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No.209 聖霊様と共に(3) 2016.10.30

聖霊様と共に(3)

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。<ヨハネ1:1>

 夜7時になって賛美集会がはじまった。しかし、この時起こっていた奇跡をまだ誰も知らなかった。このことはまたあとで書こう。

 この夜の賛美は、まったく聖霊様によって解放されていて、腹の底からの歌声が響きわたった。
 歌うのが終わっても、奏楽が終わらない。奏楽が終わっても、歌が終わらない。
 歌も奏楽も終わったというのに祈りが終わらない、また、奏楽がはじまる。すると自然に歌いだすという、礼拝とはまた違った、時間を気にすることのない自由な賛美と祈りが延々と捧げられたのである。
 このような解放された賛美をギャザリングで体験した兄弟姉妹は3、4人なのだが、まるで皆がその場にいた経験者のようでもあった。聖霊様は何という素晴らしいお方であろうか。集っている皆の心を一つにあわせ、霊歌のハーモニーのようにしてくださったのである。
 
 こうして、礼拝、焼肉会、「み言葉に聞こう」の聖書学習会、賛美集会と、充実したメニューでこの日一日が終わった。
 近く(以前ほど近所ではないが)の銭湯で汗を流し、興奮しながらも各自それぞれに就寝する(したはず・・・)。
 私はいったん自宅に帰った。そして翌朝、早天祈祷会出席のため教会に着くとすぐ、妹から、G姉妹からメールが来ていたと知らされたのである。

 その時のメールとはこうだ。
 「私は癒されました!ハレルヤ!
 
 教会に宿泊していた兄弟姉妹方はすでに聞いて知っていたのだが、私はその時に聞かされてびっくりした。思わず涙がでそうになった。
 姉妹が癒されることをどんなに願ったことか、また姉妹に会った方々の話を聞くたびに、胸が痛んだ。いくら考えても、これは奇跡のほかないと思うのである!ハレルヤ!

 教会の中でも信頼のおける働き人であったG姉妹が心を病んで教会に来ることができなくなってもう一年半はたつだろうか。お母さん、またある時は娘さんの横に寄り添って歩く姉妹を見かけたという方もいて、元気だった頃の姉妹を思い出し、皆で祈ったりもした。
 少しは良くなったと聞いて、誰かが電話をしてみても、まるで自我が消えたかのような話し方しか返ってこなかったそうだ。
 
 このG姉妹からのメールが来た時刻は、ちょうど昨夜の賛美集会が始まった7時2分だった。魂は同じとき共に賛美していたのだと感じたのである。
 「なんという素晴らしさだろう…このタイミングで一体何が起こったんだろう!」
 嬉しさに指を震わしながら姉妹にメールした。
 「嬉しい、うれしい、ハレルヤ!」
 するとすぐ、姉妹から返事が返ってきたのだ。

 今までならば、「昨夜からは時間がたっているので、もしかすると・・・」と言う、否定的な思いも否めなかったであろうが、この朝は全くの不安がないのだ。姉妹から即返ってきたのは、背景に色がついたなんとも元気そうな返信メールであった。
 「感謝します!癒されました!離れていても聖霊様のお働きは素晴らしい!・・・」

また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」。 <ルカ17:20,21>

 「あなた方のただ中にある・・・」あなただけではなく、神の家族としてここにいる兄弟姉妹、この教会(エクレシア)のただ中に天国はある。
 まさに、この姉妹の心も、私たち神の家族とつながっていた。
 昨日の主日礼拝で証しをしてくださったW姉妹も同じである。 私たちの魂は、イエス様の愛の帯で結ばれている。

 二人の姉妹方の証しのおかげで、どこにいても父なる神とつながることのできる天の国が、私たちのただ中にあることの証明だと知らされた。(つづく)(た)

【追記】セミナーの記事を来週までの連続4回分、すでに書き上げてしまっているため、追記になるが、先週10月23日、この記事で紹介したG姉妹が一年半ぶりに礼拝に来られた。皆の喜びと驚きを私はとても文章で表現しきれないほどである。このことの証しは次々号にまた書くとしよう。(た)
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by mitiru-takae | 2016-10-31 23:00 | 満ちる | Comments(0)

No.208 聖霊様と共に(2) 2016.10.23

聖霊様と共に(2)

 この日の礼拝から、すでに聖会は始まっていたようなもの。それは、福岡から参加してくださった姉妹の証にびっくりしたことから始まる。

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。<ヨハネ1:1>

 姉妹は大分に来る前から、なぜか「ことば」というキーフレーズをいただいていたというのだ。
 「ことばは神であり、イエス様は神である。ことばはイエス様だ。」
 「このことばは命であり、私たちのうちに満ち、私たちは、生かされている」

 イエス様は農夫である。農夫は良い地が良い実を実らせることをよく知っている。そこでイエス様は私たちの心を良い地にしてくださり、種をまいてくださる。この種こそが、み言葉であり、私たちに与えられた命であり、信仰である。
 この日の礼拝のテーマは「種まきのたとえ」であった。
 姉妹にとって、大分に来る前からいただいていた、自分のうちに満ちてくる「ことば」の確かさの証を、大分の教会に来てさらに聖霊様により心の中に「証印」を押された結果となったのだ。
 私たちは奥義を知ることができるものとされている。イエス様は、私たちにはたとえでなく、一人ひとりに直接奥義を語ってくださるのである。神の国の奥義は何処にいても、何をしていても、朝であっても夜であっても変わらずに時が来れば知らされる。
 この日も聖霊様は神の国の奥義を、離れたところにいても愛の帯で結び付けてくださり、共に同じテーマを共有できるという恵みに、私たちをお導きくださった。

 第一聖会はマタイ13章24~52を、いつもの木曜聖書学習会のように拡大学習会として学びの時とした。焼き肉をおなか一杯食べて眠くなるであろう午後でもあった。が、寝る暇も、眠くなる暇もないというのが事実であった。
 参加人数は減って(笑)はいたが、まず皆で賛美をし、3グループに分かれて聖書学集会にならい朗読から始めていった。
 朗読が終わり、それぞれ個人でしばらく黙想する。
 男性グループでは、学習会に来たことのない兄弟が2名いた。 二人とも朴とつな、口数の少ない兄弟たちである。
 K・N兄は、グループの進行係の兄弟に信仰があるかと問われて、即「あります」と答えたというのだ。問うた兄弟をさぞびっくりさせたことであろう。T兄は、十戒など、聖書の映画を見て、自然と福音を信じるに至っていたと、普段聞くことのない兄弟たちの信仰の告白に喜びをもらった。 

 「あなたがたは、これらのことが皆わかったか」。彼らは「わかりました」と答えた。<マタイ13:51>

 面白かったのは、このみ言葉に深く感動したグループの姉妹たちが「わかりました」と告白していたことである。
 私たちは聖霊様の導きに「わかりました」と従ってきただろうか。とかく「いえ、私は〇〇で・・・・」といいわけのほうが多かったのではないだろうか。自分の正当性を主張してばかりで、「わかりました」はなかなか言えないものである。
 この時以来、何かと「わかりました」の告白が飛び出てくるのが楽しい。
 聖霊様のお導きに対しては素直な敏感な心をもちたいものだ。

 第一聖会ではこのようにみ言葉による証と、告白、聖霊様の導きによって、魂が解放され、思い思いの示された言葉が聞く一人一人に深く浸透していった。
 この聖会の倣うところとなったいつもの学習会での学びとはこうである。
 ①聖書を皆で声を出して読む、②黙想する、③気づきや、思いを皆に話す、④人の話を聞く、⑤聞いたことによって、さらに新しい証を心の中にいただく。
 聖書を深く読み進めていくことによって深まっていく霊の交わりが、この後の昼食によって、さらに楽しい霊と肉という文字通りの交わりが続いていくのである。
 この日も第一聖会後、姉妹方の手作りのおいしい夕食をいただいた。

 この夕食で元気が増した夜は、いよいよ賛美集会である。(つづく)(た)
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by mitiru-takae | 2016-10-29 14:37 | 満ちる | Comments(0)

No.207 聖霊様と共に(1) 2016.10.16

聖霊様と共に(1)

神の国はいつ来るのかと、パリサイ人が尋ねたので、イエスは答えて言われた、「神の国は、見られるかたちで来るものではない。 <ルカ17:20>

どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、知恵と啓示との霊をあなたがたに賜わって神を認めさせ、 あなたがたの心の目を明らかにして下さるように、そして、あなたがたが神に召されていだいている望みがどんなものであるか、聖徒たちがつぐべき神の国がいかに栄光に富んだものであるか、<エペソ 1:17、18>

 10月9、10日の信徒一泊セミナーは、聖霊様の火がそこに集っていた全員の魂のなかに臨み燃え上がるという、まさにリバイバル聖会の様相となった。

 私たちの教会の信徒一泊セミナーは父の時から始まり、もうどれくらい続いているのだろうか、結構伝統あるものである。
 いつもの教会堂から飛び出て、保養所や貸別荘で、あるときは皆で自炊したり、また時には、上げ膳据え膳のおいしい朝晩出される食事などで満たされたりで、家庭の主婦たちが多かった信徒の皆さんたちにとっては、とても嬉しい、楽しい集会であった。
 この集会をセミナーとしたのにも意味がある。
 当教会の設立者である釘宮義人牧師は、無類の話好きである。妻であるトミ夫人、そして信徒一同、私たち子どももこぞってこの義人牧師を愛し、話を思う存分させてあげたい、引き出したいという願いを込めてのセミナーの名であった。
 
 といっても晩年の義人牧師は「あー、もう話すことがない、終わり!」といって話が続かないことが多くなっていた。今思うと、わたしたちの、牧師の心の中に満ち溢れている信仰の言葉や、思いの「引き出し」を引き出す愛が、少し足りなかったかなと口惜しい。
 義人牧師のメッセージを期待していながらも、引き出せないのは、わたしたちの側の信仰が試されていたのだと思う。今になって、何度も聞いていたことを、思い出せなかったり、聞いていたようで聞いていなかったのだなあと可笑しいくらいである。
 10月5日の義人牧師の4年目の帰天祈念を心に刻むと共にこの信徒一泊セミナーの名の所以を懐かしく思っている次第だ。

 ところで、今回のセミナーはセミナーではなかった。
 実は、私が牧師になってから、なんとなくセミナーっぽくはなかったのだ。それに、そろそろこのセミナーもマンネリ化し、毎回確かに恵まれてはいるけれど、今一歩破れないところがあったのも確かであったのだ。
 私は自分の力の足りなさを思い、祈り疲れたことも多くあった。しかしそのような時でも聖霊様は、確かに働いてくださっていた。皆の喜ぶ顔が、私への励ましであったし、褒美であった。
 今回「セミナーではなかった」というのは、これは完全に「聖会であった」と言いたいからだ。それも聖霊様の導きに、また流れに沿った聖会であったということである。
 9月に開かれたローカルギャザリングが多分に私たちの魂をつかんでいた。それどころか、ギャザリングに参加していない兄弟姉妹たちが多かったにもかかわらず、神の家族にはその時の興奮がまるで伝わっているかのような、そんな素晴らしい、聖霊様による一致があったことが否めない。

 聖霊様による一致の波紋は、福岡に在住の姉妹、一年半も心を患って教会を休んでいた姉妹、など、会堂やこの教会に集う集わないにかかわらず奇跡の風の吹きまわる中を、共に愛の帯で結ばれていたことに気づかせられていたのだ。
 
 「自由と一致」、「解放と癒し」、「賛美と祝福」、すべての栄光が主の御座に大いなるセキーネとなって顕れ、私たちを感動させてくださった。
 「神の国を知ろう」をテーマに始まったこの聖会が、「聖徒たちがつぐべき神の国がいかに栄光に富んだものであるか」を見せていただいた素晴らしい聖会であったこと。また、私たちは聖霊様により、まことに私たちの魂を永遠の命によって生き返らせてくださるイエス様の証を信仰の種として心のうちにいただいていることを、深く深く感謝する次第である。
 
 聖会の証については、ここに書ききれない!また書くこととしたい!(た)

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by mitiru-takae | 2016-10-22 12:42 | 満ちる | Comments(0)

No.206 父のみこころを行う者 2016.10.9

父のみこころを行う者

 天にいますわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」<マタイ12:50>

あなたは
天の父のみこころを行うものとして選ばれた者
あなたは
天の父のみこころによって召し出された者
あなたは
イエス・キリストの福音のために選び分かたれた者
あなたは
神の家族の一員
あなたは
天の父のおこころを持たされた者
あなたは 天に国籍を持つ者!

出エジプトから数えて70回目
イエス様の十字架の死から数えて40回目という
ヨベルの年が10月2日で終わった
次のヨベルの年は天国で迎えるのか…(笑)
天国を見てきた須佐先生は言う
いや天国では古いものは一切過ぎ去って
痛みもなく 苦しみもない
すべてが新しいと…
すでにヨベルの年は完成している

天の父の心とは慈悲深い永遠のヨベルの年のようだ
地上では
イエス様の十字架の愛の心に父なる神を見る
天の父の心を知ると
教会のなかで また家庭で 家族としての愛が
回復していく

天の父の心を行うものが
神の家族だ
イエス様がそうであったように(た)
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by mitiru-takae | 2016-10-15 14:51 | 満ちる | Comments(0)

No.205 「あなたを愛しています!」 2016.10.2

「あなたを愛しています!」

わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。【新改訳】<イザヤ43:4>

「神は愛です」
「神はあなたを愛しています」
と誰かに100回いわれても
それが確かだと 即信じることはむずかしい
神の愛がどんなものなのかも 想像がつかない
しかし ひとたび聖霊様に触れられる時
「神は愛です」「神はあなたを愛しています」
と聞いたとたん
神様の愛が心に飛び込んでくる

9月26、27、28日
大分で開かれたローカルギャザリングは
聖霊様の臨在が半端ではなかった
聖霊様に導かれるままの賛美、ダンス
聖霊様の特別なタッチ
預言と幻 和解と一致
集まった神の家族のお一人お一人が
魂に深く主のおこころを刻まれた

かつて大分の地に花開いた
豊の国の人口4人に1人のキリシタン
その信仰の井戸を掘り起こそう 
岩盤のように硬いふたをドリルで打ち破り
大分に 日本に 世界にと
イエス・キリストの血潮を潤していただく
そこから 主の愛が回復していく

そしてすべてのものが主と共に叫ぶ
「あなたを愛しています!」と(た)
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by mitiru-takae | 2016-10-08 14:09 | 満ちる | Comments(0)