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No.204 衰えず、落胆しない 2016.9.25

衰えず、落胆しない

彼は衰えず、落胆せず、ついに道を地に確立する。海沿いの国々はその教を待ち望む。<イザヤ42:4>

私たちの罪のために
イエス様は
十字架にお架かりになり
私の罪の身代わりとなって死んでくださった

イエス様の十字架に続く道は
決して 栄光に輝いた煌(きら)びやかな道では
なかった
しかし その権威に満ちたお言葉には
力があった
何があっても どこに行っても
彼は衰えず、落胆せず
進み続けたし 語り続けた
ついに 十字架は私たちの救いへの希望となった

わたしは地下の暗い牢に閉じ込められていたあいだ
目が見えてなかった
耳は聞こえていなかった
何かあれば立ち止まり
一向に先に進めない私であったが
それでも主を待ち望んだ
ついに私の耳は
地の果てで主の御声を聞いた

盲人の目を開き、囚人を地下の獄屋から出し、暗きに座する者を獄屋から出させる。<イザヤ42:7>

まだ誰も知らないとき
主は私に まっ先に知らせてくださる
誰も知らない新しいことが 今 起こると
告げてくださる(た)
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by mitiru-takae | 2016-09-30 23:00 | 満ちる | Comments(0)

No.203 神の国を伝え続ける 2016.9.18

神の国を伝え続ける

 はばからず、また妨げられることもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えつづけた。<使徒28:31>

これは、使徒行伝の最後に書かれた御言葉だ
パウロはどのような状況の中でも
はばかることなく神の国とイエス・キリストを伝え続けた
パウロや使徒たち、イエスの弟子たちの
神への従順と
応えてくださる神の恵みのゆえだ
今もなお
世界中の聖徒たちによって
その後の使徒行伝が続けられている

今日は、教会に
グレイスチャペル安曇野の須佐二三子先生が
来られた
須佐先生は一度天に帰られたが
主に与えられた使命と賜物をもって
この地上で福音のために生きるようにと
新しいスタートを主に与えられたという

須佐先生がこのお証を
「はばからず」「また妨げられることもなく…」
主に従い、元気に(嬉しい)
伝えることができるのは
神の励ましと勧め
神の熱心が魂の内に燃えるからに違いない

神の国を伝え続ける
これは須佐先生に
また取るに足りない私たちにも与えられた
神のご計画であり
私たちの栄光の主のみこころに叶うことだ(た)
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by mitiru-takae | 2016-09-24 15:28 | 満ちる | Comments(0)

No.202 イエス様の招き 2016.9.11

イエス様の招き

 すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。<マタイ11:28>

お母さんか、お父さんが、子供に向かって
手招きをしている光景はよく見かける
子供は嬉しそうに、
お母さんに、またお父さんに向かって走りだす
お母さんが自分を呼んでくれているというだけで、
嬉しくてたまらないのだ
そこには期待がある
感動の予知がある
良いことをしてくれるという
自分を招いてくれる人への信頼がある
だから胸を弾ませて、精一杯走っていくのだ

イエス様の招きに応じたいと思う時
考えてみると、それはやはり、重荷を背負っている時だ
重荷のない人はいないかとは思うが
イエス様がご自身のくびきに招いてくださるのは
やはり、重荷を背負っている人であり、
心が疲れ苦労している時であろう

「いや私は幸せで、苦労がない」
そんな人もいるだろう
しかしそのような人の、心の一番深いところに
イエス様は言ってくださる
「重荷を背負っている人よ・・・」と

 わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。<マタイ11:29>

私を創ってくださった神様をまだ知らない人
そのような人ほど、
自分の重荷が何であるかもまだ知らない
この世界で疲れ果てたとき
私の背負っていた本当の重荷が見えてくる
その時こそ
イエス様の招きに預かるときだ
魂に休みをいただく時だ(た)
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by mitiru-takae | 2016-09-17 12:23 | 満ちる | Comments(0)

No.201 主を待ち望め 2016.9.4

主を待ち望め

主を待ち望め、強く、かつ雄々しくあれ。主を待ち望め。<詩編27:14>

最後まで耐え忍ぶ<マタイ10:22>
先週の説教題である
【耐え忍ぶ】には留まるという意味があるらしい
つまり忍耐とは信仰に留まることであろうか
<ローマ5:3~8>には
「患、忍、錬、望」とよく知っている御言葉がある
最後の望は希望だ
患難の中から希望は生じてくる
この希望が失望に終わらないのは

神の愛が私たちの心にそそがれているからである <ローマ5:5>

だからこそ 喜ぼう

希望を捨てず喜びに満たされて
患難に耐えるなどということが果たして
自分に出来るのか

強く、かつ雄々しくあれ!(告白)

敵に襲われ、攻められてとしても
私には頼むところがあると言う
何があっても信じぬくダビデの信仰は
果たして私にまねができるのか

信仰とは 他人ごとではない
強く、かつ雄々しくあれ!(告白)

ダビデは何度も自分の心に言い聞かせたであろう
主を待ち望め 主を待ち望め(た)
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by mitiru-takae | 2016-09-10 12:27 | 満ちる | Comments(0)