No.271 <主の年2018年>新年を感謝します 2018.1.7

<主の年2018年>新年を感謝します

主によって喜びをなせ。主はあなたの心の願いをかなえられる。<詩篇37:4>

 あけましておめでとうございます。
 父が天に召されて6回目のお正月を迎えます。

 無謀にも「父がやっていたことはすべてやりたい」と思い、まるで自分の首を絞めるようにして(笑)、慣例になっていたすべての集会を早天祈祷会だけを残してやってきました。
 ところがもう3年目になるでしょうか、早天祈祷会まで、高砂教会の手束先生のお言葉に信徒の皆さんが触発されはじまったのです。

 それまでは自分の意志で「頑張ろう!」の気持ちが強かったことは否めませんでしたが、この早天祈祷会だけは私の思いが付いていったような形となりました。
 祈祷会と名がついていますので、もちろん朝の祈りなのですが、私の思いは、少し違っていました。祈祷会だけれどもその中で、「礼拝をしたい」と思っていたのです。

 多分それで、朝の集会は、「祈祷会なのか、礼拝なのか」何と呼んでいいかわからないという方もいたと思います。
 全体は早天祈祷会です。しかしその中で、み言葉、賛美、祈り、時間をささげるという、「主のみ前に心静まって座る礼拝の時」を大切にしたいと思ったわけです。

 というわけで、天の神なる父と私たちの教会の父は、今の教会を見て、喜んでくださっているでしょうか、笑っているでしょうか。とにかくここまでこれたことは、それだけで、私には奇跡のように思えます。

 新しい年を迎えて、心新たに、主と共に歩みたいと思います。

 上のみ言葉は、今年の【指標聖句】です。
 今年は父の小冊子「心の強化法」と「笑えば必ず幸福になる」の根元から学びなおし、学ねていきたいと思っています。

 「笑い」は時、場所によっては顰蹙(ひんしゅく)を買うこともありますが、所かまわず、笑い転げるということでもないのです。
 私の魂に向かって、私自身が喜べと口を開くことができるか否かが重要です。

 「私の魂よ!喜べ」と言えないほどの苦しみのなかにいる時に、笑うことなど、心の中でもできないと思うとき、このような時こそ、テストしてほしいと思います。

「私の魂よ、主によって喜びをなせ」
「私の心の願いを知ってくださる主よ、感謝します。今この時こそ、私に喜びをください」

 いろいろと理屈を言う前に、口角を指で突き上げてでも、笑うしぐさをして喜べばいいのです。信仰とは楽しくて、単純です。
 実は難しい人には、神様は難問題を出すのです。(笑)
 単純な人になりたいですね。
  この時、私の願いは必ずかなうというのですから。
 
あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。<ピリピ 2:13>

 主は私たちのうちに願いを起こしてくださるお方です。
 つらい時は何もしたくありません。
 痛いときは祈ることさえできません。
 聖書も信仰もほうり投げたいほど打ちのめされて心が怒りでみちている。
 怒りも求めもなくなってしまった。心が動かない。

 こんな時私たちが自分の心に向かって「孝枝よ、起きて床を取り上げて歩きなさい」「喜びなさい」「笑いなさい」と、言わせてくださるのは聖霊様です。
 「聖霊様のお言葉に果たして従えるか」にかかっています。

 さあ、子供に帰って笑いましょう。主の喜びが付いてきますよ。(た)
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# by mitiru-takae | 2018-01-23 14:22 | 満ちる | Comments(0)

No.270 勝利/一年間支えてくださりありがとうございます! 2017.12.31

勝 利

その時わたしは、大きな声が天でこう言うのを聞いた、「今や、われらの神の救と力と国と、神のキリストの権威とは、現れた。われらの兄弟らを訴える者、夜昼われらの神のみまえで彼らを訴える者は、投げ落された。<ヨハネ黙示録12:10>

 一年たつのは早いものです。

 先日TV番組の中かCMであったかどうかは覚えていませんが、100歳の老人たちに、「100年生きてこられた感想は?」と尋ねていました。
 なんと、ほとんどの方がこのように言ったそうです。

 「あっという間だった」

 100年があっというまであった、というのです。

 子供のころは一年たつのもなかなかで、小学校の3、4年生にもなるととにかく時間の経つのが遅く感じられます。わたしも大人になることなど、自分には起こりえないことのように思っていました。

 多分、できないことが増えたり、思うようにならないことを自覚するようになったり、夢や希望と、現実とのギャップがだんだんわかり始めてくると、一日でさえ、長~く感じてしまいます。

 さて、私たちも100歳になったとき、同じことを言うのでしょうか。

 この地上で生きてきた時間を振り返ったとき、私たちは「勝利」を宣言したいですね。イエスの十字架によって私たちはサタンに大勝利したのですから。


 11月の第3日曜日から、ゼカリヤ書【ゼカリヤ3:1~10】を礼拝の中で学ばされてきましたが、訴えるサタンの方が神にとがめられているのを、知ることができます。
 私たちを偽りの罪で告発してきた「告発者」、つまりサタンは投げ捨てられたのです。アーメン。

わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。<Ⅱテモテ4:7>

 「私たちが神様から出された課題をすべてうまくやりつくした」わけではなくとも、「信仰を守りとおしたね」と義なる栄冠を与えてくださるのは「正しい審判者」なる神です。
 自分の生きてきた証が「主による大勝利」と言い切れる者は幸いです。 

「あっという間に過ぎてしまう」この世での私たちの命の時間は、天に帰るまでの貴重な学びの時です。毎日小さな勝利を続けていきましょう。

 そのために私の周りに起こることの一つ一つを、大切に見つめていきましょう。主と共に過ごす時、小さな勝利は、積み重なって大勝利となるでしょう!(た) 
 

一年間支えてくださりありがとうございます!

【今年の指標聖句】しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。」
 
 皆さん、走りましたでしょうか。歩いてみたでしょうか。
 また鷲のように上ることができたでしょうか。
 私はというと、東京ではヨロヨロと銀座を歩き(笑)、電車に乗ってはくたびれ果て、「鷲のようにはいかないわ」と言いたいほど、体力に自信のない一年のようでありましたが、ダビデのように、どんなに肉的、精神的、霊的に苦しく見えるような時でも(いえ、こんな時こそ)、私の背後では最高の神のご計画の実行が、着々となされています。神の舞台は立派に進展していてフィナーレに向かっているのです。
 イエス様の愛に恵まれた素晴らしい一年を、キリストの福音大分教会の皆さんと共に過ごせましたことを主の御前に感謝いたします。来年もよろしくお願いいたします。(来年はもっと笑うよっ!) (た)
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# by mitiru-takae | 2017-12-31 07:53 | 満ちる | Comments(0)

No.269 祝クリスマス! 2017.12.24

クリスマス

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「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。これは、「神われらと共にいます」という意味である。<マタイ1:23>


 「毎日がクリスマス」

 釘宮義人牧師は、クリスマスが来るたびに言いました。


 また、「彼(主)は日々、新しい証しを持ってこられる」とも言いました。


 私たちの心が毎日生き生きと、元気に、楽しく過ごせるのは、心が生きているからです。

 心が死んでしまうか、倒れて動けなくなると、私たちの日々はとても重苦しい、辛い日々になってしまいます。

 いままではつらい過去の思い出や、罪の呵責にさいなまされて、元気のない、まっくろけの魂を抱えて仕方なく生きていたような私たちであったとします。

 しかし、もし、新しい今までとは全く違う人生をいただくことができるとしたら、それは何としても手に入れたいと思いますね。

 私たちの、過去も、未来も、そして今現在が、まったく何にも縛られない、自由で、解放された人生に変えられると知ったら、その秘密を何としても知りたいと思うのです。その秘密がイエス様にあるとしたらすぐにでもイエス様のところに行きたいですね。

 そうです、イエス様にすべての答えがあります。


 一週間も、一か月も前のかびたパンをどんなにたくさんいただいてもうれしくありません。毎日、作り立てのふわふわパンがいただけたら、また、ホカホカご飯とお味噌汁がいただけるなら、どんなに幸せでしょうか。

 私たちの健康な体は、毎日の健康的な食べ物と生活習慣から生まれます。


 心も同じです。魂も同じです。もっと言えば霊も同じです。

 食事も、一人暮らしだと、「自分だけだから」とつい手抜きをします。主婦だと、「やはり上げ膳据え膳がいいわ」と、とかくおっくうな気持ちになります。

 多分心も魂も、毎日、新しい、ふわふわパンがいいでしょうし、熱々出来立てご飯が良いのです。


 そのためにはいつも、イエス様の近くいることです。

 そして、イエス様の近くにいつもいるためには、イエス様のお言葉をいつも注意して聞いていることです。そうすると、だんだんイエス様のお心がわかってくるようになります。

 私たちの心が必要とする熱々炊き立てご飯は、イエス様です。熱々スープもイエス様です。

 イエス様のところにいつもいるならば、私たちは飢えることもありませんし、牧者であるイエス様は私をいつも守ってくださることでしょう。


主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。<詩篇23:1>


 私たちは自分からこのイエス様を見つけてイエス様の囲いに入って行くと想像するかもしれません。しかし、実はイエス様ご自身がさまよっている私を見つけ出して、主の牧場の囲いの中に入れてくださるのです。

 

 いつも私と共にいてくださるイエス様、毎日の糧を日ごとに与えてくださるイエス様、このお方こそ私たちの唯一人の救い主、私たちの真の王の王、主の主です。

 今日、このお方があなたの心の中に、来てくださいます。

 Happy Christmas! (た) 

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# by mitiru-takae | 2017-12-25 08:31 | 満ちる | Comments(0)

No.259 秋の信徒一泊セミナー 2017.10.15

秋の信徒一泊セミナー

「正月の元日にあなたは会見の天幕なる幕屋を建てなければならない。
そして、その中にあかしの箱を置き、垂幕で、箱を隔て隠し、
また、机を携え入れ、それに並べるものを並べ、燭台を携え入れて、そのともしびをともさなければならない。
<出エジプト40:2~4>

 今年は父(故釘宮義人牧師)の召天(2012.10.5)第5周年記念日を迎えた。ということで、10月8日主日礼拝に永井明牧師(イエス・キリスト福音の群れ牧会長)を鳥栖より是非にとお招きした。
 永井明牧師は、父の記念日にはなくてはならぬ存在のお一人だ。

 父の葬儀の後、この年(2012年)は「秋の一泊セミナー」ができなかった。それどころではない、釘宮家の今後どころか目の前の方向も決まっていない、教会の進むべき道も見えていない状態であった。(だからと言って今見えているのかと言われると、言葉に窮すが・・・聖霊様のお導きの通りです、わっはっは!)

 ところが次の年の「春の信徒一泊セミナー」、そして「秋の信徒一泊セミナー」と、今回まで、休むことなく毎回、聖霊様に導かれている。
 そして、そのあるべき姿というか、セミナーの名が収まるところに導かれているような気がする。週一の聖書学習会、毎朝の早天祈祷会などが発展して、このセミナーに集約されて行っている感じである。
 そういう意味では、学びばかりではなく、祈祷会を週に一度はしたいなあというのも否めない(しかしマンネリ化するので、月に一度の祈り会をもっと充実させたい)。

 朝の礼拝には西宮市から前田ご夫妻がきてくださった。また礼拝から一泊してセミナーに残ってくださった東京からの滝澤伝道師、福岡からは渡辺姉妹と、それぞれ「あかし」をもってきてくださり感謝! 毎週の礼拝は離れていても、主にあって私たちはいつも一つの神の家族であり、なくてはならないキリストの肢体である。

 今回のテーマは「聖なる幕屋」であった。
 これは、今年8月に韓国から二人の牧師先生が「聖幕」の研修に来てくださった、その時の幕屋の写真が手元にあったので、この研修にでられなかった皆さんにも、見ていただきたいという気持ちからである。

 毎回思わせられることだが、プログラムの順序がいつも、聖霊様のお導きによって最適な形で与えられるということだ。つまり、賛美集会で何をテーマにするのか?、み言葉はどこを持ってくるのか?学習会形式にするとして、3回のセミナーの中の役割としての御言葉の箇所は?などなど・・・、まるで頭がごっちゃになりそうなのだが、いつもびっくりするほどのプログラムが与えられる。
 主は最高のプランナーである。

 今回教えられたことの一つに「あかし」ということばがある。
 まず幕屋を組み立て、あかしの箱を置き、それを守るかのように垂れ幕で隠した。
 ここで聖所と至聖所がしきられた。そして器具を配備し聖別する。幕屋は、移動式であるため、事細かに組み立て方の順序などが決められていたのであろう。勿論ここでも主は最高のプランナーであるから。
 「あかし」は普段「証し」として、聞くし、語ると思う。
 「『あかしの箱』を何で隠すのだろう」と渡辺姉が言った。「『あかし』」だから『明かされるもの』?」とせつこ姉、「だから普段は隠されている?」・・・
 「一人一人に明かされるものなんだ」、「沢山ある私たちに与えられた律法は神の言葉、しかし「あかしの箱」は、一人一人に明かされる主の特別なお言葉(レーマ)ではないか」つまりこれは奥義なんだ。旧約の時代は、大祭司だけが、この奥義を知ることができたのだ。今の私たちは・・・・なんと素晴らしい、私の心の中に、イエス様が隔てをなくしてくださった「幕屋」を持っている。(た)

そのとき、雲は会見の天幕をおおい、主の栄光が幕屋に満ちた。<出エジプト41:34>
あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか。
<Ⅰコリント3:16> 
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(釘宮義人牧師召天5年記念礼拝のようす)



















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# by mitiru-takae | 2017-10-31 23:02 | 満ちる | Comments(0)

No.258 釘宮義人牧師 召天5周年 記念礼拝 2017.10.08

釘宮義人牧師 召天5周年 記念礼拝

 先日、「立木稠子・教会コンサート」に行くことができた。
 A姉妹が誘ってくださったおかげで、久しぶりに稠子先生にお会いすることができたのだが、つい昨日まで会っていた仲のように親しく接してくださり、とても嬉しく思った次第だ。

 立木稠子先生のお父様はかの立木元大分県知事である。
 戦後間もないころ、立木(元県知事)氏は、当時の福祉課の課長であったか、父の大分駅前の戦災孤児を集めての今でいうボランティアをとてもよく助けてくださったようだ。戦後の大分市の児童福祉は立木(元県知事)氏、そして父(釘宮義人師)らの手によって、ここから始まったといっても過言ではなかろう。
 
 今回の稠子先生のコンサートでは、グレゴリオ聖歌に加えて、み言葉の朗誦という、試みをやってのけてくださっていて、それも詩的な文章である詩編はともかくも、ヨハネによる福音書1章という、普通に聖書のお言葉を読むではなく歌うという、とても嬉しい珍しいものであった。

 おりしも会場となった日本キリスト教団別府野口教会は、明治のころにできた古い教会で、木造の建物の中で奏でるグレゴリオ聖歌や朗誦は、柱や壁の一つ一つが歌声に応えているかのような感じさえして良いものだ(ちょっと偉そうだが…稠子先生もそのようにおっしゃっていたようだ)。

 「幼児期、この近くに住んでいた父も、この教会に通っていたのだろうか…」と建造100年と言われる不老町教会などと並んで、別府市にある古い教会堂は、父の幼児期の姿を垣間見るかのようで、変に懐かしい。

 この父(釘宮義人師)が天に帰ってもう5年になる。
 永井明先生のおかげで、今もこの教会は日岡に立(建)っている。わたしが跡を継ぐ決心を促されたのも、永井明先生という、頼りになる強い後ろ盾があったればこそだ。

 それは、この世的な方法論だけでなく魂と、霊においての良き指導者として、先生が私の目の前にいてくださったので、ここまで進んでこれたのである。
 
 5年という一区切りの年を迎えて、これからの聖霊様のお導きと、方向付けを、きっちり聞き分けていきたいと願っている。

 無我夢中の一年間、さらに「勉強不足だ」と学びに明け暮れた二年目と言い、ここまで来るにはやはり、人並みに「大変」だったわけであるが、それにしても楽しかった。

 「ラブ・ソナタ」以来、入院、手術、薬漬け・・・と、体調不良が続き、それでも、楽しんできた。今は薬の副作用(主が処方する聖霊薬のみの日が早く実現するように祈る)か、声がよく出ないが、それでも楽しんでいる。
 なんだか、とても毎日が幸せなのだ。
 父の「わっはっは!」の声と顔が、いつも横にある。
 これが今の私の「元気の素」らしい・・・。

<詩編121篇1~8>
都もうでの歌
わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。
わが助けは、天と地を造られた主から来る。
主はあなたの足の動かされるのをゆるされない。あなたを守る者はまどろむことがない。
見よ、イスラエルを守る者はまどろむこともなく、眠ることもない。
主はあなたを守る者、主はあなたの右の手をおおう陰である。
昼は太陽があなたを撃つことなく、夜は月があなたを撃つことはない。
主はあなたを守って、すべての災を免れさせ、またあなたの命を守られる。
主は今からとこしえに至るまで、あなたの出ると入るとを守られるであろう。

 これからも主の山を仰ぎつつ、私の助け主を信じ前進していきたい。
 私のエネルギーのもとは父の「わっはっは」、そしてその大元は、イエス様ご自身の「わっはっは」と笑う、豪傑のような神の力強さだ。安心して行ける!

 父召天5周年を感謝!
ハレルヤ! ハレルヤ! ハレルヤ! (た)
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# by mitiru-takae | 2017-10-31 23:01 | 満ちる | Comments(0)