貧乏、病気、不和といったようなものは何一つない。平凡な英語教師の純粋な心の内面だけにおこる、しかし想像を絶するような肉を斬り血をしたたらすが如き激しき苦闘の精神史がある。ゆえに、具象的なこの世の救いやテレビ化され得るような劇的な救いを求める人は、この本には失望するであろう。しかし真に人間の魂の奥底における安定、解放感を求める者には、まだまだ長い間よき伴侶の書となるだろうと思う。これは日本のキリスト教界において古典となっていい本だ。
 とはいえ、今私はその「回心記」という本を、誰かに貸し出していて手もとに持っていない。だから、その文章を引用することもできなければ、またその必要もないのであろう。ただ、私はこの本にある一つの重要な「断層」について語りたい。
 石原兵永がなんということもなく、内村鑑三にふれ、その聖書研究会に列席し、前節の原田美実氏の述懐にみられるような苦渋に満ちた精神生活におちいっていく……。そのあたりの記録が半分か三分の二かつづく。それを読む時私は人の文章を読むような気持がしなかった。あたかも自分の日記を見るような思いにかられて、体はこきざみにふるえ、汗のにじむような感動でそれを読んだ。
 ところが、そのような苦渋な内面の葛藤が追いつめられしぼられてくる極限で、突如文章が切れる。彼もついに書くことができないのだ。そして次の行にいきなり、怒濤のような平和、喜び、確信が彼の内にみなぎり、ペンからほとばしり出るのである。私は目をみはる。何事が起こったのだ。私はできることならその一行あいている紙の中身をはいでみたい思いだ。「父子不伝、不立文字、直指人心」といわれるある事態がそこにおこっているのだ。その一行の空間の秘密! 私はそれにむしゃぶりつくように求めながら窓ガラスに頭をぶっつけて外に出られないハエのように苦しんだ。蟻地獄の中で蟻がいくら這い上がろうとしてもズルズルともとの処に(地獄の底)すべり落ちてしまうように。
 ああ、あのころは私も苦しかったな。当時私は、二十才くらいの青年、大きな店舗を守り、株の配当や何かで生活は至極アンノン気楽太平、静かで平和で、私の生涯における最も楽しかるべき時代であったが、実は私の一生において最も苦しいさびしい時代であった。この悲しさは酒も女も金もなぐさめる事はできない。里見弴ではないが、私は「墨汁一斗を飲み込んだような気持で」野良犬のように精神の寒夜をほっつきまわる自分を省みて声もなく泣いた。
 はじめの方で書いたが、聖パウロの言葉「私はイエス・キリストを信じる信仰、この信仰によって私は救われた」―――この言葉が私の心に決断を迫った。こういう時、返事はキェルケゴール風に、「あれかこれか」しかない。人間はこういう時、たしかな返事をする事を恐れてその返答を明日にのばしていく。
 ああ、この人間の心のきわみなくあわれな卑怯さよ! しかし私は遂に追いつめられてこの質問、お前は果たして信じているのか、信じていないのか? という執拗な訴究にまる一日悲しみもだえた。そして遂に私は答えた。「私は信じる。彼を信じるものはその信仰により救われるという事を。しかし! それは一般的真理、信仰の法則として承認しているというにすぎず、私ひとりのことについて言えば、私は信じていない!」と。
 こう心の中で答えた時、その一瞬、私の前に地面がわれて奈落の暗黒の底が開き、地獄の炎がメラメラと燃え上がって、私はそのどん底に突き落されていった。その霊的事態を私はまざまざと手に取るように見た。私は悲鳴を上げてころびまろび、「我は生まれざりし方がよかりしものを」と言い、しかも自ら生命を絶つ気力も、また生きながらえていく気力も失せて、ヌレ雑巾のようにペッタリと地べたにはいつくばっている自分を見た。私はこの絶対的な絶望状況の痛ましさを、いま思い出すだけでも胸がつぶれる思いがする。
 後年、私が多くの人に挑戦するたびにこのことがおこった。かってジョン・ウェスレーがモレビアン派の人に問われ、わが内なる声であれかこれかと問われたように、今度は私がその魂の中軸にグイと問いかける。そうすると歯医者に行って虫歯をつつかれた患者のように多くの人が悲痛な叫び声をあげる。見ていて痛ましいけれども、こうするより他に手はない。霊的外科治療である。
 たとえば、ある青年は長い信仰歴(?)を持ち、神学校に行き伝道さえしていた人だったが、不幸(或いは幸いか)にも病を得て病床に呻吟する時、私は問うた。「君は救いの確かさを持ったか。信仰とは一般的教理を承認しているとか、洗礼を受けているとか、教団に属しているとかいうこととは違う。神と直接顔と顔とをあい合わせてみることである。神とのプライベイトな交渉、愛の交わりのあることである。そして魂の壁にその愛のしるしの聖痕を受けていることである」と。
 彼は不治の病の宣告を受けたよりもまだ驚いて、私からもらった苦汁をなめ、私をうらみ神をうらみ、ついに山に逃れて自殺しようとさえした。このような人が、確実に見事にタシカな信仰に突入していく時、私は「この汝の兄弟は死にてまた生き、失せてまた得られたれば、我らの楽しみ喜ぶは当然ならずや」と神と共に喜ぶのである。
 また、ある人はこうだった。私の挑戦の言葉を聞いて、彼の心はくらく沈み、外に出てみれば、太陽は明るく花は咲きかおっていても、しかし太陽はドスぐろくよどみ花は毒々しくしおれているかのごとくしか感ぜられず、もんもんの日を送って昼はフトンをかぶって泣き、夜は野良猫のごとく外をさまよい歩き、神との対面を待った。神よ、あなたの息吹きにふれ、神よあなたの胸に抱かれ、あなたの心臓のコドウをきくまでは、私の魂は休みを得ませんと迫った。鹿の谷川の水をしたいあえぐがごとくわが魂は活ける神をぞしたう、と旧約聖書の詩人はうたうが、正にしかり、死んでいる神ではない、哲学者の神でも神学者の神でもない、活きている庶民の神と抱きあい、彼のひざに憩い、彼の永遠の乳房に吸いつくまでは、我らの魂はあえぐが如く苦悶するのである。

          三
 
 それは昭和十九年十一月のことだった。その頃はすでに敗戦前夜であった。福岡市には既にアメリカ空軍の空襲があっていたかと思う。私は数え年二十三才であった。聖フランシスの回心と同年である。私はその前後、宮崎安右ヱ門の「聖フランシス」を読んでいた。自ら托鉢乞食をしていた宮崎安右ヱ門の聖フランシス伝の文章はみずみずしく、ことにその序文を書いていた西田天香の文章が格別に印象的であった。
 当時、私は刑務所の厳正独居房にいて、封筒はりとか手袋かがりとか軽作業をもらっていた。退屈な独居生活であるから、雑役(同じ囚人であるが兵隊で言えば班長のようなもの)のウケがよければ仕事をたくさんくれる。ウケが悪ければ仕事を少ししかくれない。
 仕事のひどい雑居部屋の連中にしてみれば、免業日は仕事は無いし、映画や講話などもあって、結構楽しい日なのだが、独居房の囚人は時間をもてあます。厳正独居の囚人には映画も講話も何もない。風呂も一人一人バスに入る。何かの拍子で呼び出されたり、検診を受けたりすると、それだけで嬉しいヘンな生活である。
 その頃、十一月二十三日はニイナメ祭と言って祭日であり免業日であった。その三日前から私は、第二章の後半に書いた地獄的自問自答に明け暮れていた。その絶望的状況のまま三日目を迎え、休日のほとんど終日、苦悶のうちに暮れる。
 私は今でもその時を思い出す。もしその時私のそばに時計があったなら、ジョン・ウェスレーと同じようにその心に不思議なあたたまりを覚えた時刻を正確に言い得たと思う。不幸にして、刑務所の中でそばに時計はない。それは夕暮れ時で、窓の外の桐の枝に雀が集まってくる頃であった。
 私は宝物をさがすような目つきで、聖書を開いた。その時、コリント人への手紙の中に、「キリストすべての人に代りて死に給いたればすべての人すでに死にたるなり」という聖句が私の目を射た。そして、いつもとは違って、その聖句が私の魂にぐいと入り込んできて、有無を言わせず私の「本質」にその通りですとうなずかせる大きな力を働かせたのである。
 神の言葉の最大の特長は、言葉がそのまま実現するということである。ワッと来て一挙にそのとおりの事態を造りあげてしまう。「キリストすべての人に代りて死にたればすべての人すでに死にたるなり」と聖書が言うとき、その言葉がそのまま私の魂の中で実感として体得される。
 だから、三日前の、原理的に人が救われる事を承認するが自身の事は信じられないというのとはまるで反対に、人の事はどうでもよい、神学はどうでもよい、理くつはどうでもよい、とにかく私はすでに死んでいる、罪に染んだ古い私はもう死んでいる。死んだやつのために今更なげく事はない。すべては過ぎ去った。今私にある生命は新しいキリストの生命であると実感する。そのような事実が突如として私の中に起こったのである。

 これを回心という。アウグスティヌスはロマ書第十三章でこれをやった。ルターは「義人は信仰によりて生くべし」。バンヤンは「汝の義は天にあり」。スポルジョンはイザヤ書の言葉。私の友人たちは、ある人は「汝の国籍は天にあり」。ある人は「汝らイエス・キリストを衣よ」。ある人は「娘よ! 私はお前のお父さんだよ、私はお前を決して叱りはしないよ」と、まざまざと肉声(のごとく空気にひびいてと本人は言う)で聞いたという。このような言葉をいま我々が念仏を称えるように言ってみたところでなんの功徳もない。しかし、ある時ある人にとっては一生忘れることのできない歴史的な闘魂の鍵語となったのである。
 このように、人の言葉(ありていに言えば日本語の一つですからね)を神の言葉となさしめる、つまり人にこのように感動せしめる力が聖霊である。この聖霊に感じた言葉(思想)をうけて一瞬のうちに魂の方向がひっくりかえり回心する時、私はそれを本当のキリスト教的新生と呼ぶのである。
 
          四
 
 インドの聖クリスト者サンダーシングは、「今宵神を見ざれば朝の一番列車で死のう」と決心して、一夜祈りはじめた。その時、彼はキリスト教を邪教と思いヒンズー教の神に会うことを願っていたのである。その夜、活けるキリストはサンダーシングにあらわれた。それは、幻のキリストでなく、本当に肉体を持ったキリストであったと彼は言っている。
 私の福岡刑務所における回心は、それほどの驚異的神秘体験ではなかったけれども、一人の人間の生涯を改変させる宗教体験としては、同質のものであったと確信する。私はその時より、自分の信仰の質が(量や重さではないが)パウロやヨハネなどと同じであるという不遜な程の自信を持ってきた。
 刑務所の中で、私は昨日と同じように赤着物を着て、寒さにこごえ、すきっ腹であった。しかし、うすいフトンの中で目ざめた時、私の肉体の中を貫流する血液が、まぎれもなくイエスの血であるような感情にとらわれ、そのドクドクと流れるイエスの血の音が聞こえるようで、感動の涙が目にあふれた。あつい、あつい涙であった。
  エス君のあつき血潮の今もなお
  溢るる思い我が身にぞすれ
と歌ったのはその時である。この歌は一瞬に生まれた。
 その時より、自然も社会もこれまでと違った様相を見せてくれはじめる。矛盾をガッチリ受けとめて、矛盾のまま飲み込みできるような性質に生れ変わっている自分を感じる。他を赦すということが実感として分かりはじめる。
  あるものの胸にやどりしその日より
  輝きわたる天地の色
 これは内村鑑三の歌であるが、その間の消息をよく伝えている。
 私の刑期は昭和二十年一月二十一日に終わる。あのけわしい戦時のさなかに「非国民」が故郷に帰るのは容易なことではない。母や親族のものは、家を売ってどこか遠方に移転しないかと言った。しかし、私は四面楚歌のつめたい環境にスルリと帰って行く自信があった。非国民を身内から出したと言って憤慨していた有力な親族が、出所早々挨拶に行った私を一回見るや、急変して職を世話してくれたりした。見事な人生の転換があった。私は誰にも恥じず、逃げ隠れもせず、かといって居丈高に反撥することもなかった。
 最近の週刊朝日に連載されている松本清張の小説では、こういう時こういう人間に対しては軍は「ハンドウ」をまわして、すぐにでも召集を出しそうであるが、私にはその召集は遂に終戦の時まで来なかった。起訴や服役の時の事務処理で、私の召集名簿がどこかに紛れ込んでしまったのであろう。皮肉なものである。(終)
〔釘宮義人1971年記〕

※コリント人への第二の手紙5章14節
聖書は、本来持つことをゆるされていなかった。そして、刑務所の図書の貸し出しでも聖書は罪状故に禁止されていた。それでも1か月に2冊の希望リストにずっとダメ元で出し続けていたら、この時だけ貸出係のミスだろうか、1か月だけ借り出しできていたと言う。

「いのちの初夜」は、旧「日岡だより」ブログの2010年8月に分割して載せている。2017年に召天5年記念として小冊子化したものである。


# by mitiru-takae | 2024-06-21 21:01 | 日岡だより | Comments(0)