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No.235 神の知恵/天国でのステータス 2017.4.30

神の知恵

われらの主は大いなる神、力も豊かであって、その知恵ははかりがたい。<詩編147:5>

 私たちの普段の生活の中では、「あー、よかったわ」と言えることが結構あるものです。
 先週の主日礼拝の後、私の妹が足の親指を骨折、爪を裂傷するという事故が起こりました。
 先ず神様に一番に祈り、傷を洗い、傷テープを買いに行き貼るという、見事な連携プレーがなされました。本人の「大丈夫」という声に、みなそこで一旦落ち着いたわけですが、そのうち傷テープの内側から止まったと思っていた血がまたまた出てきていました。
 とりあえずその日の休日当番医を調べ、その中の整形外科に、電話でいつでも診察できるのかの確認を取っていたので、「やはり病院に行った方がいいよ」の声に本人も重い腰を上げ病院に行くことになりました。
 私たち素人には、よくわかっていないことが多いのですが、案の定、その日の内に病院に行って良かったということがわかりました。というのも、病院で骨折が判明し、医師の話では骨折と傷を同時に受けた場合、骨髄炎にかかる危険性があり、6時間以内に治療を始める必要があったということだったのです。

 どこの病院にかかるのか、また、どのような治療を受けるのか、医師は、スタッフは、環境や設備は、といった、自分の判断ではどうにもならないことを、私たちは知らぬ間に神様の御手によって備えられていることをいつも知らされます。
 今回もまさしくその通りのことが起きました。すべてのことが一つ一つ神様の御手で、準備されているのです。この知恵は人間には測りがたいことです。
 たとえ、私たちの思い通りになっていかないとしても、神様の栄光が顕わされるために、私たち一人一人が直接、様々な事態にかかわっているのだということです。
 隠れたところからいつも私たちを見て、守ってくださっている神様の愛と知恵と業とを、心から感謝しています。
 「ありがとう主よ、何時も助けてくださり感謝します。」(た)


天国でのステータス

「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。<マタイ5:3>

義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。<マタイ5:10>

喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。<マタイ5:12>
 
 私の目の前にある地域猫のカレンダーにある言葉がいつも楽しい。
 「この世でどう猫に接するかが、天国でのステータスを決める」(ロバート・A・ハインライン ※SF作家)
 猫に対する接し方と言っても、様々ですが、基本「猫が好き」、「猫が大好き」、「猫が好きでたまらない」という、好きさ、言い換えれば猫に対する愛情の度合いが、ステータスを決めるというのでしょうか(笑)。
 
 猫ではありませんが、私たちの愛するイエス様は、天国は、貧しいものや、イエス様のために迫害されてきた人々のものだと言います。「天国はあなたのものだ」と言ってくださるのですね。ステータスどころか、それ以上のものです。

 義のために迫害?とちょっと戸惑われる方は、心の貧しさで勝負しましょうか。
 現実収入が少なくて貧しいと思っている人も、喜びましょう!天国はあなたのものです。
 この世で私たちが戴いている環境が、いかに厳しいものであったとしても、寝ている猫の姿を見てホッとするように、イエス様のお姿を心の眼で見ると不思議に平安と力が湧いてきます。天国での希望をいただくことは私たちにとって喜びです。

「・・・主を喜ぶことはあなたがたの力です」。<ネヘミヤ8:10下>

 はい! 主を喜ぶことは私の力です。
 喜びます~!(た)
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by mitiru-takae | 2017-04-30 23:00 | 満ちる | Comments(0)

No.234 わが魂よ主によって喜び楽しめ/世界はすばらしい 2017.4.23

わが魂よ主によって喜び楽しめ

わが魂がわたしのうちに弱っているとき、わたしは主をおぼえ、わたしの祈はあなたに至り、あなたの聖なる宮に達した。<ヨナ2:7>
 
 ヨナは自分の魂が弱っているのに気づきました。「自分のうちにある魂を客観視することができる」ということは素晴らしいことです。
 自分の心が弱っているという自覚はなくとも、なんだか元気がないという感覚は誰しも経験したことがあるものでしょうし、うつ病ではないけれど、「なんだか憂鬱だなあ」というような時など、簡単には切り替えができないものです。
 しかし、もしそのような時、自分の心の中を客観視できるとすれば、自分を棚に上げてでも、他人になら言えると思える正攻法の言葉をかけてあげられますね。
 このように自分に言い聞かせます。
 「『私の心よ、元気になれ!』と大きな声で言ってご覧なさい!」
 「『私は元気だ!』と言ってガッツポーズで笑ってみよう!」
 「肯定的な言葉を使うようにしましょう!」
 ここまでは、普通に世間の人たちも言います。いえ、わたしたちクリスチャンよりももっと上手く実行しますね。そのために特別な訓練を受けるほどです。

 ではイエス様を信じている人たちとはどこが違うのでしょうか。
 私たちには「弱い時こそ強い」という信仰があります。本当の強さは、イエス様の命の中で生きているときの強さです。この強さはいつもイエス様とともにいて初めて分かる強さです。私の弱さはかえって神様の強さを際立たせるのです。
 イエス様を信じていると、ヨナのように自分が弱い時、心細い時など、イエス様を覚えイエス様と語り、イエス様と神の宮で共に過ごすという体験をする機会が起こってきます。私が弱い時はイエス様が非常に近い時でもあるのです。
 こんな時こそ信仰によって神様の御前に告白しましょう。心の中に特別な賜物をいただけます。

わたしは主を大いに喜び、わが魂はわが神を楽しむ。主がわたしに救の衣を着せ、義の上衣をまとわせて、花婿が冠をいただき、花嫁が宝玉をもって飾るようにされたからである。<イザヤ61:10>
 イエス様は私たちを花嫁のように愛してくださり、心を喜ばせ楽しませてくださるのですね。(た)


世界はすばらしい

 もうちょっと時期が過ぎてしまいましたが、日本の4月初旬は、一気に咲いて散ってしまう、桜の花が大変美しい時です。
 桜は、花が咲きだすと、今まで薄く見えていた幹の色が急に黒っぽく見えてきます。私は満開の花の間から見える濃いこげ茶と薄いピンクの対照的な色合いが大好きです。そして花が散り黄緑の葉が出てくるころになると、そろそろ5月の匂いがしてきます。

地は青草と、種類にしたがって種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ木とをはえさせた。神は見て、良しとされた。<創世記1:12>

 創造主なる神様は、植物を3日目にお造りになりました。
 1日目に光をお造りになったとき、その光は闇と混ざり合うことはありませんでした。神様は光と闇を分けられたと聖書に書いています。2日目に神様は水と水をも分けました。水と水の間に大空を造られたからです。
 3日目には大空で分けられた下の水を一つの所に集め、海を造りました。そして乾いたところを陸と名付けました。そこに種類に従って色々な植物を生えさせました。そしてそれらはすべて「良し」とされたのです。
 この後、神様の創造の業は続きますが、人間を最後にお造りになったとき、造られたすべての物を見て神様は「はなはだ良かった」とおっしゃいました。
 すべてのものは「神様が創造した」のです。この世の中で人間が自分たちだけで造り出したものなどありません。全ては神様が用意してくださったものでできています。
 
 季節を彩る花々をみる時、私たちは神様の造られたものを楽しみ、喜ばせていただき、神様の造られた世界を感じることが出来ます。
 たとえ世の終わりが近い時であっても、悪しきものに惑わされることなく、私たちに与えられた素晴らしい神様からの恵みをほめたたえ、喜んで過ごしたいですね。(た)
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by mitiru-takae | 2017-04-27 08:55 | 満ちる | Comments(0)

No.233 祝イースター/ 預言、それは励まし 2017.4.16

祝 イースター

イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。<ヨハネ11:25>

 今年もイースターを迎え、色とりどりのイースターエッグを見ながら、「最近のゆで卵に着ける色とりどりのシールってきれいだなあ!」と感激します。30年前くらいは(古い話ですが)シールなどなくて、色粉を溶かしてその中に卵を浸けて色付けしていました。模様やみ言葉を卵の殻に書いたりして、結構大変でしたが楽しんでいました。

 その頃はCS(教会学校)も盛んで、子供たちがとても喜んでくれるのでCSの先生たちも一生懸命でした。クリスマスと並んで子供たち、また大人の兄弟姉妹方にとっても大きな楽しい教会行事でありました。

 しかし、懐かしがってばかりでは進展がありませんね。この教会に、若いお父さん、お母さんたちが溢れ、何時も子供たちが走り回っているような教会になりたいと願っています。

 「この世の中が暗く悪意に満ち、世の終わりが近い」と言っても、私たちクリスチャンにとっては素晴らしい神の国の到来が目の前なのですから、私たちも子供たちとともに喜び踊りたいと思います。

 子牛も羊も跳ね回るような楽しいイースターを過ごしたいですね。何といってもイエス様がよみがえってくださったのですから。そして、今私の中で生きて働いてくださっているのです。

 イエス様を信じる者は「たとい死んでも生きる」のです。 それは、私たちが信じているイエス様ご自身が「よみがえりであり、命」だからです。(た)

また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」。<ヨハネ11:26>
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預言、それは励まし

神の預言者たちも、彼らと共にいて彼らを助けた。<エズラ:5:2>

 先週は遠くアメリカのベテルチャーチからミニストリーチームが三人、二泊三日で大分に来られました。まず、到着したその日は、朝から霧が深く、飛行機二つをキャンセルされ、3時間くらい遅れてやっと大分空港に到着出来ました。夜の歓迎夕食会を大分カルバリチャーチにて過ごし、翌朝(4月9日)は、私たちの教会の礼拝に来てくだいました。

 思いもよらず、大笑いをするメンバーでしたので、いつもの私たちの教会での大笑いも、全く気にせずに笑えるという(大笑)嬉しい礼拝となりました。

 賛美の中で聖霊様は私たちに自由の霊を解き放ってくださいます。ヤスミナさん(オーストリア出身)のバイオリンに合わせて「主はすばらしい・・・」としばらく主をほめたたえる賛美が捧げられました。スイス出身のティノさん(男性)は子供たちと踊っていました。彼は絵を描くのが得意です。

 またユニスさん(シンガポール出身)は聖霊様に示されたことをエペソ4章によって預言してくださいましたが、一致によってこの教会が神の家族としてラーメンのような状態であると(笑いました)たとえてくださいました。「それぞれの素材が一つとなっておいしいラーメンとなっています」と。アーメン!

 三人それぞれに聖霊様のお導きによって色々な預言により、私たちの教会を励ましてくださいました。様々な国境を越えて、全ての人々がイエス・キリストの御名のもとに集められ、ともに礼拝できるとは、なんとすばらしいことでしょう。

 私たちを何時も励まし助けてくださる主のお言葉を心から感謝します。

 この日の詳細を知りたい方は是非DVDを見てください。満々感謝!(た)
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by mitiru-takae | 2017-04-19 14:35 | 満ちる | Comments(0)

No.232 いと高きところに、ホサナ/ホッとすることばは何語? 2017.4.9

いと高きところに、ホサナ

そして、前に行く者も、あとに従う者も共に叫びつづけた、「ホサナ、主の御名によってきたる者に、祝福あれ。 今きたる、われらの父ダビデの国に、祝福あれ。いと高き所に、ホサナ」。<マルコ11:9、10>

 ホサナという言葉は、もともとヘブル語で「救い給え」という意味ですが、イエス様がエルサレムの町にロバの子に乗って入場した時、群衆は万歳の歓喜の声として「ホサナ」と叫んだのです。
 私たちも「ハレルヤ!」のように「ホサナ」と叫ぶのもいいですね。
 「ホザナ、ホザナ、ホザナ高らかに・・・・・・」のように、「ホサナ」という言葉はよく礼拝の中でも賛美の曲として歌われています。
 ちなみに今日は「棕櫚(しゅろ)の日曜日」と言って、イエス様がロバに乗ってエルサレム入場したことを記念する日です。この日から受難週に入り、次の日曜日はイースター(復活祭)を迎えます。
 しかし人々の心は不思議です。イエス様がエルサレムに着いた時は「ホザナ」と歓喜の声で迎えたのにもかかわらず(マルコでは多くの人々、マタイでは群衆、ルカでは大勢の弟子たち)、のちに群衆は「イエスを十字架につけよ」と叫ぶのです。
 私たちは、「ハレルヤ!、主よ、万歳!」と叫ぶとき、心のそこから「ハレルヤ!」と叫ぼうではありませんか。
 実際「ハレルヤ」といったその口で、「十字架につけよ」と言いかねない、人間の愚かさ、弱さがあります。イエス様は、人々と目が同じ高さになるくらいの小さなロバの上に乗って、「ホサナ」の声を聴いて笑っておられたのかもしれません。
 イエス様は、決して背の高い、馬やラクダの上から私たちを見降ろすわけではありません。私のすぐ近くにおられるお方なのです。

この民は、口さきではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。 <マタイ15:8>

 この御言葉のようにイエス様に、心の中を見透かされないように、真心こめて「ホサナ」と叫びましょう!わっはっは! (た)



ホッとすることばは何語?

主はきて立ち、前のように、「サムエルよ、サムエルよ」と呼ばれたので、サムエルは言った、「しもべは聞きます。お話しください」。 <サムエル3:10>

 神様が語る言葉は、何語でしょう(笑)?
 すべての人にわかる天国語で、魂に語りかけてくださることも確かです。
 サムエルはしっかりと自分に語り掛ける神様の声を聴きました。ですから、返事も当然、当時サムエルたちの国語であった言葉を使って応えたでしょう。「お話しください」とサムエルが言うと、神様は、サムエルたちの使っている言葉をもって答えてくださったのです。
 いつも聖書の中で語る神様のおことばについては考えたこともなかったですが、ある先生のお話を聞いて「そうだ!」と思いました。その先生が、外国での礼拝で日本語のメッセージを聞いた時「とても感動した」とおっしゃっていたからです。
 「日本人が日本語を聞くって素晴らしいことなんだ、クリスチャンがこの地上で神様のお声を聞くってなんて素晴らしいんだ」と私も思わされたのです。
 神様は、私に「日本語」で語ってくださいます。私に向かって魂の中に語られたとしても、それは日本語です。たとえば「I love you!」ではなく、「愛してるよ!」です。私は日本人だからです(笑)。同じように、韓国の方には韓国語、アメリカ人なら英語でというようにですね。なんと「ホッ!」とする嬉しい語り掛けでしょう。
 使徒行伝にあるペテロたちが語った色々な国の言葉(異言)も、当時各地からエルサレムにきていた人々が、どれほど感激したかがわかります。その人々が聞いた言葉は自分たちの国の言葉だったからです。

人は主の口から出るすべてのことばによって生きることをあなたに知らせるためであった。<申命記8:3>

 私たちが「ホッ!」とする言葉が何語であれ、私の魂に響くことばをもって主が語られるとき、その言葉は私の中で生きたものとなります。私の中で血となり、命となって神の言葉は生き続けます。一つの言葉で、一つの思いで、共に神様をほめたたえましょう。私たちの魂の「平安」も主の口から出る「命の言葉」によるのです。(た)
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by mitiru-takae | 2017-04-12 10:32 | 満ちる | Comments(0)

No.231 楽しいマジックと伝道/私はいつでも大勝利者だ! 2017.4.2

楽しいマジックと伝道

わたしは、そのかたわらにあって、名匠となり、日々に喜び、常にその前に楽しみ、その地で楽しみ、また世の人を喜んだ。<箴言8:30、31>
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 3月26日(日)の礼拝にはフィリピン宣教師の横川知親先生(フィリピンに行ってもう37年にもなるそうです)が来てくださいました。実は先生が宣教師として派遣されている中津扇城教会の柴田勝正先生が3月22日に天に召されたために大分に帰ってこられていましたので、当教会にもお立ち寄りくださいました。

 横川先生は来てくださるたびにマジックを披露してくださり、種明かしをしたうえ使った品物までくださるという、子供たちにとっても、私たちにとっても大変嬉しく、楽しい先生です。

 私たちが子供のころは、よくデパートなどに行くと、見事な手さばきのトランプを使ったマジック(昔はやはり手品といっていたかな)などを口をポカーンとあけて見入っていたものです。その手品用の道具がたくさん目の前にあり、もらえるとなると、大人でもうれしくなります。

 ただ、遊ぶばかりではありません。これを上手に使って(匠とはいかないまでも)伝道に使うのです。
 横川先生曰く、「『イエス様を信じてください』と街頭に立って言い始めても、なかなか人々は聞いてくれませんが、マジックを用いると子供たちともすぐ仲良しになれますし、イエス様を伝えることができます。」

 音楽でも、ダンスでも、私たちのできる事で、主の御用に用いていただけると最高に嬉しいですね。私は何ができるのかと、自分を見つめてみることも大切かもしれません。
 毎日「信仰も伝道も楽しく」「わっはっは!」で過ごしたいものです!(た)



私はいつでも大勝利者だ!

しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある。<ローマ8:37>

 「ほかに神はいない!ほかに神はいない!・・・・・」
 松山の福音センターで行われたギャザリングの第3聖会の時の賛美の中で、この繰り返しのフレーズを何度も何度も歌い続けました。

 教会の賛美でもやってみたいと思いますが、このフレーズの最後のところでタンタンと足踏みを入れるのが、とても気持ちよいのだけれども、うまくリズムが取れるか?というのが大変難しいのです。それで多分礼拝以外の時間に皆でやってみたいと思っています(笑)。
 
 その後でしたか、聖霊様のお導きによるドラムの誘導(ドラムは引っ張っていける)で、テンポの早まったダンスと、賛美の声が響き渡ったのです。そのうち、菅原先生の掛け声に乗って叫びともいえる大合唱が始まりました。

 「勝利、勝利、大勝利!」

 会場には120人以上はいたと思いますが、ギャザリングでは珍しいことではなく「一致の霊がこれ見よがしに働く」現場をまたまた見せていただきました。
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 主にある勝利は、都合の良い時だけではありません。まるで負け犬のように見えるときでさえ、主は私を勝利者としてくださいます。
 私たちはすべてのことにおいて例外なく、勝ってなお余りある勝利者なのです。これは神の愛によって成り立つ特別な勝利ですね。大勝利!(た)










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by mitiru-takae | 2017-04-05 13:56 | 満ちる | Comments(0)