<   2017年 05月 ( 4 )   > この月の画像一覧

No.239 Cfan Japan 東京ファイヤーカンファレンス体験 2017.5.28

 Cfan Japan
東京ファイヤーカンファレンス体験

行って、『天国が近づいた』と宣べ伝えよ。
病人をいやし、死人をよみがえらせ、重い皮膚病にかかった人をきよめ、悪霊を追い出せ。ただで受けたのだから、ただで与えるがよい。<マタイ10:7、8>

 「ベルサール高田馬場に行ってください」
 高田馬場駅前からタクシーに乗って、運転手さんにこういうと、二度乗って、二度とも「あ、新しくできたところですね」と返ってきました。
 確かに出来立てほやほやの美しい、そして2000人をフラットの会場に収めることが出来る広くて素晴らしい会場でした。
 今回の東京行きは、妹の足の親指の骨折がまだ完全に治ってない時点での旅行で、多少の不安はありましたが、とにかく駅から現地まではタクシーを使おうと決めて出かけていました。
 するとなんと幸いなことに、大分では多分初乗り670円くらいのところでしょうが410円でしたので、私たちにとってはちょっとした恵みの体験でした(大げさな…笑)。
 ファイヤーカンファレンスのスケジュール自体には何も関係がないのですが、新宿でゴジラに会えたのがとても嬉しかったことの一つです(と言っても訳が分からないかと思いますが、実は「新宿の高いビルの上にゴジラの大きな手と顔がのぞいている」という、そんな建造物があって是非見たかったのです)。
 ホテルが用意してくれている地図を見ながら歩いたのですが、なかなか見つからず、警察の派出所を見つけ聞けましたので、やっと見ることが出来ました。
 
 さて、私たちは初日には行けませんでしたので、初日にあった菅原さん(世界的手品師)の手品を織り込んだ聖書劇があったことを後で(CGNtvの録画したものがyoutubeに載っていました)知りました。衣装はきっと21世紀教会に飾ってあった、映画で使った豪華な衣装ではなかったのかと、少し見れなかったのが残念ではありました・・・。

 ラインハルト・ボンケ師の後継者である若き伝道師ダニエル・コレンダ師とちょっと過激で俳優にしたいような美声の持ち主トッド・ホワイト師という、二人の素晴らしいメッセンジャーをお迎えしての聖会でした。
 ダニエル師はメッセージのあと会衆をイエス・キリストを信じる決心の祈りに導きました。多くのまだイエス様を信じていなかった人々がイエス・キリストを新しく受け入れ、またクリスチャンたちは更に新たに生まれかわるため悔い改めの時を与えられました。

 ダニエル師は言いました。
 「私たちを癒し解放するのはイエス様であり、私ではありません。
 イエス様はすべて知っておられるので、病気などのことについてくどくどと長く祈る必要はありません。イエスの名によって癒されよと短く祈ればいいのです。それも、牧師や特定の人が祈るということではありません。
 私でもなく、皆さん一人一人がそれを行ってください。誰でもできます。ただで受けたのですからただで与えてください。」
 会場にいる人々は相手を見つけ、祈ってもらいたい病気などを聞き、互いに額に手を当てて祈りあったのです。多くの人々が癒されました。

 トッド師は、パンフレットに書いてあった通り、人生のどん底を歩み、そこから天の父のもとに帰ってきた方です。この方の証を聴いていると、神様はいかに私たちを愛してくださり、父のもとに返してくださる素晴らしいご計画を私たち一人一人に持っていてくださるのか、ということを思わされます。
 また「罪の増すところに神の恵みが増す」ことをまざまざと見せつけられます。ここまでひどい人は本当にいるんだろうかというくらいです。「クリスチャンは福音のためのテロリストだ」というくらい過激ですが、とても個性的で情熱的な方でした。

 通訳が聞き取りにくかったのもあって、あとでレコーダーを聞いてみたのですが、よくわかりません。やはりこういうのはリアルの臨場感があってのものですね。
 私たちの霊的興奮を受け取っていただければ嬉しいと思います(笑)。

 今は終わりの時代です。理屈を言って納得するだけの時ではありません。ある先生は「キリスト狂徒になれ!」、またイ・ジェフン先生は「キリストバカになれ!」と言っています。私たちの思いと感情を行動に移す時であるのだと感じました。一人一人に示された小さな行動から、とにかくはじめの一歩を踏み出しましょう。(た)
c0265111_08593347.jpg

















[PR]
by mitiru-takae | 2017-05-31 23:00 | 満ちる | Comments(0)

No.238 論破と受容/東京ファイヤーカンファレンスに行ってきます 2017.5.21

論破と受容

 今、早天祈祷会ではヨブ記を毎日一章ずつ通読していますが、びっくりするのは(私たちも同じことをしているのですが・・・)ヨブは自分の正しさを、神と友人に論破してつめよっています。
 友人も負けていません。エリフが出てくるまでは、神様そっちのけで、論破合戦の様相です。とうとう、友人たちは黙ってしまいます。

 論破というと、理論的なつめ将棋のようで、言い負かされる方にしてみれば、攻撃されるばかりでこんな嫌なことはないですね。たとえ認めたくなくても、言い返す余地がないわけです。
 しかし、たとえ論破して勝ったとしても、それがすべて真実というわけではありません。

 また反対に真実を勝ち取るためには、実証出来るものと論破で相手を打ち負かす弁護人のように、論破することは時に必勝をもたらす攻撃のアイテムでもあり、守りの戦術でもあるのです。

教にかなった信頼すべき言葉を守る人でなければならない。それは、彼が健全な教によって人をさとし、また、反対者の誤りを指摘することができるためである。<テトス1:9>
(そうでないと、健全な教えに従って勧めたり、反対者の主張を論破したりすることもできないでしょう。【新共同訳】)
  
 論破では勝てなくても、受容して勝つということがあります。
 あなたが親なら、子供のいうことをとりあえず受容(聞いてあげる)してあげることができますね。そうすると、そのあとで正しいことをきちんと話してあげられます。子供も聞いてくれるでしょう。

 とことん相手の心の中を受け入れてあげることが出来れば(悩み、理屈、わがまま、理想、独りよがりの喜びから、悲しみまで、挙げればきりがありませんが)、自分のうちに閉じこもっていたその人の暗い心を、外に向けることが出来ます。
 文句でもなんでも、言葉にして吐いてしまうならば、案外解放されます。

 それは先週のモーションを起こすことに似ています。(よく父は、「話す」という言葉はもともと「やまとことば」で「離す」という意味がありますと言っていましたが・・・。)

 ただ、これを100%受けいれてくださるお方は、世界に一人しかいません。イエス・キリストです。

 そのお方の真似をして、私たちも隣人を説き伏せるのではなく、少しでも、聞いてあげられる広い心を持てるように、日々の訓練を惜しまない人となりましょう。

 神様の言葉をきちんと守り行える人こそ、論破においても対抗できる人です。

 論破することも、受容することも、すべて神のお言葉(イエス・キリスト)によって出来るのです。(た)


東京ファイヤーカンファレンスに行ってきます

 ベルサール高田馬場でおこなわれる東京ファイヤーカンファレンスには、ラインハルト・ボンケ師の後継者であるダニエル・コレンダ師が来られます。

 大分はやはり地方で、日本国内といえども、なかなか行きたい全ての聖会や催しには参加が出来ません。
 しかし、海外に行かなくても、素晴らしい先生方に触れることが出来るので、教会の礼拝に後ろ髪をひかれながら、今日もまたまた東京に(喜んで!)行かせていただいています。

 日本各地でイエス様のために仕え働いている先生方にお会いできることは私にとってとても光栄なことであり、嬉しい限りです。

 また新しい証しや奇跡、癒しに出会えることを期待して行ってきます~!お祈りください。 (た)
c0265111_10223531.jpg

















[PR]
by mitiru-takae | 2017-05-24 10:23 | 満ちる | Comments(0)

No.237 ゆるし/百人隊長の目線 2017.5.14

ゆるし

互に忍びあい、もし互に責むべきことがあれば、ゆるし合いなさい。主もあなたがたをゆるして下さったのだから、そのように、あなたがたもゆるし合いなさい。<コロサイ3:13>

 対人関係で悩むとき、たとえ相手が悪くても、「ゆるしなさい」とよく言われます。しかし、簡単に「ゆるしなさい」と言われても、なかなか心からゆるせないのが私たちです。
 「ゆるしなさい」といわれて悩む人は多いと思いますが、では、反対に「ゆるしてください」と言われたらどうでしょうか。
 自分が嫌いな人に、また赦せないと思っている人に、直接手をついて謝られたとき、あなたならどうするでしょうか。
 「やめてください、何とも思っていませんよ。」
 「私にも少し非があったのですから、そんなに謝られても・・・」と口では言います。
 しかし、本当に赦せているのでしょうか。ちょっと疑問です。
 この時、相手に面と向かって「赦します」と声を出して言うことです。もじもじ、ぐずぐずと言葉を濁してはいけません。(父がよく言っていた言葉です)
 実は、この動作(モーション)は、相手に「赦します」と言っているように思えますが、実は赦せない自分に対して言っている事にもなるのです。とても不思議ですが,相手にきっぱり「赦します」といったとたん、本当に赦せてしまうのです。ここに感情(エモーション)的にも赦せてしまう不思議があります。

 心の中には辛かったり、苦しかったり、悔しかったりした傷が残っています。傷が癒されて初めて私たちは人を赦すことが出来ます。相手を知らず知らずのうちに攻めていた自分の心をまずイエス様に癒していただくことです。「はい、赦します」とはっきり言うことは、自分の傷を癒していただく素晴らしい恵みの「ことば」をいただくことでもあるのですね。
 「ごめんなさい」、「赦してください」と言えた時も同じです。
 主の御前にお互いを赦しあえる砕かれた素直な心を持つ人になりたいですね。(た)



百人隊長の目線

イエスにむかって立っていた百卒長は、このようにして息をひきとられたのを見て言った、「まことに、この人は神の子であった」。 <マルコ15:39>

 「舟の右側」に谷口和一郎氏(「舟の右側」誌編集長)の「風知一筆」という巻頭記事がありますが、5月号では「下に立って見る」という文章が載っていました。

 谷口和一郎氏は(要約しますと)「どうして百卒長は『この方はまことに神の子であった』という告白が出来たのか。それは彼の信仰告白であり、聖霊による告白だ。『百卒長は下から見上げていた』という場所が十字架の下であったということ、それも真正面、下からイエスを仰ぎ見る場所であったからだ。
 
 ここで神を礼拝する者となるほかにイエスを理解できるところはない。またそこでこそ聖霊は働いてくださる。」【「舟の右側」5月号参照】と言っています。

 私たちは、下からではなくて「上から目線」とよく言われたり、言ったり(笑)しますが、時には、「上から目線」どころか、親や上司に向かって、「何故私を支配するのか」と思ったりもするのです。その人の足元に座らなければ、見上げることはできません。

 イエス様を仰ぎ見る十字架の真下で、私たちの高慢な罪のためにご自身の命を捨ててくださったイエス様を仰ぎ見るとき、私はイエス様のように死ぬことはおろか、人のため小さな犠牲でさえもなかなか払うことができない、ただ十字架を仰ぎ見るだけの小さな者であること、つまり私の本質を知らされます。

 裏切り者のユダでさえ、神様の救いのご計画の中で大きな働きをさせられたと言ってもいいでしょう。そのユダ以上に私たちは毎日イエス様を裏切っているかもしれません。

 私たち一人一人がどのように小さく罪深いものであったとしても、神様が十字架の愛へ私たちを導くことが出来るのは、イエス様が誰よりも一番へりくだってくださったからです。 (た)
c0265111_08282581.jpg















[PR]
by mitiru-takae | 2017-05-18 08:28 | 満ちる | Comments(2)

No.236 JOY JOY JOY/私は神の最高傑作 2017.5.7

JOY JOY JOY

「春の信徒一泊セミナー・大分ローカルギャザリング」

 4月29日に大分ローカルギャザリング、4月30日から5月1日にかけてキリストの福音大分教会の恒例の春の一泊セミナーと、二つの聖会が連続して行われました。
 今回は、久保有政先生をお招きしてのギャザリングで、一泊セミナ―においても第一セミナーで久保先生に来て講演していただきました。

 私自身はプログラムが重なってちょっとアタフタいたしましたが、聖霊様は、心身共にしっかりフォローしてくださいました。
 それに、信徒一泊セミナーですから、私ではなく信徒の皆様が中心です。おかげで、導きによって集められた皆様方によって素晴らしい時を与えていただき感謝でした。
 特に一泊セミナーの最後の集会は、喜びが頂点に達し、集った人数の数十倍のエネルギーが噴出したかのように、賛美が止まりませんでした。

 今回のテーマは、ギャザリングから始まり、さらにセミナーのプログラムが進んでいく中で、はっきりしてきました。こういうことも珍しいかと思います。

 与えられたテーマとは、「徹底した悔い改めと喜び」です。
 終わりの時代、私たちは主に立ち返ることを徹底しなくてはなりません。
 「みことばの学び、交わり会」にてネヘミヤ記8章を共に学び、また続けて12章まで読み進む中で、エズラ、ネヘミヤの時代に、エルサレムの町の城壁を再建、修復した人々のリバイバルの様相を見て、私たちも爆発的な喜びをいただいたのです。
 聖霊様の臨在を全身に受けることが出来た喜びのセミナーでした。(た)

そして彼らに言った、「あなたがたは去って、肥えたものを食べ、甘いものを飲みなさい。その備えのないものには分けてやりなさい。この日はわれわれの主の聖なる日です。憂えてはならない。主を喜ぶことはあなたがたの力です」。<ネヘミヤ8:10>
  
捕囚から帰って来た会衆は皆仮庵を造って、仮庵に住んだ。ヌンの子ヨシュアの日からこの日まで、イスラエルの人々はこのように行ったことがなかった。それでその喜びは非常に大きかった。 <ネヘミヤ8:17>
c0265111_12381257.jpg

私は神の最高傑作
 
手作りの大好きな人はたくさんいらっしゃると思います。有名な陶芸家や、画家でなくとも、創作することはとても楽しいことです。
 私も、今はほとんど何かを創るということがなくなりましたが、若いころは、手造りが何でも好きでした。特に、皮革にカッターで線を刻み、刻印していくアメリカンカービングというものにはまったこともあります。
 また、紙粘土で創るお人形や、ブローチ、はたまた、賛美の弾き語りをしたいがために、作詞作曲を我流で始めたりもしました。とにかく形あるなしにかかわらず、モノを作るということが大好きだったのです。
 最近、昔の松岡欣也先生の賛美を収録したCDがでてきました。
 毎日聞いていますが、その中のメッセージに「何億、何十億という私たち一人一人の人間の顔を、神様は、楽しんで造られました。」と語っているところがあります。
 「神様は、楽しんで、それぞれ違う顔を造られたのです。顔どころか、その人の生まれてくる環境のすべてを色々考えて造ってくださいました。その土人形に神様は『愛の命の息』を吹き込んでくださいました。そこで人は神様の愛によって生きるものとなったのです。『人は神様の愛によって生きる』という目的をもって造られたのです。」

主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。<創世記2:7>

 物つくりをしていると、ときどき自分でも「お~、これはいいなあ」と思うようなものが出来ます。
 ところが神様は違います。
 何百、何千、何億あろうともすべてが最高傑作なのです。
 私は神様の最高傑作です。ハレルヤ!(た)




















[PR]
by mitiru-takae | 2017-05-10 12:33 | 満ちる | Comments(0)